10話。『風の洞窟』7。
「貴様……。『星等級』は、いくつじゃ?」
「おや? そんなこと、今、私に聞く余裕があるのですか? パトト?」
パトト爺ちゃんの静かに構えた長くて大きな剣の光が、私とジャンゴ──それに、生気を取り戻した金色の目の魔人を照らしていた。
洞窟の中は、『お星様』の明かりが消えてしまっていて──『お星様』のおかげでツヤツヤと青紫色に光っていた岩肌も、だんだん元気を無くしたように幽かな光を残すだけだった。
私の意識……も、呼吸も、だんだん、薄く……なって──
「分からんのか? 貴様は、もう詰んでおる。思考を巡るのは、時間稼ぎの逃げの一手だけじゃろが?」
「ククク……。なぜ、そう思うのです?」
魔人が、そう言うと──私とジャンゴをグルグル巻きにしてた黒い蛇……みたいな……のが、より強く、もっと私とジャンゴ……を、締めつけ……──
「パト……ト、爺ちゃん……。助け……」
「リリ……ル!! うっ、ぐっ!!」
「ククク……。ほら。どんどんと、締め──」
「──死にたいのか? 貴様?」
瞬間──。パトト爺ちゃんの放った矢のような言葉の後。
一瞬のうちに、黒い影みたいな蛇が、シュル──っと、解けて消えた。
「うっ! カハッ!! ハァ……ハァ……」
「ぐへっ! ゲホッ!! ハァ……ハァ……」
黒い影みたいな姿の魔人の蛇の蜷局から、解放された私とジャンゴは──まだツヤツヤと青紫の光の幽かに残る岩肌に、四つん這いになって──気を失うんじゃないかって、思った寸前で、二人とも息を吹き返した。
ボンヤリと、青紫色の光を残す洞窟のツルツルとした岩肌に四つん這いになった私が顔を上げると──
頭の先から足の先まで竜の身体から創り出された鎧兜に身を包んだパトト爺ちゃんが──ものすごい筋肉で盛り上がった褐色の太い腕と分厚い手のひらで握りしめられた光輝く大きな長い剣を──魔人の首筋へとピタリと密着させていた。
身体を仰け反らし、身動きの取れない魔人。
「クフッ! カハハハハハ!! 流石は、竜殺し!! いや、魔人殺しのパトトよ!! 魔人以上に、魔人っ!!」
まるで、気が触れたかのように身体を反らしたまま、洞窟の天井の岩肌を仰ぐようにして笑い出した真っ黒な姿をした魔人。
魔人の身体には何か黄色い筋のようなものが──、まるで身体中を駆け巡るように広がる血管のように浮かび上がっている。
洞窟の中が、薄暗くてよくは見えないけど──魔人には、黒い角のようなものが3本。後頭部と額に、それぞれあった。
金色の怪しい光を宿す両目からは、泣いた跡のような黄色い筋のようなものが、血管のように広がり魔人の頰を伝っているのが分かる。
けど──、魔人以上に、魔人って──パトト爺ちゃんって、一体……。
「フン!! ワシと、お前らが同じに見えたか? やはり、魔人は、バカが多い」
パトト爺ちゃんが、構えていた長くて大きな光輝く剣を──ピタリと密着させていた魔人の首筋から、静かに降ろすと──剣は、たくさんの小さな『お星様』になって、洞窟の中の暗闇を少しの間だけ飛んで、消えていった。
「ククク……。確かに。数千の命を持つ私は無敵ですが、数千の命を一瞬にして奪う貴方の前では無意味。貴方の意識を逸らそうにも、貴方には一分の隙も無いですしね……。逃げることすら叶わない」
何か、あっさりと──自分の負けを認めたように、両手を広げて身振り手振りでペラペラと話し始めた魔人。
けれども、不敵な笑みが、真っ赤な口からこぼれる魔人の表情は、私の心を震えあがらせるには充分だった。
──ギラギラとした金色の目。黒光りしている魔人の身体。それに血管のように広がっている黄色い筋のようなもの。人の身体とは思えないほど異様なまでに発達した筋肉。
魔人の得体の知れなさが、私の身体をこわばらせる。怖い──
(──……そんなにも、怖がらなくても大丈夫だよ……──)
「え?」
私の中に響いた声──
(『お星……様』? なの──?)
