18話。影。
「ハァハァ……。マスター、パトト……。ウィンザード王国の危機です」
「うむ……」
タモタモの森から突然現れた人影。
地面を這うようにして身体を引きづっている。
装備している銀色の鎧に、月の明かりが反射していた。
見るのは初めてだけど、パトト爺ちゃんから聞いていた『兵士』だと想う。
ウミルの村からタモタモの森を抜けると、ウィンザード王国と呼ばれる大きなお城があって、たくさんの人たちが暮らしている。
「パトト様をお迎えに上がる途中、我々の隊は全滅。私だけが生き残りました」
「そうか……」
さっきまで寝転んでいたパトト爺ちゃんは、私とジャンゴが呆気に取られて瞬きをしている間に、一瞬の内に兵士のもとへと駆け付けていて、静かに佇んで居た。
「パトトのジジィ……いや、師匠。どんだけだよ」
「うん。凄いね……」
突然、タモタモの森の暗闇から現れた人影にも驚いたけど、パトト爺ちゃんの超人的な動きにも息を呑む。
気がつけば、そこに居たからだ。
立ったまま身動きが取れないでいるジャンゴと私、二人の視線の先に、森の暗闇から鎧の半身を覗かせたうつ伏せの男の人と片膝をついて話を聞くパトト爺ちゃんが映る。
森の奥から人が呻くような不気味な声が時折、私たちの耳に響いては消えて行った。
「お、おそらく、魔人か黒魔導衆でしょう。星の輝石から魔人襲来の伝達を聞いた我々より早く、この数日で数十人単位が失踪する事件が相次ぎました」
「他の錬成師たちは?」
「ハァハァ……。へ、兵士長を始め探索の魔法で、捜索に当たっていましたが──、未だ情報は掴めず。日々、人々が消えて行きました……」
息も絶え絶えな様子で、パトト爺ちゃんに必死に伝えようとしている。
男の人の鎧と地面の間から、血液のようなものが滲み出ていて、とても苦しそうで、何とかしてあげなきゃって想う。
けれども、頭をよぎるのは──。
(──この人は、もう助からない。今から死ぬんだ)
止められない思考と、目の前で起こる初めての出来事に私は動けないでいた。
真夜中を照らす月と、森の暗闇が、時間を止めていた。
だけど、数時間もしない内にこの人は、きっと、もう……。
私の指先にジャンゴの温かい指先が触れた。
私が、思わずジャンゴの手を握りしめようとすると、ジャンゴの温かい手が、私の左手をぎゅっと握りしめ返した。
「リリル……」
「ジャンゴ……」
私と同じように真っ直ぐと──、ジャンゴも目の前のパトト爺ちゃんと男の人を見守っていた。
「さ、先回りを、……していたのでしょう。我々の隊がタモタモの森へ入ってから──、一人また一人と、音も立てず、連れ去られました……。お、おそらく、黒の隠蔽の魔法が森全体に掛けらて……」
「もう言うな……。静かにしていろ」
男の人の顔の表面に、何か得体の知れないものが、ビクビクと血管のようなものを浮かび上がらせて蠢いている。
タモタモの森の暗闇の中からか、血のような生臭ささが流れて来て、私とジャンゴの鼻をついた。
「な、何、この臭い……?」
「ち、血か!? それに腐ったような臭いもするぜ」
もと獣人のジャンゴは、鼻が効くみたいで、私よりもツラそうな仕草で鼻を覆うようにして両手で顔を押さえていた。
「魔人……く、黒魔導衆の中には、し、死体使い『ネクロマンサー』がいま……す。ハァハァ……。き、消えた仲間たちが、死体になって現れ……。も、もうすぐ私、も……死を」
「──……。肉親は?」
「つ、妻と子がっ! 会いたかった! 守りたかった!!」
突然、男の人が目を見開いて、目に涙を浮かべて叫んだ。
月の明かりで、男の人が泣いているのが分かる。
パトト爺ちゃんが分厚い右手を翳して男の人の顔にそっと触れると、二人の居るその場所だけが、パァ──と明るくなって、しばらくするともとの暗闇に戻った。
「パトト爺ちゃん……」
私がパトト爺ちゃんにそっと近づくと──、
──男の人が、ブクブクと人のカタチを残したまま、泡のような土塊になって溶けて行くのが見えた。
「見るな。リリル……」
「うぅっ!!」
私は、両手で口もとを塞いだ。
涙が止まらなかった。
「この男は既に死体魔物化しておった。光錬成による浄化──。せめて、安らかな死を弔う……」
月の明かりを背に、私の後ろからパトト爺ちゃんに呼びかけるようにして、ジャンゴが尋ねた。
「助からなかったのかよ……。師匠」
「あぁ。ワシとて光錬成による浄化と復元には、三日三晩かかる。そして、魂の還元には一週間。おいそれとは出来ぬ。それに、お前たちを守らねばならぬし、黒魔導衆の潜むタモタモの森を抜けねばならぬ」
ジャンゴが、静かに両手を握りしめて身体を震わせている。
パトト爺ちゃんが、静かに男の人が消え去る地面を見つめていた。
私は、止まらない涙をどうしようもなく、膝を震わせて立っているだけで精一杯だった。
次第に消え去る男の人の影に、身に着けていた銀色の鎧と、血液の跡だけが残った。
「これから、夜のタモタモの森を切り抜ける。出来れば黒魔導衆の輩を見つけ出して、トドメを刺しておきたい。ジャンゴ、リリル、これ飲んどけ」
ポィッ──と、パトト爺ちゃんからジャンゴと私に手渡された小瓶。
中の液体が月明かりに紅色に反射して、揺らめく。
「竜の血液じゃ。抗死体魔物化、肉体復元能力、他にも様々な効果がある。副作用は、戦闘狂人化じゃが、痛みを消し去り精神の弱体化を防ぐ」
私は、男の人へと手を合わせて、しばらくお祈りをした。
「パトト爺ちゃん、やっぱり逃がした魔人のせいなのかな……?」
「いや。奴はワシと人を殺めぬ盟約を交わしておる。もしもの時は、奴は死ぬ」
小瓶の中に揺れる竜の血を見つめていると、ジャンゴが何も言わずに私の隣で小瓶の栓を抜いた。
お月様を仰ぎ見るようにして──。




