一話
何だかよく分からない性癖の話になりました……。
これは僕が12歳の時の話だ。
その頃の僕――今も変わらないが――は、綺麗なものが好きだった。
具体的に言うとキラキラした宝石や美しい自然の花、美しい物を描いた絵画や美術品。芸術的な紋様や着物の意匠、そんな感じのものだ。
一等好きなものは宝石だ。自然が作り出したとは思えない輝きに、人が技巧を凝らした装飾。そういうものに興味を覚え、憧憬を感じる。
クラスの他の男子のようにライダーとかロボットとか、格好いいのも決して嫌いではないけれど、綺麗な物が一等好きだ。
でも当時の僕はその趣味をいささか女の子っぽいものだと思っていて、公言する気にはなれなかった。
周囲には岩石とか鉱物が好きなんだと言っていた。鉱物には宝石も含まれるから嘘ではないと思うし、宝石以外にも流紋岩とか蛇紋岩の模様やら黄鉄鉱の結晶やら、嫌いでないのも確かだ。
夏休みの自由研究は二年連続で岩石の研究と自作の鉱物標本を提出した。
お陰で学校では将来学者になりたい石博士で通っていたし、僕も否定はしなかった。
ただ、二回目の時点で、小学生に出来る事は大体やり尽くしてしまったと思った。やっぱり実物の標本があった方がインパクトがあって良いけど、小学生が集められる石の種類なんてたかが知れている。
工夫すればどうにかなったかも知れないけど、そこまで岩石に情熱は無かった。
来年の自由研究は石以外の物にしよう。
そう思ってた時。お正月に行った母方の田舎で、お爺ちゃんが昔作ったという昆虫標本を見せて貰った。ピンで留められ整然と並んだ虫たちが綺麗だと思ったので、今年の夏は昆虫採集してみようと思った。
昆虫は割と好きだ。
蝶々は文句なく綺麗だ。だけど蝶々ばっかりだと女の子趣味だと思われるかもしれない。
トンボや蝉の造形美もいいからいれておきたい。
カブトムシやクワガタはあんまりだが、男の子っぽいし、いれておいた方が良いだろう。
男っぽいとか女っぽいとか、今思えば気にし過ぎだったと思うが、当時の僕にとっては重要であった。
もし女っぽい趣味の奴だなんて言われた日には、友達からハブにされるかも知れない。
それはちょっと面倒だ。
そういうのも個性だからからかっちゃいけないし、そもそも男らしいとか女らしいとか決めつけちゃいけませんと、道徳の授業で何度も先生が言っていたし、実際可愛いものが好きで女の子に生まれたかったと言う同じ学年の森くんは、問題なく女子に受け入れられていた。
ただ僕は格好いい物も決して嫌いじゃなかったし、友達とライダーの話をしたい時もある。女の子っぽいと思われて、自分でもそれを認めてしまって、その後男友達と格好いい物の話が出来なくなっては困るのだ。
思想としてどうであろうと、小学校のグループは男子と女子で別れてしまって溝がある。どっちにも良い顔をするのは難しい。
兎も角、五年生の夏休みの自由研究は昆虫採集にしようと決めて、色々必要な道具を買ってもらって待ち構えていたのだけど、思わぬトラブルがあった。
その年は五月の終わりくらいから、全然気温が上がらなかった。ニュースで毎日異常気象だ異常気象と伝えていた。
その年は観測史上最悪の冷夏になった。
夏休みに入ってもまだ長袖を着ていた記憶がある。農作物に大打撃とか来年の米不足が予想されるとか、世の中は色々騒がしかったが、僕はいつもより涼しくて過ごしやすい夏だな、くらいしか思ってなかった。プールの授業が中々出来なくて不満を言う友達もいたが、泳ぐのが苦手だった僕には好都合だった。
問題は、夏なのに虫が少なかったことだ。
蝉の声がいつもより少ないし、アゲハもモンシロも見付からない。裏山は毎年罠を仕掛けたら必ずカブトムシが捕まるのに、今年はちっとも掛からない。
夏休みの最初の二日で、自由研究が暗礁に乗り上げた。
一日中粘っても蝉しか捕まらない。このままでは蝉ばかりの標本になる。
