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御魂の森  作者: 10ノ29
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静寂を取り戻す森

 田吾作の刀が振り下ろされた時、その場に弥生の姿は無かった。

 動く気配などない。まして動ける状態でもない。

 田吾作ほどの臆病者が直接止めを刺しに出てくる。その時点で挽回の手などあるわけがないと確信しての行動だった。

「…どこに!!」

 内心の動揺を隠す気もなく、周囲を慌ただしく見回す田吾作。当然だ。

 瀕死の獲物が、目の前から消えたのだから。

「田吾!後ろ!!」

 平八の声が後方より響く。すぐさま振り返る田吾作。そこに居たのは先ほどまで目の前で脚を押さえていた弥生。

 弥生が平八より後方に立っていることで田吾作の理解は既に崩壊した。



「最期の教えでしたね。止めは必ず、躊躇無く」

 田吾作の刀が振り下ろされるまさにその瞬間、弥生は自分が消えることを覚悟した。

 刀が、来ない。

 弥生は田吾作を見た。

 田吾作が止まっている。田吾作だけではない。平八も、舞い散る木の葉までもが止まっている。

「ねぇ、生きたい?」

(こんな状況で何を言って…)

 弥生が答えようとすると、声が出なかった。

「生きたい…?あなたが望めば、助けてあげる」

 白い着物を着た女は、その場から動かずに弥生を見据えている。

「このまま、死ぬか生き永らえるか、あなたの意思で選びなさい」

(ふざけるなよ、お前の仕業か)

「どちらでも良いでしょう?あなたが今選ぶのはこの男の刀を受け止めるのか、意地汚く生き抜くか。ふたつにひとつ」

 声の出ない弥生の意思を読み取るように言葉を返す女。

 弥生の苛立ちは募りながらも、選択の意味など何ひとつ無かった。

(こんな状況、生きたいに決まっているだろう!)

「あはっ…」

 弥生の意思に、女は初めて表情を変えた。

 嬉しそうに。だが、悲しそうに。

「ならば、あなたの名前を以って私にめいじなさい。あなたはこの状況で、何を望むの…?」

「俺は…生きたい、生き延びたい。弥生の名を以ってめいじる。この場を切り抜けられる力を授けてみろ!」

 弥生は女が言った通りに女にめいじた。なぜかその時は言葉が発せられたが、弥生自身は気付いていなかった。

「仰せのままに」

 女はゆっくりと弥生に近付いて、唇を合わせた。

 触れ合った唇から熱が伝わる。

 弥生は身体に流れてくる物を感じながら、自分の身体の変化を感じていた。

 まずは、肩だった。その次に脚、そして腹。みるみる怪我が消えていく。そして失われた血液が満たされる感覚。身体に体温が戻る感覚。

「…何をした?」

「怪我を治したの。でもそれだけじゃない。なんなら試す?このふたつのいのちを使って」

 女は固まったままのふたりを指差した。



 突然のことに、普段はは飛び出す平八も一歩半下がって弥生から距離を取った。

 まばたきなどしていない。そこまで油断をしている訳でもないし、平八だけでなく田吾作含めよっつの目。その全てが弥生を見失うなどあるはずが無かった。

 先ほど弥生に迫られた時に感じた恐怖、それ以上のものがふたりの心を支配していた。

「どうやってそこまで?外連の類ですか?」

「さぁな?俺にもわからん」

 田吾作の、時間稼ぎの言葉を受けて弥生は普段通りに言葉を返す。むしろ、普段通りでない方が救いがある。

 森の狐や狸に騙されている、そう思うことができたからだ。

 だが田吾作の問いに答えた弥生は、田吾作の知る弥生だった。

 幾分先ほどより余裕を感じられるその有り様にさらに怖気を感じている。

「貴様、ふざけるなよ!」

「平八!!…いやはや、とんだ隠し芸ですな。そのような芸当教わりたかったものです」

 田吾作は弥生に軽口を叩く。叩くしかない。このふたりでは最早手に負えない、その判断は早かった。

 頭に血が上りやすい平八ですら、その場からは近付こうとしない。その判断に田吾作は胸を撫で下ろす。

(こんな訳のわからない状況では、何もできるわけがない。早く、早く見つけてくれ)

