21話。惨劇のウィンザード。①
「人の焼ける臭いが鼻をつく──」
そう言ったパトト爺ちゃんの言葉に私は身動きを止めた。
タモタモの森から南南西に位置する暗闇から、煌々と赤い炎のような明かりが、夜空の星の下で天を焦がすほどの勢いで立ち昇るのが見える。
夜の森の暗闇から、木々の隙間を風が抜けて──私は、味わった事のない不安と違和感を喉の奥に呑み込んだ。
「カハッ! ハァハァ……。悪ぃ。今ごろ反動来たぜ」
そう言ったのは、ジャンゴ。
私の足もと近くで一度寝転んだかと想うと、直ぐに半身を起こして唾を吐いた。『獣人化』した時のような背中の筋肉の迫力はなかったけど、サラリと金の髪を片手で梳いたジャンゴの青い瞳が、月明かりに見えた。
──森の静寂。
パトト爺ちゃんが、屍になった兵士の人たちを弔う。
パトト爺ちゃんの白いお髭が風に揺れる。光錬成による浄化なのか、パトト爺ちゃんの翳した手のひらの光から、兵士の人たちの肉体が光の粒になって溶けて、森の夜空へと昇るのが見えた。
魔女の身体自体は──少し前に溶けて、月明かりを覆うような黒い霧になって消えた。分身みたいな感じで、本体じゃなかった。
「急がねばなるまい。ウィンザードの命を、一人でも救うべく」
パトト爺ちゃんの言葉の後に、私の胸の中を風が通り抜けた。
ウミルの村を出て、初めて見る私と同じ雰囲気の人たち──。光の粒になる前、譫言のように家族の人の名前を口にする姿と声が、焼きついて離れなかった。
「うん。そうだね。パトト爺ちゃん」
屍になった兵士の人たちが、光の粒になって夜空を舞う。これを魂とか呼ぶのだろうか。
私は、空を見上げて手を合わせるように祈った。一瞬、流れ星が欠けて消えた。
私のウェィブした栗毛の巻き髪が、肩に風に揺れる。
煌々と燃え盛るウィンザードを焼く炎が赤く、タモタモの森の先の闇を照らしていた。
私の胸の風の星が、その方角を示して青く輝いた。
「早く行かなきゃ、だな」
いつものズクズクの灰色のズボンに、肌色の半身と金色の髪を光らせて──そう言ったジャンゴが、フラフラしながら立ち上がった。
その後。
「荷車に乗れ」──そう言った、パトト爺ちゃんの身体が金色に光ってたのを、私もジャンゴも見ていた。
「人の命は、星よりも重い……」
「え? パトト……爺ちゃん?!」
「じ、ジジイ!? いや、師匠!!」
オーガマガマガエルの胃袋に詰め込まれたパトト爺ちゃん特製の装備品の数々と、私とジャンゴが荷車ごと嘘みたいに宙に浮いた。
「ぬん!」──パトト爺ちゃんの声が夜のタモタモの森に響く。「バリバリ!」と地面の土がめくり上がったかと思うと、たちまち森の樹々が竜巻のような風で薙ぎ倒されていった。
「キャーッ!!」
「くっ! す、凄ぇ力……」
「二人とも、荷台から手を離すな」
荷台の木の板の隙間から、金色に光るパトト爺ちゃんの姿が見えた。着ていた白い服が破けてて、メリメリと巨大な筋肉の塊が私とジャンゴを荷車ごと持ち上げていた。辺り一面が、夜なのに激しい光のせいで眩しい。それに、物凄い風圧に煽られた私は身体ごと吹き飛ばされそうになって……って、あ! ダメ!!
