表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
195/1534

アメリカ

/フェイスブックの告発者が実名でテレビ出演、公益より「利益優先」と会社批判

/https://www.cnn.co.jp/tech/35177516.html?utm_source=wpp&utm_medium=browser_push&utm_campaign=editorial-push


「おいおい、この人、大丈夫かよ。」と思う反面、これってどっちのケースかな、とも考えてしまいます。


FBが一企業だったとしても、こういった企業の裏側には似非ユダヤの支援があるのだから、ほとぼりが冷めて世間から注目されなくなったら、合法的に排除されるぞ、と思うわけです。

よくある手口としては、特定の人物が居るから属する集団が不利益を被る、という状況を作り出して周りに排除させる、という方法で、似非ユダヤは「俺達は手を出していない。無関係だ。」と言う事が出来ます。

で、取引や技術開発への支援等をその特定の人物が居ない側を優遇するとそれで差が出来、その特定の人物の居る集団は不利になり、真綿で首を絞めるかの様にジワジワと弱っていきます。その集団に属する者達の生活が苦しくなっていき、やがて破滅するしかないと思われるギリギリまで来た時の行動がこういった時の狙いです。自身が死ぬか他者を殺すか、という事でそこに至るまでの「どの段階で」ある特定の人物を排除しようとするかを仕掛けている側から見られます。

で、現代社会に生きる者達は保身に容易に走る飼いやすい者達を優先して生かしているので、団結して不当な行為に立ち向かうという事が出来ませんw。そうやって社会を作っておけば、このニュースの様なイレギュラーが起きても対処出来ます。そして保身に走った者達がこのニュースの様な方を排除して、(似非ユダヤがら見て)めでたしめでたし、という結末になります。

こういった手法はよくある出来事で、普段からされているのですが、楽して贅沢したいだけなら効果的な手法になります。


で、問題は、「どちらが」似非ユダヤなどの利権集団に属しているのかが第三者からは分からない、という面です。

似非ユダヤとかは利益を上納しないなら容易く切り捨てます。利益を寄越さないなら脅してでも出させます。その出させ方として、会社のスキャンダルを流したり、工作員に内部で失敗させたりという方法を平然と取ります。また、ここで言っている方法は、ある特定の集団が特権者に逆らった時に行われる事もあります。言うなれば、現代社会での戦闘の一表現としても存在します。

それが個人の過失や私怨による故意だけでなく、ある集団から別の集団への攻撃として存在している可能性を、「混乱した」現代社会では用意に識別出来ません。同じ形をしていても目的が違うから行為として「違う」場合があります。


後、濃かれ薄かれどこかで利権集団とは繋がっているとは思いますが、この問題がさほどそういった者の介入がないという可能性も残されてます。これらの識別をしなければこの一表現として生じた行為を伝えるニュースがどういったものかが分かりません。このニュースで紹介されている人物がどの様な意図で行為したのか、そしてこのニュースはどういった意図でこのニュースを流したのか。このニュースを見る側にとっては少なくともその2段のフィルターが間に挟まり、真実を知る妨げになっているのをまず知る必要があります。この女性とニュースサイトが利益により操られているとすればFBが被害者、FBが利益を優先して協力関係にある者達と利益を享受しているならBは加害者、となりますが、このニュースの情報だけでどこまでそれを判断出来るか、それを補完する情報はどこから持って来れるか。そういった部分が焦点になりますが、時間がとてもかかるので、競争に負けない為に「見切る」しかなく、あやふやな情報で判断するなり放置するなりして世の中に流されていく様に作られているのが現代社会です。


FBの問題は別にFBに限った話じゃありません。風説の流布は昔から問題になってます。それが社会を混乱させるからお互いにしないでおこうね?と話し合っても、自堕落な者が勝手に忘れてまたやりだす、の繰り返しです。自分が有能だから出来るのだ、と錯覚して。

しかし同時に、公共事業やそれに近い公的な性質を持ち合わせる事業というのは、いうなれば皆の共有財産や共有資源を使って商売していると言えます。元々、風説の流布など、情報を取り扱う際のデメリットが生じるのを防ぐ目的で、「信用出来る」情報源としてマスコミが作られました。発足当時は属する者達もそういったのを理解した上で行動したでしょう。しかし、常にエラーが発生しない状態というのを私達は作れません。その内、そういったジャーナリズムと称されるものを理解出来ない者達が加わり、過当競争の一助となり、本来守らなければならない条件を守ろうとしない様になっていきます。そんなものを守っていてはメシが食えない、生きていけない、として。

本来ならそこで転職するのが当然なんですが、保身に走ればそんな選択は有りえません。そして他の分野も飽和状態ならそこに参加する余地はないから尚更に保身としてしがみつくから、ジャーナリズムを守っていてはメシが食えないから守らない。そしてジャーナリズムを理解出来ない者達が利益優先で特定の集団に利する様に情報を扱う様になっていきます。

そうなると、本来、「風説の流布」などを防ぐ目的で作られた機関が「風説の流布」の為に利用される結果になります。これを良く「形骸化」と呼びます。或いは、中身が乗っ取られた、と言います。

で、今回のニュースを見ます。公的なリソースを使う性質上、FBの事業は「風説の流布」を排除しなければなりません。しかし、それにかかるコスト、更に識別の難しさでコストが上乗せされます。もし利益を優先するなら、それらをしなければ良いと仮定するとそれだけコストが減少するから利益が増えます。で、営利企業だから利益を優先します。そして利益があまり出ないなら、株主や出資者が離れていきます。ならどうなるか、というのが根本にある問題だと思います。

