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ふたりはずっといっしょ~百合と林檎の物語~  作者: 館西夕木
第二部 八神邸殺人事件
41/55

第四十話  罪悪感

 1



 翌朝、私たちは西町商店街を歩いていた。


 綺麗に舗装された歩道の上に屋根があるアーケード商店街で、私たちがチェックインしたホテルもこの商店街の端に建っていた。

 中央に車道を挟み、東西方向に長く伸びている。

 車の往来が激しいものの、人通りはそれほど多くない。しかし、寂れたシャッター商店街というふうではなく、どの店も古いけれどちゃんと営業していた。


「ここを真っすぐ東に歩いて行けば、浅間大社の前まで行けます」


 私たちに同行している静岡県警捜査一課の刑事、本宮もとみやが言った。

 ごつごつとした無骨な顔立ちに角刈りがよく似合っている。体格もよく、高校時代はラグビー部に所属していたようだ。

 こういう男性が私のストライクゾーンドンピシャなのだが、残念ながら本宮は既婚者である。


「浅間大社って流鏑馬祭りくらいしか知らないわ」


 梢が言う。


 石田友起の妹、石田光子(みつこ)の家は商店街の中ほどにあった。年季の入った蕎麦屋で、まだ開店準備中のようだった。

 木製の看板に筆書きで「石田蕎麦」とある。ぎしぎしと派手な音を立てる戸を引いて中に入る。店内は閑散としていて、蒸し暑かった。


「どちらさん?」


 店の主人と思われる老人が奥から出てきた。白い鉢巻を頭に巻き、紺色の作務衣を着ていた。


 本宮が前に立ち、来意を告げる。


「警察? なんでまた……光子に用ですか。わしゃ聞いてませんが、ちょっと待っていてな」


 主人がのれんの奥に姿を消す。どたどたと階段を駆け下りるような音がしたかと思うと、若い女性が現れた。

 まだ十代にも見えそうな若い女だ。丸っこい顔にぱっちりとした大きな瞳が可愛らしい。髪は肩の辺りで切り揃えられ、眉毛は薄くなっている。


「石田光子さんですか?」


「はい」


「お時間を割いていただきまことにありがとうございます。こちら、探偵の武光梢さんと、その助手で推理作家の楓さんです」


 推理作家の前に助手という肩書を付けられたことに不満を感じたが、この場では特に間違っていないので訂正しない。

 私たちは互いに挨拶を交わした。

 彼女は窓際のテーブル席を私たちに勧め、そこで話を聞くことになった。光子はこういう状況に慣れていないようだったので、まずは雑談で彼女の緊張をほぐすことから始めた。


 梢は柔らかな声色で訊く。


「ここがご実家ですか」


「は、はい」


「光子さんのお年は?」


「二十五です」


 年上だったのか。


「いい雰囲気の店ですね。店を始めて長いんですか?」


「ひいおじいちゃんの代から続いている老舗です。一応」


「はぁ、それはすごいですねぇ」


「先ほどのご主人がお父様ですか?」


「いえ、あれはおじいちゃんです」


 それから十分近くとりとめのない話を続け、ようやく光子の口も滑らかになってきた。


「あの、私、八神の旦那さんが殺されたって、ニュースで見て、もしかしたら、と思って電話したんです。もしかしたら全然事件には関係ないかもしれないんですけど」


 聞くところによると、石田友起と八神の関係について、光子の方から警察に直接連絡をして情報提供したらしい。

 兄の突然の自殺に思うところがあったのだろう。


「そんなことはありません、石田友起さんと八神家の関係こそ、この事件の肝かもしれないのですから」


 梢は自信たっぷりにそう言った。


「本当ですか?」


「ええ。それでまずお訊きしたいのが、八年前、お兄さんが八神邸で使用人として働いていたのは事実ですか?」


「はい、兄の口から直接そう聞きましたので」


「お兄さんは当時劇団員としてヤガミグループの運営する劇団に所属していたそうですね。それがどうして使用人に転職なさるようなことになったのでしょう」


 光子は伏し目がちになって、


「兄は、その……二〇〇八年の夏から一年ほど休業していました」


「なぜですか?」


「兄はその夏、初めてメインの役を貰って舞台に立ったんですが、そこで大きな失敗をやらかしてしまって、八神さんの奥様の怒りを買ってしまったらしいんです。座長の妻という立場の上、奥様は劇団蝶花の元看板女優でしたので、劇団内でも発言権が強く……」


