1話。ウミルの村
世界にひとつ──流れ星が落ちた。
昔、昔──遙かなる場所から、それはやって来た。
──大予言者、ホーリーホックのお話は、こんな風にして始まる。
それは、私の大好きなお話。
「うぅ。寒い」
流れ星。見上げる空。ちょっと寒いけど。
ホーリーホックのお話を想像しながら、プルート山脈に囲まれたこのウミルの村から見上げる星空は美しい。
パトト爺ちゃんと一緒に暮らす私の家は、村の中でも小高い丘にあって、立派な樫の木が生えている。
その樫の木にもたれ掛かって、この夜空を眺めるのが私のお気に入り。
だけど、私は女の子で──友達の男の子の毛むくじゃらジャンゴみたいに、ひょいひょいって樫の木のてっぺんまでは登れない。
そう──
ジャンゴは、私と幼なじみ。
いつからだろう? ジャンゴと遊ぶようになったのは。
そういえば、ジャンゴ。13才になったって、威張ってたっけ? 鼻の穴膨らませて。
けど、ジャンゴだけなんで、毛むくじゃらなんだろって、いつも思う。
私もだけど、他のみんなは、ツルッツルなのに……。
「おーい! リリルー! めしー!!」
「はーい!」
パトト爺ちゃんが、呼んでる。
武器職人でもあるパトト爺ちゃんは、ちっちゃな小人みたいだけど、凄い力持ちだ。
身長は、私の半分くらい。
山や川に入っては、六本足の馬とか、頭が何個もある鰐だとか、軽々ひょいって一人で担いで家まで運んで来る。
こないだは、火ノ山に行ったーとかって、真っ赤なドラゴンを家の庭でザクザクさばいてたっけ?
火竜──ファイアーブレスドラゴン?
……んまあ、名前なんてどうでもいっか。
たぶん、今日の晩ごはんも、ファイアーブレスドラゴンだ。
こないだ、私なりに気を利かせて、ファイアーブレスドラゴンを鍋に入れて油で揚げようとしたら、危うく家が丸ごと火事で燃えそうになった。
そしたら、「お前は、なんもせんでもいいっ!!」って、パトト爺ちゃんに凄く怒られた。
あー。
私に本当のお父さんやお母さんがいたら、パトト爺ちゃんとは違って、すんごく私に優しいんだろなー。
そう言えば──私は、どこからやって来たんだろ?
私の本当のお父さんとお母さんって、いるのかな?
どこかにいるはずの、私のお父さんとお母さん。
私が、ここにいるってことは、お父さんとお母さんもどこかにいるはずなんだから。
でも、パトト爺ちゃんみたいに私の身長の半分くらいの小人じゃないだろうし、私と幼なじみの毛むくじゃらジャンゴみたいに、毛むくじゃらじゃないだろうし。
(どこにいるのかな?──私のお父さんとお母さん)
そのことをパトト爺ちゃんに聞いても「知らん!」って言うし、「俺が拾った」とか私のこと物みたいに言うし。
(あー。私にも本当のお父さんとお母さんがいてくれたらなー……)
今日だって、またひとつ。真っ暗な夜の空を眺めてると、私の頭の遥か上で、お星さまがスーッと流れては消えて行った。
ホーリーホックのお話の中の言葉のように。
(私は、ずーっと、お父さんにもお母さんにも会えないまま一人なのかな? 何処へ行くんだろう──?)
私は膝を抱えながら、樫の木にもたれ掛かって夜空を見上げる。
空の中を流れてくお星さまを見上げて、いつもそんな風に想うんだ。
消えてゆくお星さまが、いつか何処かに流れついて──
(──私と同じなのかな? そしたら……。会える──?)
まあ、いっか。私には、ジャンゴもパトト爺ちゃんもいるし。私は、生まれた時から一人みたいだったし。
「おーいっ!! リリルー!! めしーっ!! 早う来いっ!!」
「はい、はーい! 今いくー!!」
ハー……。良いとこだったのに。
私のロマンチックな幻想が冷めちゃった。
私を育ててくれたパトト爺ちゃんは、めしっ!めしっ!!ってうるさいけど、私には大事な人だもんね。
ま、しょーがないっ……か。
けど、こうやって星空を眺めるのは、私の楽しみの一つ。
「いったい、何処へ行くのかなー? お星さま……。あっ! ヤバい、ヤバいっ!!」
そろそろ行かないと、パトト爺ちゃんが本気で凄く怒る。
あんな、小っちゃな身体なのに怒ると凄く怖いんだ。
(ガチャガチャ!! バタン! ドン──!!)