そうお母さんに相談したら、別に蝉ばかりでもいいんじゃないの? とあまり取り合ってくれなかった。
お父さんに相談しても同じだった。
「蝉ってのはいろんな種類が有るんだぞ。ミンミンゼミとかツクツクボウシとか、ヒグラシとか。全種類集めたらそれなりの標本になるぞ」
一晩考えて、お父さんの案を採用することにした。
調べたら、蝉は脱け殻も種類によって形が違うらしい。蝉を種類ごとにオスとメスを並べて、更に同じ種類の脱け殻を並べて飾れば面白そうだと思った。
そんなわけで、蝉に狙いを絞った。
一週間くらいで、だいたいの蝉は見つかった。通常夏の後半にならないと出てこないツクツクホウシも、寒さの所為か早々に見つかった。
以外と苦労したのが蝉の抜け殻だ
なかなか見つからないし、見つかっても標本に出来るほど綺麗に形が残っている物が少ない。
それでも八月に入る頃にはほぼ集まった。ニイニイゼミのメスの脱け殻だけが最後まで見つからなかった。
ところで、僕が蝉探しをしていたのは家の裏にある山だった。
その山はある神社の敷地である。
山に入るには神社の石段を登って、本堂の裏から登山道に入る。
僕の家の直ぐ裏に山は迫っているが、土砂崩れ防止のコンクリートの壁になっていて、其処からは上れない。山を四分の一周くらい回って、神社の石段を登らなくてはならない。
この神社は無人だ。町の別の所にある神社の神主さんが兼任しているらしい。
この神社は狐の神社と呼ばれていた。
正式な名前ではない。浅間系の神社で、祭神も木花之佐久夜毘売とか、狐とは関係のない神であった筈だ。
しかし、昔から狐の神社と呼ばれていた。
一緒に住んでいたお祖母ちゃんによれば、狐が社を乗っ取ったのだと言う。
乗っ取った神社だからお稲荷様ではないし、入り口に立っているのも狐じゃなくて狛犬のままなのだと言う。
この神社は長い石段を登らなくてはならなくて、境内も狭い。
何となく不気味な雰囲気もあるので、あまり人がいない。子供たちも山に虫捕りに入るときくらいしか近寄らない。
しかし、当時の僕はあまり気にしていなかった。寧ろ人がいなくて良い場所だと思っていた。
境内から森に入って抜け殻を探す。抜け殻は地面に近い所にある。
木の一本一本、茂みの下の方も念入りに探す。
その日は妙に脱け殻が見つからなかった。
午後一杯探しても成果がないので、諦めて帰ろうかなと思った頃に、奇妙な脱け殻を見つけた。
最初は脱け殻と思わなかった。下草の中に、光を反射して光るものがあった。注意深く観察すると。緑の草に紛れて、緑色の脱け殻を見つけた。
最初あんまり緑に光っているから、まだ羽化していない蝉の幼虫かと思った。
でもよく見れば背中に破れ目があり、中身はは既にいない。
壊さないようにそっと摘みあげる。
掌に乗せると、思いの外大きいし、脱け殻と思えないほど重みがある。
蝉の脱け殻に形は似ているが、知っているどの種類の蝉の脱け殻とも形が違う。
何だろう?
背中に穴が開いていて空洞なのだが、蝉の脱け殻より分厚い。濃い緑色で、向こうが透けて見える。
少し冷んやりしてる。
ポケットに入っていた十円玉でつついてみた。
チンと、硬い物に当てた時の音がする。
冷たいからプラスチックじゃなさそう。透き通って要るから金属でもない。石っぽい。
緑の透明な石。
エメラルドじゃないか。
そう思った瞬間、そんなわけないと自分の考えを否定する。
でも、一度思い至ると、そうとしか思えなくなる。見れば見るほどエメラルドに見える。
エメラルドだとして、何故宝石が蝉の抜け殻の形をしているのだろう。
作り物にしては精巧すぎる。
それに作り物だったらこんな森の木に付いている理由がない。
ここで羽化して飛んでいったとしか思えない。
宝石の抜け殻を残していったのなら、宝石の蝉に違いないだろう。
夕暮れの迫る森の中で、そんな考えに取り憑かれた。