エピソード12「覚醒悪魔王」
行き場のなくなったボクはキョート皇立学園に来ていた。
ここなら誰もいないと知っていた。ここしかなかったんだ。
時計塔の屋根の上から学園を見下ろす。下は悪魔が蠢く地獄だった。
ボクは今まで召喚された悪魔を戻すという限定的にしか使っていなかった能力、他の悪魔を支配する力を行使した。
サキモリが召喚した悪魔、暴徒と化した民衆が召喚した悪魔。都中のあらゆる悪魔をボクは手中に収めた。悪魔を使った争いを止めるために。
そういうわけで支配した悪魔を学園に集めた。中にはどこからともなく現れて自発的にボクに恭順しに来た悪魔もいた。
そうした悪魔達を討伐しようと先生達もやってきた。しかし彼らの使役する悪魔と交戦するまでもなく支配権を奪った。彼らは何もできず逃れるしかなかった。
そういうわけで都唯一の学園は何人たる者侵すことのならぬ伏魔殿と化した。
ボクは……どうすべきか考えあぐねていた。
ずっとこのままでいいはずがない。ボクはこの悪魔共を連れてどこか遠くへ行くことも考えたが当てがなかった。それにこうして悪魔を集め見せつけておくことで革命を中断させる効果もあった。しばらくはこうするべきかもしれない。ともかくボクの優柔不断さがあらゆる面で膠着状態を生んでいた。
だが転機はすぐに訪れた。
嵐が巻き起こり、空を飛んでいた悪魔達はバランスを失って墜落する。その上稲妻が光り、時計塔の上に落ちた。ボクは咄嗟に飛び上がる。今のは明らかにボクを狙ったものだった。自然現象にしては出来過ぎている。
「レパルス……」
暴風の中動じず飛んでいるのはボクとバアルだけだった。彼女はバアルに掴まって、こちらを睨んでいた。
「あなたが悪魔王サタンだなんて……でも護国のためにその命、頂戴します!」
バアルは雷を呼ぶ。ボクはバアルを支配しようとしたが、雷はボクに向かって落ちてきた。慌ててバリアーを張り難を逃れる。成程、一端の魔王だけあってボクにも操れない、ということか。
しかし今の攻撃を無力化したことでレパルスにもわかったはずだ。今のボクには敵わないことを。だから……
「退いてくれレパルス、ボクは君とは戦いたくない」
「私は退きません! 私を立ててくれたアルメリア家のためにも、勅命を下さったスメラギのためにも、私は……」
雷が連続してボクに襲い来る。重ねればボクのバリアーを破れると思ったか。だがボクは動じない。全て防いでみせた。
「なんて、化物……!」
流石にレパルスの表情にも驚愕の色が見えた。彼女は俯き、震える。ボクへの恐怖によってか、否。彼女は彼女自身の決断に恐れていた。
「もう、最後の手段を使わざるを得ない、のね……」
風が止んだ。それは決して抵抗をやめたことを示していなかった。ボクはバアルの三つの頭の六つの目が光ったので警戒する。それでも彼女達の行動に意表を突かれた。
「バアル! 私の命を吸って、真の姿を解き放て! バアル・ゼブルとなりて悪魔王を倒せ!」
レパルスはバアルの人の頭に身を寄せると、バアルはレパルスの頭を食いちぎった。
「レパルス!?」
ああ、首のないレパルスの体が地面に落ちていって潰れる。一方でバアルは変貌し始めた。猫と蛙の頭は大きな複眼に、手足は発達して胴体が長くなり、四枚の羽根が生える。その見た目はハエと形容する他ない。ただ人の顔が額に張り付いていたが、それがレパルスの顔になっていた。
ハエの王、バアル・ゼブル。いやこう発音すべきか、ベルゼブブと。バアルだった時より遥かにプレッシャーを増した。ボク以外の悪魔が怯え竦んでいるのを感じる。おそらくスサノオと化したウシヤ以上だ。
「領地形成、栄枯盛衰」
そいつはレパルスとは似ても似つかぬ声を発した。途端に学園は消え失せ、辺りに闇が包まれる。だがすぐに空が炎に包まれて明るくなった。と同時にその場の悪魔達に異変が起こった。
悪魔達は成長し大きくなっていく。だが一方で枯れ木のようにひび割れ、最後には砕けた。悪魔達は過剰な生命エネルギーを与えられ、それによって寿命を突然に迎えたのだ。この空間自体に死が蔓延する。
悪魔が空間を操り自分に有利なように変える。これは以前ロキがやったのと同種のことだ。だが規模も能力も桁違いだ。
ボクもその影響を受け、死が這い寄るのを感じた。だがむざむざとこのまま死ぬわけにはいかない。ボクの悪魔としての生存本能は能力の使い方を授けた。
「領地形成、裁きの間」
ボクは自分の生み出す空間によって、ベルゼブブの空間を押しのけようとする。だがそれをベルゼブブは許さない。結局は力比べである。
天が燃える一方で、地はルーベンブルグ家の大広間を模す。これがボクの領地だった。ボクは全力を出してベルゼブブの領地をパンクさせる。ついに巨大な屋敷がボクらを包み込んだ。そしてこの中では、ボクが優位にある。
それでもベルゼブブは吠えた。魔王の闘志十分。ハエの王は地獄の業火を吐き出す。だがボクの空間内ではすぐに消え失せてボクに届かない。