私が、心の中で聴き返すと──
(──……星。風の星……──)
私の肩までかかる栗色のウェーブした髪の毛の先端が、風が吹いたように揺れて──
マントのように私が羽織っていた怪鳥パピロの白い羽毛から創られた私の上着の裾がフワリと浮いた。
洞窟の川の岸から上がって、ずぶ濡れになっていたはずなのに──私の着込んでいた牛みたいな魔物ズーの毛皮で出来た茶色い分厚い服が、なぜか、もう乾き始めていて──食人植物の魔物ジャンボウツボカズラの緑色の繊維で創られた──太ももの見える私の短めのズボンと靴は、私の肌からは、湿った感じがしない。
私の身体の中が、なぜかフンワリと暖かくて──
何かが──青紫色の光が、私の見つめる小さな胸の上でキラキラと答えるように、光った。
「なら、お前の命そのもの──『闇の魂』を喰って良いか?」
まだ、ボンヤリと、青紫色の光の残る薄暗い洞窟の中に、パトト爺ちゃんの声が木霊して──私は、ハッとなって、顔を上げた。
パトト爺ちゃんは、右の手のひらに真っ黒い丸い石みたいな宝石のようなものを握ってて──人差し指で、クルクルと回したりしていた。
黒くて丸い石みたいなそれは、魔人の身体みたいにツヤツヤと黒光りしていて──まるで魔人の金色の目みたいに、ギラギラとしていた。
「ぐっ!! そ、それは……」
「やはり、気がつかなんだか? 間抜けめ」
パトト爺ちゃんの右の手のひらの上で、クルクルと回る、それ。
(『闇の魂』……。そんなのあったんだ……──)
それも、初めて見るし、初めて聞く言葉だけど……。
私は目を丸くして、パトト爺ちゃんが魔人の黒い宝石みたいな『闇の魂』──をクルクル回す姿を、まだほんの少しだけ青紫色を灯す洞窟の光の中で──見つめていた。
「くっ!! クク……。良いでしょう!! お食べなさい!! 私の『闇の魂』を!! 所詮、この世界は弱肉強食の地獄っ!! 貴方の血肉──魂の一部ともなれば、これ以上ない至福っ!!」
狂ったように黒光りする身体を揺らしながら笑う魔人。
恐怖に私の身体中が、再び貫かれる。
(怖く──ない……)
私が服の中の胸のあたりを見つめると──私の素肌に青紫色に答えるように光って──お星様の声が私の頭の中を響いた。
「フン!! 狂人め。やはり魔人は気に入らんな。が、利用価値はある。もう一度聞いてやるが、貴様の『星等級』は幾つじゃ……?」
ここでも分からない言葉が出て来る。
『星等級』って、何だろう?
私の知らないことばかりだ。
けど、パトト爺ちゃんは、なぜか私の知らないことを、何でも知っている──
パトト爺ちゃんが、着込んだ竜の素材から出来た鎧兜から伸びる物凄い筋肉の隆起した両腕をダラーンと垂らしたまま立って、首や肩をゴキゴキ鳴らしながら魔人を見下ろすようにして睨んでいる。
「クク……。5ですよ! 5!! 私の『闇の魂』に刻まれているのは、『五冥星』ですよ!! パトト!!」
魔人の隆起した黒光りする身体の胸の筋肉が異様なほど発達していて、魔人が笑うたびに揺れる。
魔人が話ながら、右手の黒い五本の指先をパッと広げて、パトト爺ちゃんの方へ、広げた五本の指の先端が良く分かるように、手の甲を向けて立っている。
魔人の一挙手一投足で、何もかもが壊れるんじゃないかって思うほど、魔人が身体を動かすたびに、空気までもが振動しているのを私は、肌で感じる。
パトト爺ちゃんは、それを難無く受け流すかのように、まるで何事も無かったかのように寛いで立っているのが分かる。
余裕だ──
「フン!! 魔人どもの中では中堅クラスか……。魔人どもが暮らす中央魔大陸では、そこそこ使えるの。駆け出しの魔人にしては、そこそこの強さじゃったが……。魔人になる前の貴様の『職業』は何じゃ?」
(──『中央魔大陸』……──? 一体、世界は、どうなっているの……?)
聞いたことない言葉ばかりだ。
『中央魔大陸』──って、やっぱり私の目の前にいるこの黒い魔人みたいなのが、ウヨウヨいる場所なのかな? それって──、って想う。
ウミルの村から出たこと無い私には、そんな場所は命を獲られるような恐怖の場所としか思えない。
私は、自分の小さな胸に服の上から手を当てて──ぎゅっと、自分の右の手のひらを握りしめた。
(それと、『職業』……?)
『職業』って──?