庭の樫の木より立派な大きな木をくり抜いて作ったパトト爺ちゃんの木のお家。
私は、パトト爺ちゃんの作った木のお家に入る。
大きな木製のテーブルの上に、たくさん並べられたファイアーブレスドラゴンのお料理。
焼きファイアーブレスドラゴン。
揚げファイアーブレスドラゴン。
茹でファイアーブレスドラゴン。
……その中でも、ファイアーブレスドラゴンの心臓?だけは、刺身にして置いてあった。
(うげ。ファイアーブレスドラゴンの心臓? 食べれるのかな? まだ、ピクピク動いてる……)
私が、家の中に戻ると、ゴウゴウと燃える暖炉の真っ赤な炎を背に、小っちゃなパトト爺ちゃんが、木の椅子にちょこんと座って、目を三角にして待ってた。
やっぱり、怒ってるみたい。
「遅かったじゃねぇか……。早く喰えっ!!」
「は、はーい」
んー。
パトト爺ちゃんは、小っちゃいのに、いつももの凄くせっかちだ。
「いいか? 料理ってぇのはだな。出来たてが一番上手いっ!! 特にファイアーブレスドラゴンってぇのはだな……」
「炎の魔力が消えない内に、早く喰え!! でしょ?」
「おぅ……。分かってるじゃねぇか……」
なんでもそうかも知れないけど、魔物は生で食べるのが一番栄養──魔力がある。
けど、ドラゴンは硬いし、毒もある。とてもじゃないけど噛み切れないし、呑み込めない。
だから、パトト爺ちゃんが何日も前から仕込んで、何時間もかけて、やっとこさ出来たんだから「早く喰え!!」って、パトト爺ちゃんが言うのも分かる。
(けどな──。味……)
シンプルに塩ゆでにするなら、マンドラゴっていう人面サツマイモの方が、美味い。
あれ? サツマイモ? 人参だっけ? 滋養強壮とか言う不思議な魔力アップの効果が、あるんだっけ?
「どうした? リリル?」
「いや、あ、なんでもない。なんでもない……」
ドラゴンは、硬いウロコで覆われてるから下処理も大変だ。
普通の炎は通さないし、火炎魔法も通さない。そもそも、ドラゴンっていうのは、魔法耐性も物理耐性も、すんごく高い。
(どうやって、下処理したんだろ? パトト爺ちゃん──)
パトト爺ちゃんは、危ないから見るなって、私にいつも言う。
それでも、気になった私は、毛むくじゃらジャンゴも遊びに来ないし、暇だったから遠くで見てたんだけど──
なんか、パトト爺ちゃんの動きが速すぎて見えなかった。
パパパ──っと、なんかが光ってドラゴンが宙に浮いたかと思ったら、サササ──っと、ドラゴンが細切れになってて……。それからは、なんか手作業で、地道にザクザク切ったりしてたみたいなんだけど……。
あ、始める前もそうだったけど、終わった後も、ブツブツとなんかお祈りみたいなのしてたっけ?
あれが、魔法なのかな?──パトト爺ちゃん特別製の?