「死を。死を。死を死を死を!」
ベルゼブブはその大きな目から光線を放った。ボクは咄嗟にバリアーを張るが翼の一枚を貫通し消し飛ばした。これは、先ほどのベルゼブブの死の空間を圧縮して撃ち出したものか。まともに食らうと流石に一溜りもない。
それをベルゼブブは乱射する。模倣された屋敷が崩れる。ボクは高速で飛びながらこれを避ける。避ける。軌道を読んで避ける。でも避けてばかりもいられない。ベルゼブブ本体を潰さなければ。しかし奴もそれをわかっているからボクを近づけさせない。
「行け!」
ボクは羽根を硬化させて飛ばした。いくつかはベルゼブブの迎撃を潜り抜けて刺さる。が致命傷にはならない。やはり接近しなければ。と考えながら、ほくそ笑む自分がいた。
まさか、戦いを楽しんでいるのか? ボクはその感覚を忌避する。けれど抑えがたいほどに高揚する。いつかの皇居前での戦闘のように。ああ、これでは悪魔じゃないか。身も心も、悪魔に染まっていく。
ボクは捨て身を覚悟して、ベルゼブブの光線を掻い潜る。やっと接近できた、という時、ベルゼブブは羽根を広げ逃げ出した。判断が早い。けれどもう逃さない。ボクはベルゼブブの羽根を掴み、引き千切る。
ベルゼブブは悲鳴を上げる。その額のレパルスが苦しそうな顔をする。だが構うものか。ボクは次に奴の目を潰す。そして無抵抗になったところ体も引き裂いた。
ハエの王は姿を消した。ボクの領地も消えて、ただ破壊された学園を映す。そして……
レパルスの頭が転がっていた。
どうしてこんな、こんなことに。
ボクは彼女の生首を拾い上げる。まだ悪魔と一体化した時の生命力が残っているのか、息があった。
「私、わかっていましたのよ……一目見てから、あのヤオリなんだって……」
「レパルス、無理して喋るな。喋らなくていいから」
「ごめんなさい……でも……家のことで体裁を取り繕って……誕生日にも……プレゼントを……」
「もういい、いいんだよレパルス」
「好きだったのに……なんで……」
それっきりレパルスは口を開かなくなった。彼女の瞳が澱む。ああ、今度こそ彼女は。レパルスは。
「うっ、ああ、あ」
深い悲しみがせり上がってきて喉がつっかえる。苦しい。胸が張り裂けそうなこの痛みはなんだ。
大切な人を失うことがこんなにも痛いものだなんて、キノコを食べて変態した時の痛みなんか比べ物にならない。
レパルスのことは本当に大事だった。でもボクのせいで壊れてしまった。ウシヤも。ボクが殺した。ボクが。
自分の行いに震える。ボクの命なんてレパルスと比べたら欠片も価値がない。なのに。
もう死んでしまいたい。でも死ねずに苦しんでいる。一生ボクはこの痛みを背負っていくのか。こんなの耐えられないよ……
嫌だ。助けて。助けてよカイナ。
でもカイナの顔が浮かんだ瞬間、彼に助けなんてもう求められないことを知り、絶望を深くする。
レパルスの頭を強く抱き、ボクは崩れる。どれだけ力を持っていようとボクは無力な子供だった。
不思議と涙は流れない。慟哭することもできないのが余計辛い。
「汝、何故苦しむのか」
いつの間にか空から黒い翼のテングが降りてきていた。ボクは力なく言う。
「ボクが……きっと弱い人間だからだ……」
そう言い始めると堰を切ったかのように感情が溢れてくる。
「本当に痛いんだ、痛くて痛くて仕方ないんだよ! どうしてくれるんだよ、元はお前のせいだ、だから助けてくれよテング!」
するとテングはボクの傍に寄り、囁く。
「ならば人の心を捨て、今こそ悪魔王になるのだ」
「人の心を捨てる……?」
そうか、言われてみればボク、もう悪魔なのにまだ一欠片でも人間だと思おうとしてたのか。人の感情というものがボクを苦しめるのか。
それを捨て去ってしまえば、この痛みから解放されるのか。
テングは頭の黒いベールを取り、素顔を見せる。それはまさにカラスのもので実に悪魔的だった。ボクももう見た目は大差ないだろう。
悪魔王サタン、それがボク。ヤオリなんて知らない。そんな奴はもうとっくにこの世にいないんだ。
そう思うとスーッと心が軽くなった。ああ、堕ちていく。痛みは心地良さにさえ変わっていく。
これが真の悪魔なんだ。
頭上を見上げれば、テングだけでなく凄い数の悪魔が集まってきていた。それと時同じくして光り輝く天使もまた。
「バアル・ゼブルが敗れたか」
「スメラギの恩情を忘れ、やはり悪魔王と成り果てましたか」
「我々はお前の存在を許せぬ」
「我ら四大天使の刃を受けるがいい」
天より気高き声が聞こえる。ああ、耳障りだ。どうしてボクを放っておいてはくれないんだ。どうして。
ウシヤを追い込みレパルスを自決させたんだ。この国は、スメラギは。
でももう怒りさえ湧いてこない。ただ彼らと戦う運命にあるのだと悟った。
ボクは大きく翼を広げ、大気を震わせる。時間さえも捻じ曲げ、一気に夜になるほどに。強大な力が溢れてくる。もう誰もボクを止められやしない。そして。
ボクはボクではなくなり、改めてここに悪魔王サタンが誕生した。