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三話


夜の住宅街に不思議な音が響く。


小走りに神社の入り口に向かう。

もしも誰かに呼び止められたら、仕掛けたカブトムシの罠を見に行くんだと誤魔化そうと考えていたが、零時を過ぎた住宅街は車の音もしない

リィーンという音は途切れることなく続いていて、神社に近づくごとに段々と大きくなる。

神社の石段の下に着いたときには、五月蝿いほどだった。


妙だなと思った。

真夜中とは言え、住宅街の真ん中だ。

これだけ大きな音がしていたら、外には出なくとも、窓から顔を出して何の音だか確かめている人くらいいそうなものだ。

それなのに、どの家も起き出す気配がない。


灯りの付いている窓すらない。寝静まっている。

響いている不思議な音とあいまって、今この町で生きているのは自分だけなんじゃないかと思えてくる。


石段を登る。

無人の神社に街灯なんて無い。懐中電灯で照らしながら慎重に登っていく。


境内に入る。当然だが誰もいない。境内の周りの木を懐中電灯で照らしながら確かめていく。

音の大きさからして、発生源はかなり近い。


痩せた狛犬が大きな口を開けている。

入り口近にはいないようだ。おそらく本堂の裏の辺りだ。


砂利を踏んで音を立てないように、石畳を踏んで慎重に歩いていく。

本堂を時計回りに回り込む。

もしかしたら建物に止まっているかもと、懐中電灯で梁を照らす。

角に奇妙に鼻の長い生き物の彫刻がある。


アレは(バク)という空想上の生き物だと、四年の時同じクラスだった澁谷君が言っていた。

悪い夢を食べてくれる縁起の良い空想上の動物で、動物園にいるバクとは違う生き物なんだと言っていた。ライトの灯りに照らされた顔は凄味が効いている。


途端にお腹の辺りが冷えてふるりと震えた。

蝉に夢中で今まで感じていなかった恐怖や心細さを今更思い出した。


ライトに照らされた暗がりから、ゆらゆらと良くないものが降りてくる。


本堂の中には本当に誰もいないのか。

高床の下には、何者かが息を潜めているのではないか。


そんな考えが頭をよぎる。


しかしここまで来て帰る訳にはいかない。ぐっとこらえて歩を進める。


遂に見つけた。


本堂の真裏、境内と裏山の境界。

枝のひねくれた桜の木の中程に、うっすら発光する物がある。

リィーンと音が響く度、光が明滅する。

息を潜めて近づくと、まさしく夢にまで見たあの蝉がいた。


やっぱり全身が宝石のようだ。

胴体の殆どがエメラルドで、頭は少し薄い緑。多分ペリドットだ。

腹には気門のようにダイヤがちりばめられている。目はガーネットかルビーだろうか。血のように赤く煌めいている。


翅はとろりとした黄色なので黄水晶(シトリン)だろうか。薄く透き通っていて、蝉が鳴く度に震えている。


心臓が高鳴り腕が震える。


焦ってはいけない。

翅や足を傷付けないよう細心の注意を払わなければ。一発で綺麗に仕留める。


本堂の横でリュックを下ろす。

懐中電灯を置き、リュックから殺虫瓶を取り出す。

中には酢酸エチルを染み込ませたガーゼが入っている。蝉を捕まえたらすぐに入れられるように、地面の上に置いておく。


蝉のいる桜の木まで近づく。

桜の木の丈は低く、止まっているのは僕の背丈より少し上くらいだ。


不用意に近づいては逃げられてしまう

姿勢を低くして、一歩ごと慎重に進む。


標本にするつもりで来たけど、よく考えたら生け捕りにした方が良いかもしれない。

きっと誰も知らない大発見だ。

テレビとか新聞の取材が来たり、何処かの大学とか研究所が調査したいと言ってくるかも知れない。

その時に、蝉が生きていなかったら作り物だと疑われるだろう。


いや駄目だ。

そんな話題になってしまったら、僕が捕まえた蝉を取り上げられてしまうかも知れない。

うちのお父さんもお母さんも外面が良いから、どこかの研究所か博物館に寄付してあげなさい。とか言い出すに決まっている。それは絶対に嫌だ。

僕だけのモノにしなければ。その為には標本の方が都合が良い。


網が届く距離まで近づいた。

此処までくれば確実に捕まえられる。

何せ夏休みに入ってから蝉捕りばかりしていたのだ。腕は大分上がっている。

落ち着いてかかれば失敗することはない。手を伸ばしたその時。


「これ」


後ろから伸びてきた手に口を塞がれた。


心臓が跳ね上がって潰れるかと思った。

自分以外の人が居るなんて、今の今まで気付かなかった。

蝉に全集中していたとはいえ、足音なんて全くしなかった。

口を塞がれていなければ叫んでいただろう。


「悪い子じゃな。わしの獲物を横取りしようとは」


耳元で囁く声は、お婆さんのような口調に反して若い。

耳に息が掛かりぞくりと身体が震える。

逃れようと身体をよじるが、存外に拘束が力強い。両腕ごと抱きすくめられて身動きが取れない。


あれ?

後ろの何かは、両手で僕の口を押さえている。両目の視界の端に白い腕が見切れているから間違いない。


では、胴に巻き付いているのは何?