勝っている内は皆がチヤホヤしてくれます。では負け始めるとどうなるか、というのを嫌うと、採算度外視で「健全性」を維持するのは出来なくなります。


で、なぜ昔はFBのしている事業の様なものがなかったかと言うと、「風説の流布」を完全に止められないから。発信者が善良で客観的な視点で情報を提供できる保証がないから、です。自身がそう出来ていると自負するだけでは駄目で、自身を隠れ蓑に悪用しようとする人物を排除出来なければなりません。それが自身の「健全性」を維持する為の条件になります。10人居て悪人が9人、善人が1人で、善人が情報を発信してもそれを信じようとする者がどれだけ居るか、となります。自身の発言が悪人の行う利益誘導でないと証明するにはそもそもが悪人を排除する事でしか成立しません。若しくは非の打ちどころもない理論で説明するかです。で、こういったサービスを利用する者達が非の打ちどころのない理論で自身のやっている事を説明できるでしょうか?そしてそれをしたら主題以外の部分が長くなり、人気が出ないのでやらないでしょうから初めから無理なわけです。「信用」というのはそれ位「重い」ものです。

で利害関係がFBと不一致なら、誰もFBの事を慮ってくれません。FBと利害関係にあるなら、FBが利権集団に操られていないという前提を置くと、利害が一致しているならFBの提供するサービスを悪用しないでしょう。しかし世の中のほとんどはFBと利害関係を一致していないでしょう。すると当然、FBの事情など慮ってくれません。なら自身の利益の為に使おう、となり、「風説の流布」などは容易く起こります。

また、こういった不正行為をやりやすくするためのサービスとも言えるので、導入には賛成し、最初は悪用しないままに経過を観察し、社会に受け容れられてから、「さぁやるぞ」とばかりに動く可能性があります。そして、FBで働く者達にとってはメシの種であり失うと破滅するとも言え、「生活出来る状況というのを交渉材料として」一定の「風説の流布」を許容させるという脅しが出来ます。勿論、末端からだけでなく金持ち連中も同じやり方をして脅せます。

ジャーナリズムが死んだ時と同じやり方が出来ます。概念などを扱うのは人間。概念がどれだけ理想的なものであろうと、使う人間が落ちぶれたら意味がなくなります。概念を達成しようとするのではなく、人間が生きていくのに重点を置いて取捨選択するからです。

で、このFBのニュースの裏側事情なのでしょう。


で、先ほど言った様に、このニュースだけじゃあ判断しにくいです。FBの裏側の部分は多分事実でしょう。しかしそれがニュースとしてクローズアップされるだけのものであったかが読めません。勿論、公的な性質を持ち合わせるので公私の区別を付けて貰わないとその事業の健全性と正当性がなくなります。結局はFBに見られる様な事業は社会にとって有害だからさせない、という結論が正しいという結果に繋がります。


で、このニュースの報じているものも所詮は行為の一表現でしかありません。その一表現が昔あった事例の形だけを真似ているものかどうかの識別が必要で、しかしこの一表現の中にはそれが当然ありません。

これは形だけ真似るというのがモジュールと一緒で、そのモジュールがどれだけ優秀であったとしてもそれを扱うOSやfirmwareの質が悪ければモジュールを効果的に扱う事が出来ず、そしてモジュールの使うタイミングを間違えます。

これらはOSの質が悪いという要素以外に、コンピュータウィルスに感染して本来の機能を失い、自身では正常に機能していると錯覚しながら操られている場合にも言えます。しかし、感染している部分ではないモジュールが優秀である事には変わりませんが、だからと言ってモジュールが有効に機能しているかとは別である事を示します。「それがどう使われるか」というのが目的に対してどれだけ効果的であるかが影響します。

で、初めからOS自体の質が悪い(根っからの悪人)場合とコンピュータウィルスに感染して操られている場合(錯覚させられている人間)がモジュールを扱うと当然、本来の目的から逸脱します。

で、コンピュータウィルスに感染しているOSというのを、人間に例えるならこれらを昔からの表現として「悪魔に憑りつかれている」と表現します。近い表現としてコンピュータウィルスを介して感染したOSを操る、更にその利用者の権利を利用しようとしている者が居る場合には「寄生虫に寄生されている」と表現する事があります。


このニュースで紹介されている人物は、一つのOSとして機能して行為している可能性があります。ですが同時にもっと大きなOSのモジュールとして機能している可能性もあります。どちらに動機があるかそして更にその動機はもっと根源的な動機を何にしているのかがこのニュースを読み解く為に必要な要因になります。

そして、焦点を変えると上の言い方と矛盾(可能性があるとかではなく初めから切り離せない)していますが、社会とはその1個のOSが正常に機能し、その効果からそれを統合するOSが正常に機能する事で全体の健全性と正当性を維持し、統合OSがサブOSの管理維持を行うという相互干渉により作られるものです。末端の機器を操作するOS(個人の意識)がウィルスに感染するとどうなるか、それが同類機器に感染していくとどうなるか、または、統合OSがウィルスに感染するとどうなるか、そう考えると私達の社会の中で行われる詐欺行為や不正行為というのはどういった影響を及ぼすのかが分かりやすいと思います。

そういった前提を踏まえてこういったニュースは見る必要があります。

個人的な意見を言えば、上層の統合OSが既に汚染されているのが現代社会の問題点でもあります。その汚染がある前提でニュースを見る必要があるなら、このニュースの人物が操られているかどうかまで判断に加えなければならなくなって、面倒になって、つまりはコストが増えて、行くとなります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