薬師見習いの決意(一)
夕暮れの中、川の近くにある村から秋祭りの歌と太鼓の音が楽しげに聞こえてくる。
今頃、神社では水神様に捧げる踊りで賑わっている頃だろう。
「薬師様、娘の様子はどうでしょうか」
女の切羽詰まる声が、遠くに飛んでいた征丸の意識を引き戻した。
自分に向けられた問いではない。
女の問いに年老いた薬師が首をかしげる。
「うーむ、病という類のものではないようじゃな」
白髪頭はきれいに整え、長い白髪眉で目は埋まってしまっているが、やさしげな雰囲気の老人だった。
部屋の真ん中に敷かれた床には一人の娘が横たえられていた。
老薬師の後ろに座っていた征丸は、その背中越しに娘の顔を覗き見る。
娘の年は十くらい。
唇に色はなく肌の色も白いというより蒼白。憔悴しきっており生気を感じない。
征丸もまた老薬師と同じように首を傾げた。
村外れの商人の娘が病に苦しんでいると聞いて来たのだが……。
「昼間はずっと眠り続け、起きないのでしたな」
老薬師が娘の母親である女に問う。
「は、はい……」
女は目をそらしあいまいに答えた。
「病のようにはみえんがのう……」
女の話を聞き、老薬師は目をつむり考え込んだ。
「あのう、薬師様。実は……。娘は病ではなく、物の怪に取り憑かれているようなのです」
「物の怪に?」
「……ええ」
女の話によれば、三日前、娘の父親である屋敷の主人が都で物売りから怪しげな物を買い、都の陰陽師を家に招いた。それ以来、娘の様子がおかしくなったという。
最初の娘の異変は眠りについたまま起きなくなった
、というものだったので病かと思い知り合いに薬師を紹介してもらうよう頼んだ。
「都の典薬院にもいらしたことがある薬師様がこの村にはいらっしゃるとお聞きしたものですから」
だか、昨晩は娘は夜中に目を覚まし屋敷の中をうろついているのを目にした。
娘に近付くと、表情なく虚ろな目で何やらつぶきながら歩き回る。
母親が慌てて娘を止めようとすると、母親の首に手をかけ、絞め殺そうとした。
「あれは何かに取り憑かれたような目をしていました」
「ふーむ、確かにこの娘さんの場合は我ら薬師の薬草や針の治療ではなく、呪術師や陰陽師の生業とするところかもしれんのう……」
母親が床に手をつき頭を下げる。
「薬師様、お願いでございます。夜になると何か……獣ののようなモノが屋敷内を走り回る物音もしますし、朝になると家具や柱に焼け跡があちこちに付けられるようになりました。都では病や物の怪に取り憑かれた際、お薬師様と陰陽師様で対処されると聞きます。どうか知恵をお貸しください」
「典薬院にいたのは若い頃の話じゃ。それより今の話で気になるのは、この娘子が暴れているわけではないのじゃな?この娘は眠ったままで、夜中に暴れているのは 別の物の怪か何かだと?」
「え、ええ。おそらく……」
話を聞きながら征丸が辺りを見回すと漆黒の漆に金の細工を施した箪笥や絹地に鮮やかな刺繍の入った記帳、その他高価な調度品がたくさんあった。
この部屋に来る時にちらりと見た、使用人たちの部屋は古びた床に質素な衣服籠、傷だらけ壁。部屋は湿気が多く薄暗かった。
『その家の雰囲気は主で決まる』
幼い頃征丸が祖父から教わった言葉だ。
征丸が屋敷の観察に熱中していると、「ところで」と女が征丸に目を留めた。
「そちらの方は……?」
「……へ?」
間抜けな声とともに振り向くと女と目が合い、征丸は慌ててうつむく。
「ああ、この子はうちで預かっている見習いじゃ。荷物持ちが必要じゃからのう」
「見習い?お薬師様のですか?その顔の布はお怪我か何かで……?」
女が覗き込むように征丸の顔を見ようとしたので、征丸は首を縮め女とは反対の方を向いた。
筒袖の直垂の前合わせ、括袴と庶民の格好だが、右目を布で覆っているのが目をひくのだろう。
早く自分の話題が過ぎ去ってはくれないだろうか、と願いながら征丸は身を小さくした。
「親を亡くし都の外れで捨てられていたのを拾った。顔を隠しているのはアザがあるからじゃ。アザが肌の色を変え目を病んでいるように見えるんで隠させておる。移る類のものではないが皆が怖がるでな。それより、娘さんの方をなんとかせにゃなりませんな」
薬師が話題を変えると、女は「ええ、どうかお願いします」と言ってあっさり征丸から目をそらし薬師に向き直り、話し始めた。
征丸は静かに安堵の息をついた。