エピソード11「キョート革命」
ロクハラタンダイが襲撃されたというニュースはすぐさま知れ渡った。
ロクハラタンダイとは都の憲兵、そしてサキモリの詰所である。そこが陥落したということはつまり、治安の崩壊を意味する。
サキモリの脅威から解き放たれた民衆は各地で暴動を起こし、商店を襲っては物品を奪い、貴族の屋敷などにも押しかけているという。しかも厄介なことにロクハラタンダイにあった武器や魔石オベリスクが彼らの手に渡っていた。ということは悪魔までも跋扈しているのだ。
そんな不安定な情勢を鑑みてキョート皇立学園は休校になると今日知らされた。授業は午前だけで終わりボク達生徒は帰宅することになった。
「ヤオリ、ちょっといいかい」
帰ろうとしていたところボクはシェンフーに呼び止められた。
「何? ボクをまた運動に誘うのか? 意外だね、シェンフーはてっきり街へ出て騒ぎに参加してると思ったよ」
皮肉って言うと、彼は眼鏡の縁を手でつまんで不服そうな顔をした。
「君は僕を勘違いしている。ただ暴力に訴えかけるやり方は僕としても不本意なのだ。それよりヤオリ、注意したまえ」
「何に」
「君は大貴族ルーベンブルグじゃないか」
言われてみれば不安になる。うちなんて有名だし真っ先にサーディアンの暴徒が押しかけてきそうだ。警備は厳重だとは思うけど……
それにしてもシェンフーが心配してくるなんて意外だった。本当にボクは彼のことを勘違いしていたのかもしれないな。
「ありがとう、ほとぼり冷めるまでは家でじっとしてるさ。じゃあ」
「また休校明けに会おう」
シェンフーと別れて帰路に向かう。いつものようにカイナが校門で待っていたが今日は女子に囲まれていなかった。非常事態にも程がある。
一緒に馬車に乗り込み、ボクはカイナに話しかける。
「学園も休みになるし、どうなっちゃうんだろう」
「鎮圧のために各地からサキモリの招集が掛かっている。ほどなく収まる。それを待つがいい」
「カイナのお父さんも動いてる?」
「ああ」
それなら安心だ、とは街の様子を覗けば思えなくなった。そこかしこで煙が上がっている。大声で叫びながら行進する集団ともすれ違った。ボクは車窓に張り付いて凝視する。すればゾッとした。あの人達が持っている槍の先に刺さっているの、あれは人間の生首なんじゃないの……
「おい見ろ、あの車、ルーベンブルグのだぜ!」
「迂回しろ」
カイナが指図すると馬車は暴徒から遠ざかる。だが彼らは追ってくる。なんということだ!
「急げ」
馬が猛スピードを出して車内がガタガタ揺れる。と同時にボクの心も不安で揺れ動いた。こんな調子ではもう外は歩けないし、屋敷も無事かどうかわからない。メアリィさん達の顔が思い浮かぶ。皆、無事でいてくれ。
だが想像を超えた光景がボク達を待っていた。
ルーベンブルグ家の敷地に戻ってきたが、屋敷は跡形もなくなっていた。
目の前にあるのは大きな瓦礫の山だけ。まるで暴風に倒された小屋のように、屋敷は壊れてしまっていた。
「なにこれ……」
ボクは絶句する。こんなの、人の手はおろか自然災害でもこうはならない。まるで100メートルくらいある巨人が踏み潰したとしか思えない惨状だ。
瓦礫の傍で取り乱して叫ぶルヤと、彼女をがっしり掴んで押さえつけるメアリィさんがいた。
「お姉様が、お姉様がぁ!」
「どうしたのメアリィさん」
「ああヤオリお嬢さん、坊ちゃん……ハレが逃げ遅れて、あの中に埋まっているんです」
「ハレが、あの中に……」
瓦礫の山を見る。あんなところに閉じ込められて生きている人間がいるのだろうか。思わず目を背ける。
「メアリィ、ルヤを連れてクラマの別荘に行け。そこでしばらく身を潜めていろ。いいな」
「坊ちゃん!」
「俺様はハレを探す」
カイナは瓦礫に足を掛ける。まさかこの山を登っていく気なのか。彼は振り返りボクに向かって手を差し伸べる。
「ヤオリ、絶対に俺様から離れるなよ」
ボクだってカイナを一人にはしておけないし、手を掴む。そうして二人で瓦礫の山を登っていく。ボクはハレの死体が埋まっていないか下を向いていたが、カイナはただ前を向いていた。
「カイナ、ハレはきっと……」
「さっき人影が見えた」
「えっ、それって」
ハレが生きているのか? ボクの胸に希望が宿る。だがカイナは厳しい表情をしていた。その意味をすぐボクは知ることになる。
瓦礫の頂上に登ると、確かにボク達の他に人がいた。けれどハレではなく、意外な人物だった。
「ウシヤ……?」
その野性味のある顔立ちはウシヤに間違いなかった。彼はスサノオの剣を握りしめていて、アマノハシダテで消えた時と同じ姿だった。しかし変だ。どうして彼がここに?
