22話。惨劇のウインザード。②
「くっ! あ、熱い……」
「ちょ、おい、待てよ! って、リリル! 聞いてんのか?!」
ウインザードのお城まで伸びる一直線の石畳の道。私は、なぜか、炎に向かって走り出していた。
私には、頭の中で響いてた狂った声が耐えられなかった。寒気がした。吐き気がした。
土の魔女は、一人じゃなかった。もう一人──、女の子だった。それも、私と大差ない。あの子の声がした瞬間、まるで吸い上げられた魔力を夜空にやるように、魔法陣が燃え盛る炎の中で、その子が妖しく笑う姿を見た。
(──なんで、笑っていられるの? どうして? あなたのせいで、こんなにも人が……)
やりようのない怒りが込み上げて来る。今すぐに、あの子を止めなきゃって想う。正気じゃない。狂ってる。分からない。あの子の気持ちとか、何もかもが。
だけど──。
「ごめん、ごめん……。ごめんなさい……。ううっ……」
──けれども、逃げ遅れた人たちや、炎の中でも尚、動こうとしている屍の人たちが、燃え盛る炎と倒壊した家屋の中で、ひしめき合う。道に溢れていた。私は、当然のように守られている自分を恥じた。
(──何が、星の巫女だ。誰にも守られずに死んだ人たちが、こんなにたくさん居るのに……)
走りながら、涙が溢れてくる。けれども、熱さですぐに乾く。
顔の皮膚が焼けただれそうなほど、熱い。
そんな中、炎の建物が倒壊した場所で、たじろぐ。身動き取れない。
私は、尚も、自分の命が惜しいんだって気づく。前に進めない。
「パトト爺ちゃん! ジャンゴ!!」
泣きながら後ろを振り返った。どうしたら良いか分からなくて、助けてくれることを期待していた。
自分じゃ、どうにも出来ないくせに。
私には、ジャンゴとパトト爺ちゃんがいる──。死ぬことなんて、有り得ないことなんだって、心の何処かで想ってた。それも、まだ、今も……。
だけど、ここに居る人たちは──。誰にも助けてもらえなかった。逃げ遅れた人たち、屍にされた人たち。耐えられない苦しみの中で、死んでいく人たち。
(──私は、無力。無力、無力、無力! 居ないのと、同じなんだ……)
私は、赤く焼けた石畳を見つめた。頭が炎と煙で、朦朧とする。いっそのこと、ここで死んでいく人たちと、一緒に死ねれば……。私は──。
──ふと、顔を上げると、悲しそうに俯いたジャンゴと、炎を見つめるパトト爺ちゃんの姿が、影とともに炎の中で揺らめいているのが見えた。
「どうすることも、出来ぬことも無い。少なくともワシがいる限り……」
「え?」
「土の魔女の大規模魔法陣に対抗する簡易式の結界陣を人々に施した。が、しかし、助けられぬ命もあった。ワシは、今から地下にある大規模魔法陣を破壊する。リリルとジャンゴは、城内に潜伏する魔女の巫女を頼む」
「爺、ちゃん……?」
「行こうぜ、リリル。ジ……、じゃなかった師匠の言葉どおり、元凶を叩きによ?」
「ジャンゴ……」
パトト爺ちゃんは、どれだけ凄いんだろう。結界陣? いつの間に──?
それでも、私は、無力だ。だけど、行かなきゃ。ここで、立ち止まることの方が、きっと無意味。後悔する。
「──どいてろ……」
声が響いた。
静かにパトト爺ちゃんが、燃え盛る炎に向けて右手を翳すと──。風の魔法なのか、炎の海を割るようにして、ゴォォォ──と、道が開けた。
「行け」
「うん……」
炎の赤い光に浮かぶパトト爺ちゃんの姿。まるで、竜が立っているみたいに大きく見えた。
いつもの白いお髭と髪の毛は、なにか神秘的な感じがして──。それは、例えるなら、星の神様のような……。
「おい、リリル!」
「え? あ、はいっ!!」
ジャンゴに呼ばれて、ハッとした。
いけない……。しっかり、しなくちゃ。こうしてる場合じゃない。行かなきゃ……。でも、どれだけだろう? お城まで、かなり距離がある……。
例えるなら、ウミルの村の入り口から私の家まで、ダァーッと、一気に走り抜ける感じだろうか。
「なぁ、リリル?」
「え?」
「ボーッと、し過ぎ」
気がつくと──。
私の足もとに、ジャンゴが私を背負うような体勢で、待ってくれていた。逞しい炎赤竜の鱗に覆われた背中に、銀の狼の鬣が流れる。炎赤竜は火炎耐性が高いことで知られている。
「ジャンゴ? 竜の血。飲んだんだ?」
「あぁ。二本目な? 良いから、早く乗れってホラ!」
「あ、うん。ありがと……」
ジャンゴの腰には、小瓶に竜の血が入った小袋が、幾つかぶら下がっていた。その内の二つ。日に何度も変身して、大丈夫なのかな……。いや、それより──。
「私じゃ、ジャンゴより足遅いから?」
「言ってる場合かよ! よっと」