でも、ウロコにしろ、爪にしろ、牙にしろ、ドラゴンの硬い部分は武器の素材にもなるし貴重だ。
たぶん、パトト爺ちゃんは、新しい武器の素材を取って来るために何日もかけて、火ノ山に入ったんだ。
私には、危ないから家にいろ、着いて来るなって言ってたけど……。
でも、味付けが、ぜんぶ塩って……。
いや、そんなことは、今さら言ってみてもしょーがない。私が、生まれた時から、これだ。ぜんぶ塩の味付けには慣れてる。
けどなー……。
「もっぺん聞くぞ? どうした? リリル?」
「あー、いや、アハハ……。塩の味付けも良いけど、爺ちゃんが前に採って来た何かの植物の実? アレをいつもみたいにすり潰して粉にしてまぶしたら、もっと美味しいかなー? なんて……」
「あー。アレは、こないだのめしで、ぜんぶ使っちまったな。贅沢言うな。早う喰え。この辺の山脈は岩塩が豊富だが、めしに合う珍しい実は、もっと遠くの山に行かにゃあならん。珍しいもん持って来る旅人も、トンと来んしのぅ」
パトト爺ちゃんの「もっぺん聞くぞ?」の後には、ちゃんと答えないと、私は決まって怒られる。
ドラゴンより炎みたいに真っ赤に怒るパトト爺ちゃんだけど、特別何かをされるわけじゃない。
けど、ドラゴンだって倒しちゃうんだから、何かされたらパトト爺ちゃんのバカ力で、私は死んじゃうんじゃないかって思う。
「お、そうだ。リリル。これ、ドラゴンの心臓な。食っとけ」
「えー? 生じゃん!? 食えるの?」
「心配するな。美味くはないが、この部分は生でも食える。それに魔力も高い。それと、ほれっ──」
ズズズ……と、パトト爺ちゃんの飲んでる木の器と同じものを渡され──見ると、真っ赤な液体がタポンと、入っている。
「おげっ!! こ、これって……」
「ドラゴンの血じゃ。飲め」
「うぅっ……」
ドラゴンの血──飲むと空が飛べるとか、ドラゴンみたいに強くなるとか、魔法が使えるようになるとかってパトト爺ちゃんは言うけど、私は信じない。
だって、私は、飲んだことあるけど、幼なじみの毛むくじゃらジャンゴみたいに、樫の木のてっぺんすら登れない。
嘘だ……。
「無理にとは言わねーが、飲めねーのか? 井戸の水なんかよりもよっぽど栄養価も高いし、魔力も高いぞ? まだ、樽にもたくさんあるし、ほれっ。飲んどけ」
「えー! 嫌だ。井戸の水の方が良い!」
「うぃ……。もったいねぇな? なんでも有り難くいただかねぇと、バチが当たるぞ? 特にドラゴンは賢いからな。呪いも強い。どーなっても知らんぞ?」
ドラゴンの血にパトト爺ちゃんは自分で作ったものすごく強いお酒を混ぜて飲んでるみたいだった。……パトト爺ちゃんは、だんだん酔っぱらって来たみたいだ。
「パトト爺ちゃんが、ドラゴンなんて殺しちゃうから、いけないんでしょっ!!?」
「うぃ……。言ってろ。人ってぇのはだな……、業の深い生きものなんだよ。種族こそ違ってもな。同じさ……」
「業って? 何よ……? うぅっ……」
なんだか悲しくなって来て、ファイアーブレスドラゴンには申し訳ないけど、パトト爺ちゃんが差し出したドラゴンの血と、パトト爺ちゃんが作ってくれたファイアーブレスドラゴンのお料理を、もぐもぐと噛んでお腹の中に流し込んだ。心臓も。
なんか、涙とか鼻水まで出て来て、味が分からなくなって来た。
それから──
パトト爺ちゃんは、ガーガー……ぐぅぐぅ……と、椅子の上で大イビキをかいて眠ってしまった。
寝息を立てるパトト爺ちゃんのお腹の上で、パトト爺ちゃんの白くて長い立派な髭が、揺れている。
パトト爺ちゃんは、私の半分の身長しかないけど、とっても重いからそのまま毛布を掛けてあげた。
(パチ……パチ……──)
暖炉にくべてある薪が、炎とともに音を立ててる。
お家の壁には、パトト爺ちゃんの作った斧とか刀──鎧や兜なんかが置かれてて、暖炉の赤い炎に照らされている。
地下室に行くための階段は、暗くて静かだ。シーンとしている。
地下室は、パトト爺ちゃんの工房で、たくさんの武器や防具……装備品が置いてある。
「私も、寝なきゃな……」
残りのドラゴンの料理を片付ける。
ドラゴンの肉は、腐りにくい。
けど、今日は悲しくて……なんだか食べた気がしなかった。
「ごちそうさまでした。ありがとう。ごめんね……」
パトト爺ちゃんをチラリと見たけど、椅子の上でぐぅぐぅと寝たままだ。
たぶん、風邪は引かない。いつものことだし、丈夫だから。寒いけど。
暖炉の火を消して、私も二階に上がった。
その時だった──
(コンコン──)
二階の私の部屋の窓を叩く音がした。
「え? だ、誰──? ジャンゴ?」
「シー!! 静かに、リリル! パトトのジジイは、寝たか?」
真っ暗闇に、窓からブラーンと宙吊りみたいに逆立ちしたジャンゴが、真っ黒な毛むくじゃらな顔に白い目玉をギョロギョロさせて私に言った。
「びっくりした!! いつものことだけど、慣れないよー」
「あー。悪い悪い。いつものことだけどな!!」
そう言うと、ジャンゴは、宙吊りみたいに逆立ちしたまま、窓から顔を出して──毛むくじゃらの顔のまま、ニタリと、いつものように笑った。