 弥生の怪我が癒えていることは遠目でも理解していた。有り得ない、考えられない。助けてくれ。

 田吾作は、胸にしまった短筒に触れた。最後の最後の手として隠している、最後の武器。

 腕が伴わない田吾作にとって離れた場所から攻撃できる武器は安心そのものだった。

 だが、火縄に比べ短筒の射程は短い。刀よりは長く、槍より短い。その程度の距離しか保てない。

 言ってしまえば、威嚇用だ。当たれば良し、当たらずとも怯んでくれれば良し。

 その間に逃げてしまえばいい。人で囲んでしまえばいい。

 兵としてあまりに臆病すぎる精神だが、そのお陰で生き延びてきた田吾作にとってこの状況は、耐えられるものでは無かった。

「どうした?来ないのか?」

 弥生はうすら笑いながら一歩、また一歩と足を進めてくる。

 その進行に合わせて、ふたりは後退りをする。あの平八ですら、だ。

(それでいい、それで…。誰か来れば…。誰か来てくれたら)

 田吾作は自分の額から流れる汗に苛立ちを覚えながら、拭おうとはしなかった。

 拭って視野を狭めたら、片手が塞がったら。その瞬間に自分のいのちが失われてしまう想像が脳裏に浮かんで離れなかった。


「興醒めだな」

 弥生が突然足を止めた。

「仕方ない、これなら遊ぶか?」

 そういうと弥生は自分の持っている刀を投げ捨てて、両の手を広げて見せた。

 得物を持たず、両の手を開いて無防備。どれだけ臆病な田吾作ですら頭に上る血を感じているのだ、おそらく平八は。

「…ふざけんじゃねぇ!ぶっ殺してやる!」

「平八!」

 田吾作の静止も虚しく、平八は弥生に向かって突進してしまう。無理もない。先程まで追い詰めていた相手に怖気付いていた挙句のこの侮り切った態度。平八ならずとも、止まるわけがない。

 それでもなお、田吾作は正しかった。

 臆病者が正しかった。

 今弥生に味方しているのは、この世の者では無いのだから。

 弥生は平八の刃を避けようともしなかった。その刃は明確な殺意を持って、充分な鋭さを以って弥生の首筋に吸い寄せられるように迫っていく。

 避けない。ならば、外れるわけがない。

 何十と飛ばして来た首、胴体と斬り離されることは疑いの余地もなく…。

「な…」


 疑いは、無かった。

 躊躇も、無かった。

 怒りで刃が曇ってもいなかった。


 ただ、首ひとつ、薄皮一枚切り裂けなかった事実がそこにあった。


「どうした?わざわざ首を晒してやったのに、傷ひとつ付けられないのか?」

 弥生の言葉は平八に届いていなかった。

 三度目。

 二回は足を取られての、理解できる恐怖だった。

 今回。

 目の前で、否応なしに叩きつけられた恐怖は。

「この刀のせいかな?」

 弥生は自分の首に乗った刀をつまみ、平八の手から預かるように自分に持ち替える。

 いっそ、丁寧とも思える、緩慢な動きを目の前にして、平八は動けずにいた。

「×××!!」

 聞き馴染みのある声が後ろから飛んで来ることを平八の耳には届いていた。

 だが、目の前の男から目を離すことも、動くこともできなかった。


 明確な死。


 その恐怖を短い時間に三度。

 そして、理解のできない、抗えない恐怖を叩き込まれてしまっては。

 最期、目に写るその光景は、幾度も指導を受けた通りの剣線だった。


「おや、刀は斬れるようだ。やはり凡百では他人の首を落とせんか」

「平八!!」

 目の前で切り離される平八の首。田吾作はすぐに意識を切り替えた。

 その意識は、逃げるという一点のみ。隙を付いて、一気に逃げる。そのことだけを田吾作は考えていた。

(首が飛んだ。もうヤツは助からない。ならば、この場にいる意味もない!)