「アレの宿主ではない様だが、一体何処から嗅ぎ付けたのやら」


微かに花のような香りがする。

くるりと、首に何かが巻き付いた。毛皮のような柔らかい感触。


「良いか子供。大声を立ててはならぬぞ。声を立てるとあの蟲が逃げてしまうからな。もしも騒ぐようなら首を締め上げてやるからの」


僕が頷くのを確認してから、口と胴の拘束が解けた。

思い切って振り返る。


そこにいたのは、とても綺麗な人だった。


言葉にすると月並みな表現にしかならないことがもどかしい。

あの時見た衝撃と感動を上手く表現する言葉は、未だ見つからない。

それほどに綺麗な人だった。


綺麗な顔を、人形のように整った顔という表現もあるが、その人の美しさは人形を越えていた。

きっとどんな天才であれ、人間があの人の美しさを表現することは出来ないだろう。

人類の埒外の美だ。


一瞬、女神様か観音様にでも行き合ったのかと思った。

後光を背負っているように見えたからだ。よく見れば、後光でなくその人自体がうっすら発光している。


切れ長に整った両の目。瞳は月のような金色にきらめいている。

(まなじり)に文様のような入れ墨が入っているが、それが月にかかる薄雲のように目を美しく引き立てている。


薄紅の唇が緩い弧を描いて、微笑みが眩しい。

長く伸びた髪の毛は銀色で、宝石をちりばめたようにきらきらと輝いている。


頭の上には耳のような角のような三角状の突起が二本ついていて、色とりどりの宝石で飾られていた。


こんなどこもかしこも綺麗な人は生まれて初めて見た。


女の人だろうか男の人だろうか。

綺麗すぎて性別が判別しにくい。

神主さんが着るような白い着物と青い袴を着ていて、肩から女物の青い着物を羽織っている。

背丈は僕より高いけど、女の人のように手足が細く長かったので、多分お姉さんだろうと思うことにした。


お姉さんと僕の間に白い縄のような物が見えた。

その縄が僕の首に巻き付いているようだ。


縄と見えたのは、白い毛の生えた細長い物だった。綱引きの縄くらいの太さがある。

お姉さんの髪の毛と同じ銀色で、髪と同じように七色の光を帯びている

その縄の先はお姉さんのお尻の方に伸びている。


尻尾?


見ればお姉さんの後ろから、何本も同じ様な物が伸びている。

首の物を含めて九本。お姉さんの背後でうねうねと蠢いている。


僕があんまりまじまじとお姉さんを見つめて動かなかったので、その人は不審げ首を傾げた。

その仕草がまた美しく、目が潰れるかと思った。代償無しに見て良いものなのか。


「子供よ。わしを見て何か言う事はないのか」


僕は少し考えてから。


「お綺麗ですね」


それしか思いつかなかった。


「胆の据わった子供じゃのう!」


お姉さんが少し恥ずかしそうに顔を背けるのを見て、全身に変な電流が走った。

なにかお姉さんが動作を起こす度にダメージが入る気がする。

何かが削れていくというか。


当時は感覚だけで何が削れているのか分からなかったが、いま思うと正気が削れていた。


「兎に角、わしの獲物を横取りしようとした。その償いをどうしてくれようか」


そう笑うお姉さんの口の中に、鋭い牙があるのが見えた。

その時には、何となくこの人は普通の人間でないだろうと気付いていた。

こんなに綺麗な存在は神様か、あるいは人を食う化け物か。


「僕を食べる?」


正気が削れていた僕は、恐怖を殆ど感じていなかった。

ただただ、お姉さんが次にどんなアクションを起こすかだけに興味があった。


「応、骨も残さずくろうてやることも出来るぞ?」


からかうような口振りだったが、多分誇張ではないのだろう。

本能がそう判断していた。


「痛くしないなら良いよ」


多分僕は大分可笑しくなっていたのだと思う。

こんな綺麗な人にだったら、食べられても悪くないなと本気で思った。


僕の答えにその人は少し面食らったようで。


「まあ、食べるのは今すぐでなくとも良いか」


「食べないの?」


「何でお前が残念そうなのじゃ」


ふと、お姉さんが顔を上げた。

頭の突起がぴくぴく動いている。


あれ、やっぱり耳なのかな?


お姉さんの頭を見ていると、ふわりと身体が宙に浮いた。

お姉さんの尻尾が再び僕の胴に巻き付いて、僕の身体を持ち上げていた。


「話は後じゃ。始まるぞ」


お姉さんが飛んだ。

軽くジャンプするような気軽さで浮き上がって、五メートルばかりを飛びきって本堂の左右にある廊下みたいな所に着地した。しっぽに巻かれた僕も一緒に本堂にたどり着く。

悲鳴を上げそうになったのを何とかこらえた。

お姉さんは縁の一番端に、僕を抱えたまま座り込んだ。


「今宵は特別じゃ。共に見物することを許してやろう」


「え、あの」


お姉さんの膝の上に乗る形になり、ドキドキが止まらない。


「まあ、静かに見ておれ」


お姉さんの指さす先には、曲がった桜の木。丁度あの蝉が正面に見える。


お姉さんと話している間も、蝉は鳴き続けていた。

次第に鳴き声が大きく、感覚が短くなっていく。


「間もなくじゃ」


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