「干されてしまったわけですね。具体的にはどのような失敗でしたか?」


「クライマックスで台詞をド忘れしてしまったんです。そういうミスは役者をしていく上では避けられないものなんですけど、兄はひどく自信を喪失してしまいました」


「それが休業の理由ですか」


「あの頃の兄は本当に荒んでいて、ずっと自分の部屋に引きこもっていました」


 思い出すのも辛いというふうに、光子は唇を噛みしめた。


「そこから復帰まで一年ちょっとの時間がありますが、八神邸にはいつから?」


「えーと、たしか二〇〇九年の五月くらいだったかな」


 復帰がその年の十月だから、使用人として働いていたのはたったの五か月間ということか。


「使用人として働くきっかけは何だったのでしょう」


「八神さんから直接お誘いがあったみたいです。あの人は兄のことを前々から気にかけてくださっていたようで、わざわざここに足を運んで、すさんだ生活を送っている兄を一喝してくださったんです」


「ほう、わざわざ、ね」


「兄は元々俳優としての八神勇心に憧れて役者の道を志すようになったんです。だから兄は八神さんを本当の父親のように慕っていて、あっ、父は私たちが子供の頃に亡くなっているんです。だから余計に……」


「しかし屋敷には八神さんの奥様がいらっしゃったはずでしょう。友起さんを舞台から引きずり下ろした張本人が」


「あ、それはですね、奥様――八神夏江さんというんですけど、八神さんとこの方は二〇〇九年の三月に離婚しているんです。だから兄が八神家の奉公に出た時は、もういなくなっていたようです」


 つまり、八神勇心としては目をかけていた石田をなんとか再起させたかったが、妻がそれを許さなかったということか。

 その妻と離婚したことで石田の復帰の障害が取り除かれたわけだが、役者としての復帰の前に、使用人として働かせるというワンクッションを挟んだ理由は謎のままである。


「奥さんがいなくなったなら、そのまま復帰できたんじゃないんですか?」


 私は疑問をそのまま口にする。光子はこちらに顔を向けて、


「兄はもう役者の道を完全に諦めていたと思うんです。それくらい打ちひしがれていました。たぶん八神さんは、兄をそばに置いて再び役者の道に進むよう、説得するために一時的に使用人として雇用したんだと思います」


「ああ、なるほど、それなら筋が通りますね」


 これなら五か月間という短すぎる雇用期間の理由も説明できる。要は説得に五か月かかったというだけの話なのだ。


「八神夫妻の離婚の理由はご存知ですか?」


 再び梢が質問を繰り出す。


「さあ、そこまでは聞いていません」


「お兄さんが使用人として働いていた間、何かおかしな事件があったとか、そういう話は聞いていますか?」


「……いえ、そういうことは何も。ただ――」


「ただ?」


「復帰後の兄は、時々苦しそうな表情をすることが多くなりました。無事に劇団に復帰できて、テレビや映画の仕事も舞い込むようになったのに。仕事が増えていくほど、そういう表情を見せることが多くなりました。あれはまるで……」


 室内は蒸し暑いのに、気がつくと肌が粟立っていた。


「まるで?」


 光子は口を半開きにしたまま、浅い呼吸を繰り返している。慎重に言葉を選んでいるようだ。私たちは黙ったままじっと彼女の口元を注視していた。




「まるで、そう、罪悪感に苛まれているみたいでした」




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