アメリカ
・中絶の権利を訴えるデモ、600カ所以上で 米
・https://www.cnn.co.jp/usa/35177480.html
「中絶」問題を男性の視点から見ます。
まず「なぜ中絶が許されないか」ですが、利害関係の不一致な存在を「異物」として排除しようとするのが問題になるからです。それを許すと同じ考えで他の出来事にも適用しようとします。そして、他の出来事からその考えに至るから「中絶」という選択肢を選ぼうとします。
で、その選択肢を選ぶ前に他の選択肢を選ぶのを諦めてショートカットする様になると何も問題解決されない。そういった思考面ので問題が主になります。
また、「異物」として認識し中絶する事は、これは生殺与奪の権利を握った側が生殺与奪の権利を握られた側を自身の都合で排除する、という事実を作り出します。その成功体験が社会の他の出来事に適用される様になっていけば社会はどうなっていくか、となります。
これは自身がそうしないと思っていても、出来ていないから結果がそうなっているという事実が存在します。
「なぜ中絶しなければならないか」。それは避妊の失敗であったり、レ○プの結果であったりと様々です。ですがそれらの要因を排除出来たなら、望まれずに生まれてくる子供はいなくなり、「中絶する必要がなくなります」。まず。そこから考えを始める必要があるのですが、ここで安易に「中絶を認める」とそれらの問題解決が何もなされなくなる可能性が非常に高いです。
自分ではその問題を解決出来ないから仕方ない、と諦めるのを受け容れる方が楽だからです。そして「安全に中絶する」方法が認められると、それと問題解決にかかるコストを比較すれば「安全に中絶する」方が楽であり、それが常態化します。すると何も問題は解決されず、ただその場しのぎの対策だけが行われ、不都合は不都合のまま存在し続けます。
そしてそれは同時に諦めたのだからその性質を強め、他の問題にも同じ対応で逃げる可能性を強めます。そうして逃げている間は楽が出来るからです。
そして問題が山積みとなりどうにもならなくなってから対処しようとして、すぐに対処しなかった分の痛みや苦しみも上乗せされて後悔する結果になります。
で、それらの問題をその場しのぎで解決するには資源の占有が一番で、「自身と利害関係を同じにしない相手を異物として排除する」事で資源の占有化を行いますw。この辺り、分かりますでしょうか、ユグドラシル(常に減産されゆく運命の社会構造)の根本的な原因の一つに辿り着きます。
「一事が万事」と言いまして、あれはあれ、これはこれ、で済ませられるわけがないんです。なぜなら思考の方針がそうなってしまっているんですから。
で、宗教基盤の時の話をします。「なぜ中絶が許されないか」は上の理由があります。「利害関係が一致せずとも仲間とみなしたなら仲間を殺さずに解決してみせる」必要があります。それが出来ないと争いの中に沈むからです。
都合が良い間は「仲間だ」なんだと言ってメリットを受けながら、都合が悪くなれば「仲間を見捨てて敵になる」者は信用出来るでしょうか。信用なくなれば集団として維持出来ず、表面だけ仲間の振りして殺し合いを行う事になります<-現代社会。
その考えから行くと自身の行為に対する信用を維持するには中絶という方法は問題があるわけです。都合が悪くなれば見捨てる、からです。しかも、自身が快楽を得ようとするなり、或いは無計画な家族計画を建てるなりの理由で、宿る命に対して無責任すぎるのならどうでしょうか。
その者は果たして宿る命を「異物」と認識したとして、その命に対しての誠実さを示したでしょうか。その誠実さの度合いはその者の行為行動に対する信用と同じです。
しかし、世の中には自身ではどうにもならない事が存在します。レ○プだとかもっと悪質な「子供を産まないと社会の中で生きさせない」などと脅されて生きていくしかない場合があります。或いはもっと単純に「繁殖用家畜」として扱われる場合があります。そうして自身が強制され「望まない子供」を中絶出来ない苦痛はどうすれば良いのかとなります。
しかしそれは先ほど言った様に、自身の快楽を得ようとした行為により軽率に子供が出来た時と結果は同じです。それを一括りに「妊娠」として扱って「中絶して良い」と扱って良いのかとなります。