 田吾作足は恐怖で竦み、動かない。

(動け動け動け。この距離ならまだ!)

 己の脚の遅さを忘れた訳ではない。弥生と脚比べをしたらこの距離など無いに等しいことなど理解している。だがこの場に居てはそこの平八と二の舞を演じることになるのは火を見るより明らかだった。

 首の無い平八がやっと倒れる。それほどの短い時間に感じられなかったのは死神が田吾作の首にも縄を掛けていたからだろうか。

 どさりと人の身体が倒れる音で田吾作の足と意識は繋がった。

 弥生に背中を向けて、背中に意識を向けることなく、後先も行き先も考えずに走り出す。

(どこでもいい。とにかくやつの遠くへ!)

 田吾作は、なりふり構わず森の暗がりを突き進んでいった。


 弥生はその場から動かなかった。

 身体を鮮血で染めた赤い身。その傍に対照的な白い着物の女が佇んでいた。

「あーあ、取り逃した」

「嘘。あんな小物、追えない訳がない。わざと?」

 女の問いに弥生は薄ら笑いを浮かべる。

「俺を追うように言われている奴らだ。軽く匂いを嗅がせてやれば次から次に湧いて出てくる」

 弥生はわかっていた。ひとりふたり兵が死んだところでやつは諦める訳がないことを。弥生の息の根を止めるまで逃すつもりがないことを。

「せっかく面白い力をもらった。試すなら数は多い方がいい」

 弥生自身、この女からもらった力を理解していなかった。

 少なくとも傷が癒えたこと、そして刀が通らなくなったことだけを知っても、何の役にも立たない。

「あなたの身体は、この世の物では傷付けられなくなった」

「だからか。良い剣だったが、惜しいな」

「そんなこと、思ってもないくせに」

 女の指摘は正しかった。力を渡されてからというもの、弥生は他人に対して何の感情も抱かなくなっていた。思うことは、自分に益をもたらすか、害を与えてくるか、そのふたつ。

「そういえばお前、名前は?」

「名前?」

 白い着物の女に問いかけると、口元だけゆっくりと引き上がった。

「私はみこと

「命か。どうして俺を助けた?」

 弥生は刀を下ろしながら命に声をかける。ただし、刃はすぐに命を斬れるように立てて。

 どのような力を用いたのか判断しようが無いものの、他人に力を受け渡すことが自由にできる存在を野放しにするほど、弥生は日和見ではない。

 事次第では、この機会に斬り伏せておいた方が安全だ。

「助けた…?」

「そうだ、放っておけば、あいつらにやられていたからな」

 刃の届く距離。命は何も持っていない。

 そんなことに構う様子もなく、命は弥生から視線を外す。

「あなたを試しただけ。あなたの意思、あなたの願いを聞きたかった。ただそれだけ」

 弥生に背中を向けながら一点を見つめる。


 今ならば、首を取れる。


 弥生の懸念は、自分と同じ身体では無いかということだった。今握っている刀、その刃が通るとも限らない。

 悶々と考えていると、命は振り向いて弥生に向き合った。

「なんでもいい。お前が助けてくれたことに変わりはない。礼を言うよ」

 弥生が命の肩に手を置いた。その手を命は見つめて、弥生の目を見る。

「そう。これでも?」

 

 何が起きたのか、弥生にはわからなかった。

 先程平八の渾身の一撃を皮一枚裂くことができなかった身体。

 その腹に、命の腕が突き刺さっていた。


「…貴様、なにを…」

 弥生は急激に意識を失っていく。

 先程までの傷がぶり返したように意識が保てない。

 命の腕が引き抜かれると、その場に崩れ落ちる弥生。


「私は命。いのちを司る者。あなたのいのちの使い方、見せてもらうわね」

 倒れた弥生を気にかける訳でもなく、森に消えていく命。

 倒れた弥生だけが残されて静けさを取り戻す。

 首の無い男。腹に穴の空いた男。

 ふたりの男が倒れるその場所に、年端も行かぬ娘が息を切らせて駆け込んでくるのだった。


 続

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