しかしずっと心配だったのでウシヤの無事に僕は喜ぶ。
「ウシヤ! 無事だったのか、今までどこ行ってたんだよ」
ウシヤに駆け寄ろうとした時、カイナの手が遮った。どういうことだとカイナの方を向けば、彼は歯ぎしりを立てながら鋭くウシヤを睨んでいた。
「ウシヤ・ハイム! 貴様がやったのか?」
「そうだ! 俺がやった」
瞬間カイナは憤怒の形相になる。一体どういうことなのか、ボクは理解が追い付かない。
「弱いくせに偉ぶり驕るファースタンとセカンドオン共を倒し、サーディアンだろうと強い者が支配する国を作る。革命ってやつだぜ」
「何を言っているんだウシヤ……」
「ロクハラタンダイをやったのも貴様か」
「そうだ。あそこのサキモリは皆殺しにしてやった。案外たいしたことねぇのな、サキモリって」
ウシヤの奴はとんでもないことを言う。ボクは信じられない。ウシヤがそんなことするなんて。気のいい奴だったのに。時には優しく、時にはくだらないことを言って笑い合った。ボクの一番の友達だったのに。
「言い残すことはそれだけか?」
「ああ?」
「ならば死ぬがいい。来たれ地に堕ちたる赤き気高き神の毒よ」
カイナが取り出したオベリスクが強烈な光を放つ。空を裂き、翼を持つ赤い大蛇が現れる。カイナのサマエルは咆哮を上げた。
「怒れサマエル」
カイナの怒りに応じるかのようにサマエルは紫色の煙を吐き、やがてそれは熱線となってウシヤに直撃した。
しかし驚愕すべきことが起きた。サマエルの熱線がウシヤの構えた剣によって二つに裂かれたのだ。ウシヤは健在である。
「そんなもんかよ」
ウシヤが剣を振るうと熱線は完全に霧散した。これにはカイナも驚きを見せる。ウシヤは瓦礫を蹴り、跳躍する。早い。彼はあっという間にサマエルの前に躍り出た。そして。
スサノオの剣を振り下ろせば、サマエルは頭から真っ二つに裂けた。
「なんだ弱いじゃねーか、カイナ」
カイナはごぼっと口から血を吐き両膝をつく。
「カイナ!」
ボクはカイナの体をさする。だが返事はなく、彼は血を吐きながら倒れかけた。瓦礫に頭を打ちそうになるので慌てて手で支える。
サマエルは消えた。しかしなおもカイナは苦しそうにする。今ので深刻なダメージを負ったのだ。ボクはウシヤを睨む。
「どうして、どうしてこんなこと! カイナがウシヤに何したって言うんだ!」
「殺そうとしてきたじゃねぇか。正当防衛ってやつだぜ」
それは詭弁だとボクは思った。先に仕掛けたのはウシヤだろう。屋敷を滅茶苦茶にして、ハレを殺して……
「ヤオリ、俺はお前とは戦う気はねぇ。お前の返答次第ではな。なぁお前、今でも自分がサーディアンだと思っているか? それともファースタンになっちまったのか?」
「ボクは……」
少し考える。だが答えは最初から出ていた。躊躇いがあった。ウシヤは友達だったから。でも。
カイナをそっと置いて一歩前に出る。
「ボクはヤオリ・ルーベンブルグだ! ルーベンブルグ家の者として、絶対に許せない!」
「そうか。なら死ねよやぁ!」
ウシヤはスサノオの剣を振るった。それは斬撃ではなく衝撃だった。剣先に触れたわけでもなく、軌道上の瓦礫が吹き飛んだ。ボクは横に跳んでギリギリかわす。そして裏に回りこみ、思いっきりウシヤを殴りつけようとした。
けれどウシヤは剣を持たない方の掌でボクの拳を受け止めた。前にビシャモンテンの鎧を割ったほどの威力なのに、難なく止められるなんて。ウシヤはもう人間じゃないのか、まるで破壊神スサノオが乗り移ったみたいだ。
「せぇの!」
ウシヤは力いっぱいボクを投げ飛ばした。瓦礫に叩きつけられボクは呻く。視界が真っ赤に染まる。きっと血だらけになった。立ち上がる気も湧いてこない。
「あの日、皇居の前でお前は力を見せた。俺は羨んだ。あれからずっとな。でも案外、たいしたことないじゃねぇか」
「うぅ……」
「そこで寝てな。ヤオリ、お前は後だ」
ウシヤはボクには目もくれず、カイナの方に向かう。いけない、トドメを刺す気なんだ。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。カイナが死ぬなんて嫌だ。絶対に嫌。
動けボクの身体。今動かなきゃ何にもならないんだ。動け。動け。
ボクは力を振り絞って立ち上がる。でもこれ以上駄目だ、足が動かない。
「はぁ、はぁ」
でも行かなきゃ駄目なんだ。ウシヤを止めないと。全てを失う前に。