「ちょ! ゆ、指が、離れ……て! あっ!!」
「リリル!!」
パトト爺ちゃんの身体から噴き出る風圧に、吹き飛ばされそうになった一瞬──。
──ジャンゴが、「ガシッ!」と私の手首を咄嗟に掴んで、身体ごと引き戻してくれた。
「じ、ジジイ……。いや、師匠、滅茶苦茶だよな」
「あ、ありがと。ジャンゴ。ご、ごめん」
一瞬、ヒヤッとしたけど、ジャンゴに想わず手を掴まれて、安心した。けど、私の力の無さや足手まといな感じに落ち込む。
だけど、凄い風圧の中、掴んだ手を離さないでいてくれるジャンゴの手が、熱いくらい逞しい感じがして。嬉しかった……。いやいや、今は荷台から手を離さないように集中しなきゃ──。
「行くぞ!!」
パトト爺ちゃんの声が、夜のタモタモの森に響いた瞬間──。
──嘘みたいな衝撃が、身体中を突き抜けた。
空に浮かぶお星様たちが、まるで目の前に迫って来るようだった。気付けば、煌々と燃え盛るウインザードのお城が眼下に見えて、夜空に放り出されてた。
どうやら、パトト爺ちゃんは、荷車ごと私とジャンゴを夜空に向かって投げたみたいだった。
「い、イヤー!! し、死んじゃうー!!」
「か、身体が、千切れ……て、なんかねー!!」
私は竜巻のような暴風の最中、荷台から完全に指先が離れてて──空を飛んでいた。
バタバタと音立ててる服が飛ばされそうなほど。
なぜか、ゆっくりとスローモーションで全部が見えてて、私の胸から風のお星様の青い光が見えてた。
「リリル。風になってるね」
お星様の声とともに、青い光が私を包む。
なぜか、背中にそっと触れるような風が私を押してくれた。その先で、目を閉じかけたジャンゴが、私へと必死に手を伸ばして私は、ジャンゴの手を掴むことが出来た。
そのジャンゴも物凄い風圧に弾かれそうになっていたけど──、ここで、ようやくスローモーションが解けたみたいになって──。
「すまぬ。二人とも、無事か?」
気がつくと──。
──「ダン!」と、まるで飛び乗ったようにパトト爺ちゃんの裸足が見えてた。太いパトト爺ちゃんの両腕には、ジャンゴと私がいつの間にか抱きかかえられていた。
「じ! いや、師匠! 無事じゃ、ねーっつーの!!」
「ん……。パトト爺ちゃん……。良い匂い……」
なんだか、小さい頃。パトト爺ちゃんに抱っこされてたのを想い出す。パトト爺ちゃんのいつもの匂い。安心した──けど。それどころじゃない。今は、しっかりしなきゃ。隣で、ジャンゴがジタバタしてるみたいだったけど。
「ウインザード、到着……。五秒前。五、四、三……」
「う、わ!! このまま突っ込む気かよ?!」
「パトト……爺ちゃん?!」
信じるしかない。
パトト爺ちゃんは、いつだって無敵だから。
たぶん、夜空に向かって超高速で放り投げた荷台に、後から光錬成でジャンプして、滅茶苦茶なスピードで追いついて飛び乗ったんだと想う。何もかもが、滅茶苦茶だから。もしかしたら、パトト爺ちゃんが伝説の創造主ホーリーホックなんじゃないかって。まさかね。
♢
(──ズ、ズーン……)
巨人のようなパトト爺ちゃんの足もとから、モウモウと白い煙が、赤い夜空に立ち昇った。
そこは、まるで炎の海。
暗がりに光る夜空の星まで、赤く焦がすほどに。
けれど、さっきから、地響きの様な大きな物音が鳴り止まない。これは、なにか大きな建物が倒壊する音だ。それと、焦げ臭い鼻をつくような──匂い。
その中で、人の姿を見た。たまらず涙目になり、吐きそうになる。煙と炎の勢いが凄まじい。
そこは──、ウィンザードと言うより戦場。
私たちとは逆方向に、タモタモの森の方角へと逃げ惑う大勢の人たちと、すれ違う。
その後方から、焼けただれても尚も蠢くような人の群れが、炎の中に見えた。
