エピソード1「ドキドキ学園生活開幕」
「馬子にも衣裳、ねぇ」
ルーベンブルグ家のメイド長、メアリィさんはドレスを着たボクを見て率直な感想を述べた。
なんだか下半身がスースーする。こんなのを着て過ごせというのか。随分と派手な色遣いをしているし、慣れないのも当たり前だろう。
メアリィさんの黒いシックな格好の方がまだマシだ。恰幅の良い中年女性でもしボクに母さんがいたらこんな感じなんじゃないかと思わせる。屋敷を案内してくれるということできびきびと動く彼女の後をボクはおっかなびっくりついていった。
ルーベンブルグ家は大豪邸だった。信じられないほど広く、一つの部屋だけでもボクが爺ちゃんと暮らしていた家より大きいのではないか。その上芸術的な装飾で彩られている。床とかは大理石で出来ているのだろうか? 磨かれて輝いている。
移動中メアリィさんは色々教えてくれた。なんでもルーベンブルグはこのキョート皇国で一番偉い人であるスメラギが幼い時に代わって政治を行う「摂政」とかいうこれまた偉い人の家系であり、カイナはその跡取りらしいとか。通りでどこかで聞いたことがあると思ったら、そんなものすごい貴族だったとは。改めてとんでもないところに来てしまったと思った。
不意にお腹が鳴ってしまって、もう何日も食べていないことを伝えたらメアリィさんはボクをキッチンに連れて行ってくれて、食パンにハムと卵を乗せたものをすぐ用意してくれた。それがとんでもなく美味しくて、ボクは思わず感動の涙を流した。だってハムエッグトーストだよ? パンの一切れにありつくのもままならなかったのにそんな豪勢な食事、舌が蕩けないわけがない。メアリィさんは大袈裟だと言ったがボクは心底感謝した。
そしてこんなものが毎日食べられるなら、ここで暮らすのは悪くないと急に思えてきたのだった。どんな不利益も飯には代えられない。山奥の村に帰ったところで食べるものがないのだ。いいじゃないか、今日からボクはヤオリ・ルーベンブルグってことで。
あまりに腹が減っていたのでおかわりを要求するとメアリィさんは仕方のない子だねと溢しつつ用意してくれた。ああ美味い美味い。最高だぜ!
「メアリィ、ヤオリの様子はどうだ?」
「あら坊ちゃん。どうもこうもないですわ」
「あっ……」
そんな食い意地の張っているところを通りがかったカイナに見られて、ボクは少し気恥ずかしくなる。カイナはまたくくっと笑っていた。
「庶民は手づかみで食べるのだな。メアリィ、後でヤオリにテーブルマナーを教えてやるといい」
「承知いたしました」
「えっ変なの? 手で食べるでしょ」
さらにカイナは笑うのでボクはいたたまれなくなる。またおもしれー女などと言われそうで嫌だ。大体ボクは女じゃなくて男なのに。
まぁ元は男だった、が正しいが。今のボクはどう見ても令嬢だ。作法を除けば、だが。
「メアリィ、ヤオリ。少し俺様に付き合え」
カイナは翻してキッチンを出て行く。その後をすぐメアリィさんが付けるのでボクも後を追う。一人で残されてはたまらないのだから。
廊下を少し彷徨うこと、カイナはある部屋の前で立ち止まり、懐から古めかしい鍵を取り出した。
「坊ちゃん、この部屋は……」
「ヤオリをずっと客人の部屋に置くことはできんだろう。使ってない部屋はここだけだ」
「しかしお嬢様の……」
「すでにハスナの服を着せているだろう?」
「それはそうでございますが」
何やらメアリィさんは不服そうだったが、カイナは構わず部屋の中に入った。入れと言われボクも後に続く。
すると不思議な感じを覚えた。カイナの部屋と似ているのだが、なんだか生活臭がしない。お人形の部屋、みたいな。淡い色遣いを基調としていて、ベッドの上には巨大な牛のぬいぐるみが鎮座していた。どことなく、女の子の部屋らしいのはわかる。