ウシヤがカイナを前にして剣を振り下ろそうとする。
カイナを救うためならボクは……
悪魔にでもなってやる。
トクン、とボクの中で何かが波打った。
いつかの夢に出てきた扉が目の前にある。錠前が沢山ある扉だ。鍵は持っていなかったが探している時間もない、ボクは無理やり全部ぶち破って外した。そうして扉を開く。すると扉の向こうには、新しい自分がいた。
背中が疼く。激痛が走る。顔をしかめるがボクは耐える。すると変態はすぐに終わった。背中から黒い翼が右に三枚、左に三枚の六枚生える。歩けない代わりに羽根を羽ばたかせ、飛んだ。
多分1秒もかかってない。ウシヤに接近し、その顔を思いっきり殴りつけた。ウシヤは50メートルくらいは吹っ飛び、瓦礫に突っ込んで埋まる。
でも手応えは浅かった。何かクッションのようなものを間に挟まれた感じだ。案の定すぐ瓦礫の中からウシヤは現れた。
「スサノオの言う悪魔王ってお前のことだったのかよ、ヤオリ。鏡見ろよ、まるで地獄の大魔王サタンみたいだぜっとぉ!」
ウシヤはスサノオの剣を振るう。再び凄まじい衝撃が蛇のように蠢く。しかしボクはそれを真っ向から受け止め、無力化した。
「おい、なんで生きてる……」
「空間転移。攻撃が全て異界へと消える壁、バリアーを張った。ウシヤ、やめろ」
「そうかいそうかい見下しやがって、じゃあ手加減なしだぜ!」
ウシヤは再び剣を力強く振るった。明らかに出力が違う。ボクはそれを受け止めようとしたが、バリアーの能力を超えて衝撃、いや打撃が伝わった。瓦礫に思いっきり叩きつけられる。なんてパワーだ!
ウシヤの全力の二撃目が来る。ボクはカイナをバリアーで守りつつも飛んだ。空を飛んで避けられるのがボクのアドバンテージだろう。しかしそれを追おうとウシヤも跳躍する。
ボクは黒き翼を広げ、羽根をいかなる金属よりも硬くして撃ち出す。弾幕の雨がウシヤに降り注ぐ。だが彼は剣を構え防いで見せる。スサノオの剣から放たれるオーラのようなものが壁になったのだ。
「効かねぇぜ!」
「構わない」
ボクとしては羽根の雨は目くらましだった。ウシヤの視界を弾幕で覆っている内に接近し、彼の剣を掴んだ。
このスサノオの剣を何とかしなくてはならない。剣に付いた無数の突起がボクの手に刺さって血が流れる。その色は蒼かった。
「どうする気だサタン!」
「ウシヤの好きな力比べだよ」
「面白い。我に力比べで勝てると思うか、このウシヤ・ハイムに!」
スサノオの剣から強烈な気が発せられ、吹き飛ばされそうになる。だがボクは食らいつく。決して離さない。そしてついに。
剣を折った。
同時に、ウシヤの体は弾け飛んだ。
「そんな……はずは……俺は……ヤオリ……お前をも凌ぐ力を得た……はず……」
上半身だけになって瓦礫に倒れているウシヤが、息も絶え絶えに言う。
「ごめんウシヤごめん……」
こんなはずじゃなかった。ウシヤを殺す気なんてなかった。でも術者と悪魔は一心同体、悪魔が傷つけられたら術者も傷つけられる。そこまでウシヤはスサノオと深く同調していた。そんなこと、わかっていたのに。
「なぁ親父……俺は弱い……ガキだったんだよ……だからあんたが……必要だったのに……行かないでくれよ……なぁ」
その言葉を最後に、ウシヤは息絶えた。
ボクはウシヤの瞼に触れ、そっと閉じる。彼の頬に涙が落ちる。ボクの止めどない涙だった。
だけどウシヤにはもう構っていられなかった。ボクはウシヤにもらって身につけていたブローチをそっと外し、彼の掌に返した。それから瓦礫の上を歩き、カイナのところに行く。そして彼を抱きかかえて飛び、地面に下した。
「カイナ、カイナ、しっかりして!」
「うっ」
良かった。息はあるようだった。それでもカイナは苦しんでいる。その痛みを和らげる能力なんてものはボクにはなかった。
不意に、カイナは目を開けた。そしてボクを見て言った。
「悪魔……」
そうだ。ボクは悪魔になってしまった。彼の目には怯えの色も見えた。以前翼が生えてきた時とは違う。ボクは、ボクはそれほどまでに……
ボクはそっとカイナから離れる。もうボクはヤオリ・ルーベンブルグじゃいられないんだ。この家にはもういられない。
翼を広げ、ボクはゆっくりと飛び上がる。名残惜しくて体が重い。でも。
「さようなら、カイナ」
ボクは変わり果てたルーベンブルグ家を後にした。