前者の快楽を得ようとして軽率に妊娠したのを安易に「中絶」させると先程言った様に、その意識の方向性が「利害関係の不一致な存在を「異物」として排除しようとする」に簡単に傾きます。SEXという快楽を得るが不都合な妊娠は要らないから捨てる、という事実が出来上がります。するとこれを抽象化すると「自らの快楽を求める為に、他者(異物)を使い捨てにする」という様に見る事が出来ます。その行為行動を繰り返す者が果たして他者と相互権利を維持しながら社会生活を送る事を続けて行けるか、となり、いつか破綻します。自身で問題を認識していれば別ですが。
後者については自身が望んでそうしたわけではないので、原因の方が取り除かれれば「妊娠」前の状態に戻れます。ならば「中絶」は被害の影響を失くすために必要なものではないか、となります。
で、私達の意識についての問題に向けます。望まれない子供を産むのが嫌で「中絶」するのですが、それならまず「中絶する必要がない」状態を作るのが先ではないか、となります。そうすれば「中絶する必要がありません」。
これは新型コロナの時の対処と同じと言えます。感染者に薬をばら撒いて治療費を稼ぐといった状況、コストばかりがかかる状況よりも、まずは感染者の母数を減らす方が先じゃないか、という考え方です。対症療法よりも先に予防が必要なんじゃない?となります。
そうなると「中絶」云々ではなく、いかに「望まない妊娠をしない様にするか」という部分に焦点が行きます。
社会でも良くやっているのはコン○ームですが、それだけでは足りません。なぜならかつてそれが機能したのは、宗教基盤のモラルがある状況だったからです。そして「コン○ームがあればSEXして良い」という考えに移行してしまった為に、行為の試行回数が変わり、一回当たりの失敗確率は低下した筈が、試行回数が増加した為に以前の様な効果が期待出来なくなります。
そして確率とは試行すれば必ず成功か失敗かの結果を出しますが、試行しなければ試行しない結果だけしか出しません。つまりは、SEXをしなければ子供なんて出来る筈がないんです。
新型コロナの話になりますが、外出して1%の感染リスクがあったとして、100回出ればもしかするとほぼ感染してしまうかもしれません。ですがこの外出回数を減らせば当然リスクも下がり感染した結果に成る可能性を下げます。で、パーティだどうだと快楽に耽りたいから外出ばかりした後に、「感染したから助けて」と言いだす奴を周囲はどう見るでしょうか。それと根本的な問題は同じです。また、たった一回だけ外出しただけで感染してしまった運のない方もいるでしょう。その外出がどうしても避けられなかったのなら、その者と欲求に負けた者とを同一に扱うのはどうなのか、となります。
宗教基盤の社会では、ちょっとだけ同一視する可能性があります。どちらも「子」でありまだ知性が成長しておらず何が悪いかの区別がついていないのだから今後に期待、という考え方で済ます事はありますが、同時に罰を与えないと今後も同じ失敗を繰り返すから罰は当然与える、考えが一般的です。
ですが、全く混同するわけではありません。違いを識別してから対処を決めて扱う。医者がどんな病気にも同じ薬を出すわけがないのと同じです。
で、「中絶」の問題に戻るわけですが、一括りに「中絶」で済ませてよいんでしょうか、となります。自身ではどうにもならない原因で「望まない子」を妊娠したのから許容は出来ますが、快楽を求めた結果で失敗して妊娠した者にまで安易に適用範囲を広げてよいのかとなります。
その前にやる事あるんじゃないの、となります。「望まない妊娠をしない」状態を作りだすのが先でしょう?となるわけです。
そうすると貞操観念というのは大事になってきます。簡単に性的に意識させない。軽々しくSEXさせない。などなど。
もう分かると思いますが、「貞操観念」は女を守る為の鎧として作り出されたものであり、それを騙されて潰して脱ぎ捨てたのも女です。
問題は他にもあります。「利害関係の不一致な存在を「異物」として排除しようとする」わけですが、命をそんな簡単に扱って良いのか、そして命の価値をその者が勝手に決めてよいのか、となります。どこから「命」として存在し、権利が存在するか、を勝手に決めてよいのか、となります。それを決められるだけの根拠は一体どこにあるのか。そしてそれを決めたとして、それは「利害関係の不一致な存在を「異物」として排除しようとする為に根拠が必要で、その根拠の為に「異物」の価値を決めた」に過ぎません。それが許されるなら社会の中で人が人の価値を勝手に決めて排除するのも許されるわけです。