「今日からここがヤオリの部屋だ。自由に使うといい」
カイナはボクに鍵を投げて寄越す。きっとこの鍵一つ価値のあるものだろうからボクは大事に手の中に収めた。
「坊ちゃん……」
「いつまでもハスナの部屋にしておけんだろ。なぁメアリィ」
「坊ちゃんがそう仰るなら」
「なぁカイナ、本当にこの部屋ボクが使っていいのか? 人の部屋なら」
「いやもう貴様の部屋だ。そう言ったろう」
これ以上カイナから何も聞けない気がして、ボクは黙った。ハスナって人のことは後でこっそりメアリィさんに聞いてみようかな。
「明日から学園が始まるから、今日はよく休め。いいなヤオリ」
そう命令してカイナは部屋を後にした。メアリィさんも寝間着を持ってくるとだけ言って立ち去る。カイナの言ってることはよくわからない。しかし屋敷を回って疲れたのもあって、ボクは深く考えずそのままベッドに倒れ込んだ。
それにしても色々なことがありすぎて頭の整理がつかない。謎のキノコを食べてテングとかいうのに襲われて、そこをカイナに助けてもらってそのままカイナの家へ、そして……
女になってしまっていた。トイレに行った時に確認したが、本当に男の印がなくなっていた。一体どうしたらいいんだボクは。
まぁ、なるようにしかならない。死んだ爺ちゃんが昔そんなことを言っていた。明日のことは明日考えよう。
しかし明日は明日でキャパシティを軽くオーバーする出来事ばかり起こるのだったが。
「起きてくださいまし」
「起きてくださいましヤオリお嬢様」
「うーん……うん?」
ボクは窓から差し込む光に目が眩んでパチクリとさせる。すると眼前に同じ顔が二つもあって仰天してしまった。
「うわぁ! 同じ人間が二人!?」
「失礼でございますわね」
「失礼でございますことよ」
鏡合わせにしたようなメイド二人が口々に言う。魔法でも見せられているのか、と思ったが普通に考えて双子か何かだろう。もしくは世の中同じ顔の人間が三人いると聞くし。
「君達は一体……」
「ハレでございます」
「ルヤでございます」
「さてどちらがハレで」
「どちらがルヤでしょう」
突然瓜二つの二人は何度か位置を入れ替わってみせた。すると何が何だかわからなくなる。
「あの……えっと……」
「私達双子を見分けられないと後々苦労しますよ」
同時に二人が言ったものだから余計わからない。なんとなく、からかわれていることだけは理解した。
「さぁ着替えを用意しましたので」
「とっとと着替えてくださいまし」
「はぁ」
結局どっちがハレでどっちがルヤかわからないままボクはネグリジェを脱がされて、ブレザーにスカートという着慣れない格好にさせられた。どちらか曰く学生服というらしい。スカートはドレスと違って妙に短く脚を露出してしまう。これはなんだか気恥ずかしい。それと青いネクタイを締められて首回りがきつかった。
しかしこれがルーベンブルグ家での身だしなみというなら耐えるしかない。路頭に放り出されたくはないのだから。
着替え終わってハレとルヤの二人に連れ出される。これから朝食と聞いて胸が躍った。とにかく食事にありつけるのは最高だ。
するとやたら広い部屋に通されて、長い長い机に驚くのも束の間、向こう側にカイナとメアリィさんが見えた。カイナはどうもボクと同じブレザーに青いネクタイをしていた。不思議に思うがひとまず挨拶する。
「えっとおはようカイナ。メアリィさんも」
「来たかヤオリ。よく眠れたか?」
「そりゃもうぐっすりと、食べて寝たから」
「ハハッおもしれー女だ」
うっまた言われた。何がおかしいのかカイナにはよく笑われる。大貴族様には庶民の一挙一動が新鮮に見えるのか。
あまりカイナのことは気にしないようにして、席に座る。するとハレかルヤかが食事を持ってきて置いた。パンにサラダにハンバーグだ。すごい、こんなご馳走を朝に食べるのか!
