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ふたりはずっといっしょ~百合と林檎の物語~  作者: 館西夕木
第一部 灰谷百合の青春
18/55

第十七話  納得できるはずがない

 1



 楽屋に戻り、勇心と合流する。


「私は打ち上げに参加するから、お前たちは戻っていなさい。タクシーは呼んである」


 そうして、夏江、林檎と共にタクシーの後部座席に乗り込んだ。林檎は疲れてしまったのか、走り出すなり眠ってしまった。

 林檎を間に挟み、わたしたちはしばらく無言の時間を過ごした。その重い空気を断ち切るように、わたしは口を開いた。


「あの……夏江さん」


「なあに」


「林檎のことでお話が……」


 夏江はほっそりとした手で林檎を撫でながら、わたしを見つめた。相変わらずの笑顔だが、目だけは笑っていなかった。手が汗でじっとりと滲む。


「なにかしら」


「城戸先生から、林檎の心臓について聞きました。単刀直入に言います。移植手術を受ければ、林檎は助かるんですよね」


「そうね」


 ふっと息を吐き、夏江は言った。


「当然、受けさせるおつもりですよね」


 夏江は答えぬまま、窓に映る自分の顔を眺めていた。わたしはもどかしさでいっぱいになる。どうして、すぐに「そうね」と言わないのだ。自分のお腹を痛めた子ではないのか。着々と近づいてくる我が子の死に対して、積極的に抗うのが親の役目ではないのか。


「運が巡ってくれば」


 それだけ言って、夏江は林檎の手を握った。


「どうしてそんなに消極的なんですか。林檎の生死がかかってるんですよ」


 わたしは抗議の視線を義母に送った。感情が高ぶる。


「城戸先生に聞きました。国内は望みが薄くても、海外でなら可能なんですよね? 八神家はお金持ちだし、費用だって――」


「それこそ望み薄よ」


 夏江はわたしの言葉を遮るように言った。


「どうしてですか」


「ヤガミグループが、医療機器を製造している会社だってことは前に説明したわね」


「はい」


「どういうものを造っているのか、判る?」


「いいえ」


 わたしは首を横に振った。


「造っているのは主にカテーテルと呼ばれる細い管のような医療器具で、これは血管や尿道から体内に挿入するの。国内だけでなく、海外の一部の国にも輸出しているわ」


 それがどうしたというのか。なぜ彼女がこんな話を始めたのか、わたしには理解できなかった。


「直接体内に入る医療器具だけに、不良品や医師の不手際による事故は死に繋がってしまうの。何が言いたいか判るかしら?」


「いいえ」


「六年前に起きてしまったのよ、アメリカの大学病院で死亡事故が。ヤガミグループのカテーテルを使用した手術でね。もちろん、原因ははっきりしているわ。心臓に挿入したカテーテルが誤って心臓の壁を突き刺してしまったの。もちろん後の捜査でカテーテルに不備があったわけではないことが判明したから、当然過失は医者にあるわ。けれど、責任の所在がはっきりするまでずいぶん長い時間がかかってしまった。その間、ヤガミのカテーテルで事故が起きた、という報道が世界中を駆け巡り、多くの病院から手を切られてしまった。悪名として広まってしまった名前は、そう簡単に覆ることはないわ。そしてその事故の翌年、林檎の病が発覚したの。よりによって心臓の病気だなんて、神様も意地悪ね」


「そ、それで?」


「海外での移植手術はもちろん最初に検討したし、可能な病院を必死に探して回ったわ。でも、どこの病院もこっちがあのヤガミだと判った途端、手のひらを返したようにNOを突き付けてきた。『天罰だ』と中指を立てられたこともあったわ」


「……そんな」


 全く予想外の話だった。


 そこまで話し終えると、夏江は息をつき、目尻に手を当てた。小さな涙の粒が筋となって彼女の頬を伝う。

 わたしはわたしで、彼女の語った内容をなんとか理解しようと努めた。しかし、話を理解することと納得することは全く別である。こんな理不尽な仕打ちを、納得できるはずがない。


「医療事故はヤガミグループのせいじゃないでしょう。林檎は関係ないじゃないですか」


 ヤガミグループの医療器具を使用して事故が起きたからといって、その報復として林檎の手術を拒むなんておかしい。林檎に責任はないではないか。わたしは怒りで頭が沸騰しそうになった。


「その結論が出たのはもう何年も後になってから。つい最近なのよ。人の認識を変えることはとても難しいわ。特に、一度崩れた信頼を取り戻すことはね。これで判ってくれたかしら。海外で移植手術を受けることは絶望的なのよ。お金の問題じゃないの」


「判りません、判りません」


 わたしは思い切り首を振った。とうてい納得できる話ではない。


「あなたみたいな素敵なお姉ちゃんができて、きっと林檎も満足しているはずよ」


「林檎が死んでもいいんですか? それでも、この子のお母さんですか?」


「そんなに大声を出さないで。林檎に聞こえてしまうわ」


 わたしはハッとする。目を落とすと、すやすやと寝息を立てる林檎の顔があった。


「百合さん。あなたの言いたいことは判るわ。だけど、私たちにできることは限られている。手術が受けられるかどうかは神のみぞ知る。どういう結果になっても、この子が幸せだった、と心から思える人生にしてあげること。それが、今私たちがこの子にしてあげられる唯一のことよ。百合さんも、そうして貰えたら嬉しいわ」


「……はい。それは、そのつもりです」


「ありがとう。百合さんは優しい子ね」



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