よくある様に「俺達は特別だから」「俺は有能だから」「俺は特権を持っているから」、『許される」という考えに染まっていきます。自身でこういった問題を認識してそうならない様にしているなら「忘れない」かも知れませんが、それだけの知性を持たないならいずれ忘れてそうなります。快感原則はそういった性質を持ちます。この世の中に毎日、戒律でもいいですが、法治国家で無宗教だとするなら、一般法を毎日暗唱や暗記するなりして更に法の精神を忘れない様にしている者がどれだけいるでしょうか。つまりは忘れていくんです。ならば日常の行為行動から「忘れない」様な仕組みを組み込む必要があります。が、これ宗教の考えなので、「科学的ではない」「効率的ではない」という理由で排除されて「自由に」しているのでそのやり方も期待出来ません。そして競争に負ける要因になるので増々排除されます。そして忘れていきます。
さて、新たな命は生きる権利を持っているでしょうか。その命の「自由」は保証されるのでしょうか、「平等は保証されるのでしょうか」、「愛される(与えて貰う)権利」は保証されるのでしょうか。
本当に、「自由」、「平等」、「博愛」を理解している者は簡単に生殖行為を頻繁に行わない(それを逆手にとって対象の評価を下げる方法もあるが割愛します)。で、宗教時代のモラルが出来るわけです。自らが与えないのに他者から与えて貰えると思う事自体がナンセンスです。
しかし「中絶出来ない」となると問題が生じます。失礼ですが、イスラム圏内の方の出産に見られる様に制限なく子を産めば社会の許容量を上回って資源枯渇問題になります。ここではそれを狙って生死のリスクで脅して交渉して譲歩させるが為に人口を増やさせる方法があるのは割愛します。
だから中世でもそうですが、計算の範囲に入る部分、言ってしまえば貴族家などは領分が決まっているので不必要に子を成さない。成すとその相続出来ない者は新たな資源獲得を目指さなければならないから、外部からエネルギーを持ってこなければならない事になります。社会が未成熟で社会の中にまだ余裕があったりすれば良いですがないなら外部から持ってくるしかありません。
だから、本来なら社会の中で子を多く成すには、先にその子が生きて行けるだけの資源を確保出来ている必要があります。外因で計画が破綻する事はありますがそれは故意に悪用しないならイノセンスです。そして、外からエネルギーを持ってこれないなら自身の生存権を保持する為に自制が必要になります。供給量が一緒で需要が増すと分配量が減る。減った影響が問題になり、ならどこかから持ってくるしかない。という事で、外からエネルギーを持ってこれる者だけにその権利がある(新たな領分を確保してそれを子に分け与える)。
となります。自由経済だどうだと、「外部にまだ広がる余地のある」状態で定義したものを「どの様な状態でも適用出来る」と妄想したのが間違いです。そして根本的な考えがまだ獣と同じという部分は割愛します。
しかし、なぜ「中絶問題」が発生するかと言えば、SEXによる快楽は簡単に得られる快楽で、自由が制限されやすい庶民には抗いがたい誘惑となるからです。社会が与えるストレスを解消するのにSEXをするわけで、別の代替手段が必要になるか、ストレスを低減するかの対処が必要になります。ですが、これ、金持ちからすると搾取出来ない対処方法なのでされないわけです。働かせてストレス溜め込んでも、勝手にSEXして解消してくれるんです。コストが安く済みます。そしてこのニュースでテキサス州での「中絶禁止」の話がありますが、バンバン家畜を生んでくれればそれだけ稼げます。単純に労働力が増えれば生産量が上がりますし、生死のリスクを条件に交渉して譲歩させてコストを下げれます。
例は近代化した時の、工業の担い手の末端とか。パン一つの為に過酷な労働を強いられる、つまりは労働力の供給が過剰であり価値が下がっている状態とか。
その状態に陥る可能性が出てきます。
ではなぜテキサス州ではそんな法律が制定されるかですが、元々不毛の荒野だから興せる産業がない。だからこれまで法人税を優遇して企業誘致して何とか財政をやり繰りしてました。税金を下げても雇用があれば給料の形で金銭が出回りそれで経済を保つ事が出来ます。ですがそれは同時に持てる者と持たざる者を更に分けていく状況を生み出します。持てる者が富の大半を持つ様になると金銭が市場に出回らなくなり地方経済が悪化、不況に陥り、企業の業績が悪化、金持ちは自身の財産を増やす事しか考えてないから雇用を減らし、更に地方経済が悪化、それを止める為に税制優遇して、という様にスパイラルダウンします。