ボクはハンバーグを掴もうとしたが、ハッとしてやめた。よくカイナの方を見ればナイフとフォークを使って丁寧に切り分け口に運んでいる。あれができないとまた笑われるぞ。
見よう見まねでナイフを持って切るが、なんだか上手く切れない。ガタガタになってしまってそれを見たハレとルヤがほくそ笑んでいた。当然カイナも。クソッ今に見てろよ。
それでも食べ終わって一息つくと、カイナがついてこいと手招いた。ボクは右も左もわからないので彼の後に続く。すると正面玄関からこれまた広い庭に出てすぐのところで、馬車の出迎えを受けた。
カイナは突然ボクの手を握ったのでドキッとしてしまった。有無を言わさずボクを引っ張って、馬車の中に乗り込む。
「あのーカイナ、これからどこかに行くのか?」
ボクは少し不安になって聞いてみる。すればカイナは答えた。
「キョート皇立学園だ、昨日言っただろう?」
「学園?」
「ファースタン、セカンドオン、サーディアン問わず優秀な若者を集めて未来の人材を育成する場所だ。そんなことも知らないなんて」
「いや待った、噂で聞いたことある……都に一つだけそういう学校? ってのがあるって」
おもしれー女と言われたくなくて、必死で記憶を搔き集めて制する。
「カイナはその学園とやらに行ってるんだ。大変そう」
「何を言ってるんだ? 貴様もこれから通うんだが」
「ちょっとちょっと、なんで、そんなことになってるの」
「俺様が決めた。学園長には話を通しているから。その胸ポケットに学生証が入っているだろう?」
「学生証?」
言われてボクはポケットから手帳のようなものを取り出す。一体いつの間に。
「それがあれば学園には出入り自由だ。行け」
カイナが指を鳴らすと馬車は走り出した。出入り自由というが、ここから脱出して行かない自由はなさそうだ。
その学園とやらに通うことがルーベンブルグ家に住む条件の一つなら……やるしかないのだろう。ボクは目的地に着く前に腹を括ることにした。
車窓から見える都の景色は何もかも新鮮で、心躍った。ハイカラな建物ばかり並んでいて、ボクの住んでいた村とは大違いだった。人通りも多くて活気がある。憧れの都会生活が始まると思うと一時不安を忘れ嬉しくなった。
そして学園に着いたなら目を見開く。これはすごい。ただでさえ広く立派なルーベンブルグ家よりもさらに巨大な建築物がそびえていて壮観だ。建物の中央は尖塔になっていて大きな時計までついている。あんなものは今まで見たことがない。豪華さではルーベンブルグ家にやや劣るものの迫力では勝っていた。
「おはようございますカイナ様」
「おはようございますわカイナ様」
馬車から降りると、あっという間にボクと同じ格好をした女子達に囲まれた。矢継ぎ早に挨拶される。無論カイナに向かって。なんだ、随分人気者じゃないか。
「誰なのその女!」
暢気に構えていると一際不細工で頬を真っ赤に腫らした女子がいきり立ってボクを指差した。すると次々にとげとげしい視線が刺さる。まずい、ボク、注目されてる感じか?
「ああ、紹介するよオカメ。こいつはヤオリ。うちの新しい一員だ」
カイナの一声で周囲がざわつく。余計まずいことになったのでは、と思わなくもない。いきなり恐ろしい顔の女子達に敵視されて、おしっこちびりそうだ。
「あー何事かね」
そう竦んでいると人の群れを掻き分けて壮年の男性が躍り出た。
「ホープマン先生」
「なんだカイナか。じゃあいつものことだな」
そう言って先生と呼ばれた男は帰ろうとする。何しに来たんだこの人は。だがカイナは呼び止める。
「お待ちを。彼女です、新入生のヤオリは。ホープマン先生のクラスに編入されるはずでは」
「そうか、こやつか」
ホープマン先生はボクを値踏みするかのような眼差しで見た。
「よしヤオリ、来なさい」
「行くがいいヤオリ」
カイナはボクの背中をドンと押して先生の前に差し出す。すると瞬く間にカイナは女子達に囲まれ見えなくなった。先生はすごすごと歩き始める。カイナと別れるのは不安だが女子達に睨まれるのも嫌だし先生の後を追った。
巨大な学園の建物の中に入り、しばし歩く。内部は質実剛健という感じで飾り気はないが頑丈そうに出来ていた。先生はある部屋の中に入っていったのでボクも続く。これが結構大きな部屋で、横長い机が縦にいくらか並んでいて、ボクやカイナと同じ格好をした少年少女が30人ばかりか、ボクを見つめていた。
ボクも彼らを観察する。よく見ればネクタイの色が青、黄、赤の三色でまばらという違いがあった。その意味を考える間もなく、ホープマン先生は告げる。
「えー皆に新しい仲間を紹介する。ヤオリ、挨拶をしなさい」
「あっと、ヤオリ……ルーベンブルグです。よろしく……」
「ルーベンブルグ? ルーベンブルグと言ったか?」
「さっきカイナ様と一緒にいるのを見たわ」
「まじかよこいつ……」
学生達はどよめき、ひそめきあう。ボクはまるで珍獣でも見るかのような目を向けられていた。あまり好ましくない。
ホープマン先生は開いている席に座るように言って、ボクはひとまず前の方の席に座る。そして先生は一人一人の名前を言っては返事を確認していた。
「ふむ、全員いるようだな。それでは今日も一日健やかに。解散」
先生は出席を取るだけ取って部屋を出て行った。すると生徒達も次々と出て行くのだった。ボクは勝手がわからず座っていたが、どうも移動しないといけないらしい。でもどこへ行けばいいんだ?