──そうだ。パトト爺ちゃんが言ってた。
大人たちのお仕事には、パトト爺ちゃんみたいに、武器や防具や装備品を作るような特別なお仕事をする人たちがいるって……。
ウミルの村に住む大人たちにだって、『職業』みたいなのは、ある。
毎日している村の人たちのお仕事。
けど、みんな、ウミルの村では協力して生活してるから、得意なこととかはあるにしても、ひとつのお仕事だけをして生きてるわけじゃない。
いろんなたくさんのお仕事が出来てこそ、初めて一人前の大人だ。
一個だけのお仕事なんて、小さな子どもにだって出来る。私にだって。
私は少し目に掛かりそうな前髪を、ほんの少しだけ左の手でかき上げた。
「フフフ……。『学者』ですよ!! クハハハ!! 『星の魔法陣』の『書き換え』に成功したのは、私のみ!! しかし! 私の論文の解読と私の編み出した『星制御魔術』を再構築して模倣するにしても、他の魔人どもには、とても時間の掛かることでしょう!! が、いずれにせよ、他の魔人どもが、『星の五大陸』にやって来るのも時間の問題かと想われますが……? そう遠くないはずです」
次から次へと出て来る私の知らない言葉たち。
(『学者』? 『星の魔法陣』? 『書き換え』? 『星制御魔術』? それと──、『星の五大陸』……)
尖った黒い五本の指先を額にあてて、顔を左手で覆いながら洞窟の天井のツヤツヤとした岩肌を仰ぎ見るようにして笑う魔人。
魔人の笑い声が、洞窟中を振動して駆け巡る。
私は、魔人が笑うたびに、胸に手を当てた右の手のひらを、ぎゅっと握りしめた。
そのたびに、私の小さな胸の中で、キラキラと答えるように青紫色に光輝くお星様。
俯いた私の不安な気持ちが、お星様の輝くたびに薄れてゆく──不思議な力。
今は、お星様──が、ステラって言うのだけは、分かる。
「ハッ!! なら、時間に猶予は、あるわけじゃ。貴様の『闇の魂』を喰って、『命の盟約』を与えておく。貴様、もう逃げても良いぞ? 身体だけは残しておいてやる……」
クルクルと──もう一度、魔人の黒い宝石みたいな『闇の魂』を右手の人差し指で軽く回し始めたパトト爺ちゃん。
『命の盟約』なんて言葉も、私は初めて聞いた。
(約束──? みたいなものなのかな?)
パトト爺ちゃんの、その言葉を聴いた魔人が──一瞬ピクリと動いて、笑うのをピタリと止めた。
「な!? 『命の盟約』!? 私を一体、どうすると言うのです!?」
「罪無き人々を殺すなと言うことじゃ」
「!? 罪などと!! 人それぞれの価値観によって違うじゃあないですか!?」
「フン!! 自分で考えてろっ!!」
そんな風にして──
何が何だか分からない内に、真っ黒い金の目の魔人と、パトト爺ちゃんとで、この真夜中の薄暗い青紫色の光の残る洞窟の中で話が進んでゆく。
「なぁ? リリル?」
「え? な、なに? ジャンゴ……?」
今まで四つん這いになって俯いてたジャンゴが、ユラリと立ち上がって、フラフラとした足どりで私へと近づいた。
私は、少しビックリして──そのまま、胸の上で握りしめていた右の手の甲の上に、左手をのせて──ジャンゴへと振り返った。
「俺たちって、どう思う……?」
俯いたまま両手をダラーンと降ろして、まるで力の抜けた人形のように立っていたジャンゴが、少しだけ毛むくじゃらの顔を上げてギョロっと、白い目を覗かせて私へと尋ねた。
「どう思うって……? ジャンゴと私? んー……。13才になったばかりの毛むくじゃらなジャンゴと、明日でやっとこさ13才になれる私──どっちも二人とも、ただの子どもじゃない?」
「だよな……。ただの毛むくじゃらな俺と、『風の星』の力を宿したリリル──だよな……」
毛むくじゃらなジャンゴが、虚ろな目をして、溜め息混じりに──私へと、顔をうな垂らせて、そう告げた。
「え? ま、まあ。これから……じゃない? ジャンゴ……? 私も、こんなことになっちゃって、どうしたら良いかまだ分かんないし? 気を落とすこと、ないよ?」
なんだか、いつもとは様子の違うジャンゴが、私は少し心配になった。
なぜか、私の小さな胸の中から、お星様の青紫色の光が、何か言いたそうに一瞬だけ光って消えた。
それから、私の栗色のウェーブした髪の毛の先端が、肩のあたりで少しだけフワリと揺れた。
「──俺。……強くなりてぇ……」
「──……ジャンゴ……?」
悔しそうに、身体を震わせながら、俯いて溜め息をつくジャンゴ。
「──うおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」
毛むくじゃらの顔を掻き上げたジャンゴは、まだ青紫色の光を残す洞窟の岩の天井に向かって、身体を仰け反らしながら咆哮した。