「君たち、何をしている! 早く逃げろ! 屍たちの群れが──! ま、マスターパトト様っ!?」
「うむ。遅れて、すまない……」
「いえ! む、迎えの従者たちは?」
「聖女を装った土の魔女に」
「な!? シ、シーラ様がっ?! ま、まさか、そんな……。そ、それで?!」
「本体の行方が分からぬ。ワシらが交戦したのは魔女の分身体。迎えの兵士たちは、既に屍として操られておった」
「くっ……。そ、そうでしたか……」
「現状は?」
「屍化した行方不明者たちの群れが突然押し寄せ、光錬成師が浄化にあたりましたが追いつかず。国王陛下の銃火器使用許可のもと、兵士たちが民の避難誘導にあたっています」
「国王殿は?」
「そ、それが……。巫女の一人が突如として狂乱。ただならぬ魔力解放のもと、国王陛下ならびに王妃様、及び司祭様までも捕らえられ、な、尚も城内に!!」
「そうか……」
炎に包まれた視線の先──。
ウインザードのお城が遠い。
私たちがいる地点は、ちょうど街の外周にあたる入り口。
区画整備された街並みは、お城を中心に取り囲む形状で放射線状に広がっている。
燃え盛る炎の中、倒壊した家屋で道は塞がれてはいたけど、お城まで真っ直ぐに石畳が敷かれていた。
「ジャンゴ、いける?」
「あぁ。俺の身体能力なら変身なしで、城まで掻い潜れるぜ?」
ジャンゴの青色の瞳に、燃え盛るウインザードのお城が映る。横顔が炎の色に赤く、熱風で金の髪の毛が揺らいでいた。私はジャンゴに、「いける?」なんて言ったけど、炎の勢いに押し返されそうなほど熱かった。
(──ゴォォォ……。バーン!!)
「キャッ!!」
「す、凄ぇ、火の勢いだぜ……。これ、ヤバくねぇか?」
炎が街全体を呑み込んで行く。燃え盛る炎の中で何かが倒れ、割れるような音がした。
そして、屍になった人たちの影が、雪崩を起こしたように崩れ、それでもまだ動いているような恐怖を感じさせた。
「パトト様!! もう、我々では、どうすることも出来ません!! お連れの方たちと共に避難を!!」
銀の鎧を纏った兵士さんが、私とジャンゴの前に立ちはだかるようにして、炎を背にして叫んだ。炎の渦巻く最中、兵士さんの目には涙が溢れていた。
「国王陛下……。我々は、あなた様と王妃様をお守りすることが出来ず、司祭様他、城の家臣、多くの仲間たち、家族──そして何よりもこの国の民たちを犠牲に!! ぐっ! む、無念……。しかし、見捨てる事など到底出来ません!! 最後まで諦めず、あなた様のもとへ、亡くなった者たちのためにも、今馳せ参じましょうぞ!!」
「待て」
兵士さんが私たちを背に翻して、屍になった人たちがうめく炎の中へと、身を投じようとした時。兵士さんの肩をパトト爺ちゃんが掴んだ。隣に立つ、巨人のようなパトト爺ちゃんの影が炎に揺らいで見えた。
「銃火器のせいではない。火炎の昇る先に人々の魂の光が見える。おそらく、土の魔女の仕組んだ大規模魔法陣がこのウィンザード全体に張り巡らされておる。必ず国王殿と王妃様──この国の民たちを、助ける」
「パトト様……」
ドッと、兵士さんが銀の鎧を着たまま地面にへたり込んだ。声を上げて泣いていた。
「ううっ……! 国王陛下っ!! パトト様ぁ!!」
「下がっておれ、ワシが何とかする。リリルとジャンゴを頼む」
(──キーン……)
パトト爺ちゃんの言葉の後──、何かが頭の中で聴こえた。
『アハハ!! 全てはお母様の為!! この国も人も全ての魂たちはお母様のもの!! 遥か高く夜空へと、お母様のもとへと昇れ!! ハハハハハ!!』
まるで、気がふれたかのような狂った声。私と年齢の変わらない女の子のような声が聴こえた。
「リリル?」
「行か、なきゃ……」
ジャンゴの声が聴こえた後、私は何故か走り出していた。
掴んでくれてたジャンゴの手を振り解いて──。