ジャンゴが私を突然、お姫様抱っこしたかと想うと、グルン!と私を背中に背負って狼のように走り出した。
「キャーッ!!」
「目ぇ瞑ってろよな? 効き目がいつまで持つか分かねぇから、飛ばすぜっ!!」
まるで、それは、光のように──。私とジャンゴは炎の中を疾走する夜の風になっていた。
♢
「ハァ、ハァ……」
走りながら、まるで、獣のようなジャンゴの呼吸音が、背中にいる私の耳もとに聞こえて来る。
それは、炎の光の中を風のように舞い進む。吹き荒れる熱風よりも素早く、倒壊した建物を軽々と飛び越える度、身体の中が風が通り抜けるように浮く。何度もジャンゴがジャンプして飛び越える振動の激しさに、目なんて開けてられなかった。祈るしかない。信じるしかない。
(──ガクン!……)
急激な速度変化。
何処なのか、階段のような場所を駆け上がっていたジャンゴの身体から、伝わっていた振動がいきなり止まった。しばらく、辺りを見渡すような身体の動きをジャンゴの背中から感じる。
「どうなってやがる? まるで、誰もいないみたいだぜ?」
「え?」
そこで、初めて私は目を開けた。
眼下には、ウィンザードのお城を円形に取り囲む街並みがタモタモの森との間で、赤い炎を吹き上げている。全方向、どこもかしこも、炎の海だ。夜中なのに、黒い夜空と地平線の間が明るく見えるほどに。けれども、街中で感じたほどの異臭や焼け焦げた匂い──それに、炎の熱さもあまり感じない。
街の炎の光の中、不気味に夜空に浮かぶ白い居城──。幾つもの鋭く尖った天守の砦が、突き刺すように星の夜空にそびえ立つ。街とは対称的な静けさが嘘みたいだった。私は、ジャンゴの背中に背負われたまま見上げていた。ウィンザード城──その姿を。そして、ただのお城では無い何かを感じ取った。
「風──?」
「なんか、城の門って言うか、この辺り一帯だけ、変だぜ?」
そう──。
まるで、このお城を中心にして夜空に向かって、風が吹き上げているような。
パトト爺ちゃんが言ってた大規模魔法陣──夜空へとウィンザードの人たちの魂を吸い上げる力?
それが、ウネるようにしてウィンザードのお城の遥か上空へと、竜巻状に吸い上げられているのが分かる。
階段を昇った先──お城の門の前にいる私が、ジャンゴの背中から手を伸ばすと何かに触れた。
それを同じく鼻先で何かを感じ取ったジャンゴが、少し後ずさりした。
「空気の層……?」
「だな。結界だぜ、これ」
(──キーン……)
ジャンゴの言葉の後。また、耳鳴りのような音が私の頭の中を襲った。
『ハハハハハ!! お母様!! お母様の仰ったとおり、星の巫女がノコノコとやって来ましたよ!! マスターパトトは、お母様のお造りになられた大規模魔法陣に気を取られている様子!! 今すぐにでも、風の星を星の巫女より抉り抜き、心臓とともにお母様に差し上げましょう!!』
「うっ……」
「リリル?」
「ま、また、女の子の……声が」
「女?」
一瞬──、頭に痛みがズキン!と走り、私はジャンゴの背中から落ちそうになった。
(──ドサッ……)
「リリル!!」
ジャンゴの声が、背中から落ちた瞬間に聞こえた。
それと、狂ったような女の子の笑い声が、だんだんと何かを呟くような呪文詠唱の言葉になっていった。
頭の中が、割れそうなほど……まだ、響いていた。私は、こう言うのを【呪い】って言うんだって理解した。それはいつか、パトト爺ちゃんが言ってた。魔力を永続的に固定させる力だって──。
「こ、これは……。呪い」
「の、呪い? リリルが? 誰に?!」
『残留思念』──土の魔女の【呪い】だ。それも、とても強い。
仕組みは分からないけど、あの時、土の魔女から感じた魔力の匂いみたいな感覚を、肌で感じた。もしかしたら、あの子は──。
「急が、なきゃ……」
クラクラとする頭を抱えて、私はなんとか立ち上がった。けど、声……。マズい。立っていられ、な……い。
「(リリルー! リリルー!!)」
なんだろ……。風のお星様、かな? 声が聞こえて。
私の胸の辺りが、服の中からパァーッと明るく青色に輝いて……。フワリと、私のウェイブした栗色の髪の毛が、風に肩に揺れた。私は、そのまま、何とか体勢を保って立つことが出来た。
頭の中の女の子の声も、消えた──。
「大丈夫かよ?! リリル!!」
気がつくと、私の目の前にジャンゴの変身した銀の狼の鬣が揺れ、竜のような横顔が見えた。ジャンゴの金色の目が、夜空に浮かぶお月様のように光っていた。
(──ゴゴゴゴゴゴ……)
「来やがったぜ……」
ウィザードのお城の最も高い天守。その砦。
そこから、タモタモの森で遭遇した土の魔女のような黒い霧が、巨大な手のように伸びて、私とジャンゴの目の前に迫って来ていた。