そしてもうそんなやり方ではどうにもならない限界を迎えます。そうなると似非ユダヤに見られる金持ち層は見捨てるのですが、見捨てられない様にするには何かで譲歩しなければならない。
すると似非ユダヤの為の家畜量産として「中絶禁止」という交渉条件が持ち出された、と思われます。
で、その結果の行き先は、近代化工業の際に見られるような過酷な労働条件による搾取です。それでも今はしのげます。その間に何とか挽回して・・・と考えて深みに嵌りデススパイラルです。
で、それなら支援する?となりますが、どこにそんな余裕があるというのか、となり現実的ではないし、そもそもそれは付け焼刃、焼石に水で、根本的な解決にならない。ならどうするか、となり、社会の構造を変えるしかなくなります。経済構造の欠陥が現状を生み出し、その欠陥を用いて不正行為をして荒稼ぎするのが現代社会であり、初めから欠陥を排除出来ないならセーフティネット、フールプルーフが必要で、その為の「グレートリセット」です。でもこれ、似非ユダヤに見られる金持ち層は拒否しますね?ではあなたはどうしますか?となります。
で、過去の出来事ですが、こういった周囲を食い物にしてのし上がり、用がなくなったら使い捨てて別の場所に逃げるやり方をさせない為に、貴族制がありました。統治する領主に経済を扱う権限を持たせます。領主は領地に縛られ逃げられず、経済を破綻させる様な領の運営をすれば自身も破滅する。だから領主は経済を食い物に出来ず、いかに領を富ませるかが自身の財産を増やすかに直結するから領経営に力を入れる、というのが本来の在り方です。
だから日本語では、そうやって領主を任命して統治させる事を「封する」と言います。
で、そういった事が都合が悪いから「貴族は悪い奴らだ」と印象操作してのたまうのが似非ユダヤですw。そうでないと不正行為が出来ないし、いつか誰かが気づくからです。先入観であれはダメなやり方だと思い込み、「なぜそうしていたか」を考えないならそこにある可能性など追求しません。で、ライトノベルなどを見ると・・・となり、そうすると今の社会がどんなやり方をしているのかが見えてきます。それらは隠されて、教えてくれる者が居ないと思った方が良く、だからこそ知性の成長が必要ですが、それなら知性を成長させなければ良いじゃない、と考えた連中が知性の成長を妨害している、のが現代社会で、その実例の一つとして、中さんやカンさんの所が存在する、となります。
ここまでの話の結論としては「中絶禁止」は現状では駄目です。
で、昨日投稿したニュースとあえて別にしたのは、これも含めて前提がまず良くないのはありますが、これに関しては行動を肯定したいからです。今これをしておかないと権利が奪われます。そして似非ユダヤが家畜生産して更に稼げる様にしようとしている目論見を潰せなくなります。
ですが同時に民衆の側も「いかに中絶しなくて良い状態を作るか」の努力してください。そういった日々の努力がないから「一事が万事」でその性質を強め、似たようなやり方を踏襲して不和を生みその争いがコストに跳ね返り、自身の生活を劣化させていき、楽しみもないから簡単に快楽が得られるSEXに逃げ、妊娠する確率を上げ、妊娠して「中絶を繰り返す」事になります。
それらも踏まえて宗教は戒律を決めていたんですが、さすがに科学による知識を扱うにはおおざっぱすぎて対応出来ていません。だからそれらを現代に適用出来るレベルにまで洗練し、教育を受けた者にはその理由が分かる様に根拠を示しながら教える、と言った方法が求められている様に見えます。お米さんなら教育はある程度出来ているから、出来るとは思うんですが。
そして、都合の良い所だけ見る理論はそうやって一部だけではなく扱うシステム全体までの論理的な繋がりを解明して初めてその正当性が維持されます。つまりは完全なシステムを構築出来なければ出来ないだけ、行為の正当性は保証されないという事です。その曖昧なもので「自分はちゃんとやっている」と言ったところでムダなので、本来は不況が深刻ならグレートリセットは当然、なんですが、それでは一部の特権階級に不都合だからさせない、というのがこのニュースの根底にある様な気がします。
少しずつ、少しずつ壊された社会を元に戻すには、戻し方も少しずつ少しずつ戻すしかありません。それであなたは今日をどう過ごしますか?というのが結局は私達の直面する問題です。