周りの少年少女はボクを遠巻きに見ながら、されど話しかけてはこなかった。なんとなくルーベンブルグの名前を出したのがまずかったのかもしれない、ということは察していたが今更遅い。
「おい、新入り」
だが一人の男子がボクの隣に座って、声を掛けてきた。ネクタイの色は赤い。
「このまま座ってたら歴史の授業が始まるぜ。あれは眠くなるからお勧めしない」
「ああうん?」
「おいおい、何もわかってなさそうだから説明するが、ここでは受けたい授業を好きに受けられるんだ。必ず取らなきゃいけない科目もあるがな。女子だと社交ダンスとか家庭科とかって聞くぜ」
「はぁ……えっとウシヤ?」
「おっ俺の名前をさっき覚えたのか。地頭は良さそうだな」
あまり自信はなかったが合っていたようだ。ウシヤという少年は声がよく通るし美男子なので第一印象で気になってはいた。美形といってもカイナが犬なら彼は猪といったところで、どことなく野性味のある顔立ちだ。
「なぁお前、ヤオリと言ったか……サーディアンなんだろ?」
「えっ、いやその……」
「図星って顔してるぜ」
見事に看破されてボクは顔を赤くした。
「青にしては動作がこなれてなさすぎる。まぁ安心しろよ。俺は赤だからお前と同じだ」
どうやらネクタイの色は身分の違いを表すらしかった。青が貴族階級のファースタン、赤が平民のサーディアンなら……残りの黄は僧侶の家のセカンドオンか。
「サーディアンなら国語と算数の授業は取った方がいいぜ。読み書きや計算ができないと困るだろ? 俺と一緒に行くか」
彼はどうやらボクに助け舟を出しているようだ。この提案はありがたかった。首を縦に振る。
「よし決まりだな。そうそう、ついでに俺の同志にならないか?」
「同志?」
「ああ。サーディアンはサーディアンってだけで他の二つの奴らより大変だからなぁ、寄り合い所帯みたいなのを作ってるんだよ。お前が同志になったら困った時俺らが助けてやれる。だがその逆も然りだ。ギブアンドテイク。わかりやすいだろ」
「うーん……」
それもまた魅力的な提案だが、いきなり初対面の相手の話を鵜呑みにするのもどうだろうか。ボクは少し考える。
「まぁ返事は今すぐじゃなくてもいい。頭に入れてくれればそれで」
ウシヤが保留にしてくれると助かる。なんだか気を遣わせているみたいで申し訳なくもなる。自分の都合でボクを振り回すカイナよりよっぽどいい奴なんじゃないか。
「それにしてもカイナめ、新しい女だなんて悪趣味なヤローだ。一度ナシつけなきゃならねぇなやっぱ」
「カイナがどうかした?」
「どうかしてるぜ」
ウシヤは肩を竦めてみせる。ボクにはその意味がよくわからない。ボクの知らないところで何か因縁があるのだろうか。
ともかくボクとウシヤは部屋を後にして廊下を出た。そして次の授業へと向かう途中、唐突にウシヤは立ち止まって考えこむ。
「どうしたの、ウシヤ」
「ちょっと待った。ヤオリ、授業を受ける前にやることがあったんだった。確認の為に聞くが、いいか?」
「なんだよ」
「お前さぁ、悪魔召喚は済ませたのか?」
「悪魔が……何だって?」
いきなり何を言いだすんだウシヤは。だが彼は再度同じことを聞く。
「悪魔召喚だよ。まさか、済ませてないのか?」
ボクは何も知らなかった。わけもわからずカイナに連れてこられたんだ。知る由もない。この学園がとんでもないところだってことなんか。それに……
これからどんなとんでもないことが起こるかも。