No.4:感情エントロピー
「鈴音ちゃんになんか言われた?」
「いや何も」
返答早っと横で苦笑している彼を見て、この笑顔あの子にも見せてるのかなぁと鈴音という女の子の顔を思い出した。小さくて可愛い守ってあげたくなるような女の子。普通うの男性ならばあきらかにあっちを選ぶ。
何でこの男は別れをきりだしてこないのかと疑問に思いながら周りを見回したらショーウィンドウ越しにゲームセンターのユーフォーキャッチャーが見えた。「あ」声を漏らしてある一転に視線を止める。
「どうした?」
「……いや」
不思議そうに聞いてくる彼に何でもないと首を振る。でも再び視線はある物に自然と向いてしまった。この私が珍しくもかわいい、と思ってしまったその人形はユーフォーキャッチャーの景品になっていた。
趣味がおかしいとはよく言われるものだがまぁ自分でも自覚はしていた。以前に友達とショッピングに行った時に「これかわいい」と言って手に持ち上げた品物を見てみんなに引かれた。ちょっと趣味変って言われて笑われたのでそれ以来恥ずかしさもあってか人前では口に出さないようにしている。
もちろん彼にも言うつもりがないので無言を決め込む。だいたい私はユーフォーキャッチャー類で一度も景品をとったことがない。つまり挑戦したところでお金の無駄だとわかりきっている。
後でその手のゲームが得意な友人でも呼んでとってもらおうと密かに心決めていた私の視線を辿っていた彼は「あれか?」ちょっと意外そうな顔をして呟いたあとに私の手を引っ張ってゲームセンター前まで来た。
「いやいや、ちょっと」
「あれ欲しいんだろ?」
引っ張られている方向とは逆の方に体を引っ張るが抵抗も虚しくゲームセンターの中に入っていった。思うがゲームセンター内はいつもいろんなものがチカチカしていて目に悪い気がする。少なくとも私は少し光に酔ったような感覚に襲われる。
そんなことを思っているうちに例のユーフォーキャッチャーの前に来ていた私と彼。歩みを止めて私を振り返った。
「これ?」
「う……うん」
そこにはちょっと一風変わった雰囲気をもつ何種類もの人形が敷き詰められていた。一般に言うなら「かわいい」より「キモかわいい」がお似合いなのだろう。それを素直に可愛いと思ってしまう私は相当性格が歪んでいると見える。
隣の彼が突然ぶっと噴き出したものだから吃驚したわたしが「何?!」と聞けば「いや……その、変な趣味だな。クッ」ツボに入ったのか再び噴き出す。その有様を見ていた私はやっぱりね!と憤慨して踵を翻し、出入り口に向かった。だから言うの嫌だったんだ。
「あーちょっと待って待って」
「嫌だ。帰る」
ごめんごめんと私を引きとめ謝る彼を一瞥するとふんと鼻をならす。可愛くないなーあたし、と思うけれど生まれ持った性格なのだからどうにもできまい。
何故か再び彼に連れ戻されてキモかわいい人形の前に立つ。欲しい、が、私はとれない。別にユーフォーキャッチャーで景品がとれなくとも生きていけるし将来に関わるわけでもないがこんな時ばかりは才能のない自分を呪う。そして事も無げにパッとコイン一枚で景品をとってしまう人が羨ましく思う。
「どの種類が欲しいんだ?」
「…そんなの聞いてどうするの」
「とってやるって言ってるの。この俺が」
ここでときめかず、『この俺が』ってあんた何様…と思ってしまう私はやっぱり可愛くないのだろう。やる気満々の彼に遠慮して私は一歩身を引いた。
「無理しなくていいよ。お金の無駄だよ」
「え、それ俺が下手って遠まわしに言ってる?」
「とれるの?」
「馬鹿にすんなよ。俺この手のゲームは得意ですー」
コインを一枚入れてペロッと得意げに舌を出す彼に、あ、ちょっと今の仕草かわいいと内心変態くさいことを思いながら彼の勇姿を見届けた。こんな時ばかりドキリとする。
あれもしかして私って一種の変態?いやいやそれはちょっと納得できないな。自分が変態だと私はなかなか認めたくない。
「で、どれ?」
「…どれも可愛いなぁ。とれやすそうなのでいいよ」
本当にどれでも良いけどとにかく欲しいと思っていたので本心を述べた私に彼は微笑して「それじゃ、とれやすそうな物で」とボタンを押した。一発では落ちるとは思っていなかった。確率的に考えても狙ったものが一発で落とせる人はそういない。いつの間にか真剣に見ていた私はクレーンがぐんぐんと動いていくのを見て小さくごくりと喉をならしていた。
でも私よりさらに真剣そうにその様子を眺めていた彼はある一点でボタンを押していた手を離し、もうもう一つつけられていたボタンを押した。アームがぐん、と開きクレーンが下にゆっくりと降りていく。いつも思うがこの瞬間が一番どきどきする。景品を掴んだときの高揚感といったらたまらないものだ。まぁたいていはそのあとクレーンが上がると同時に結局景品も落ちてしまうのだが。
小さい頃はアームの力が弱いだの景品に掴むところがないだの文句を言っていたものだと思い出し笑いをしてしまった。クレーンが一番したまでたどり着き、アームが人形をはさみこむように閉じていく。
問題はこのあとだ。景品を掴むはいいが大抵は下に落ちる。私もそこまでは行くのだがその後は絶対落ちる。テレビでやっていたクレーンゲームマスターらしき人が『これは頭を使うゲームです。見ただけでとれそうと考えてもそう簡単にとれるものではありません。コツは景品の幅ですね、アームが開いたときと同じぐらいの幅の部位を掴むんです。まぁこれも経験ですが。あと掴むのではなく、押して落とすパターンもありますね』
どこでそんな知識を身につけたのだろうと思うくらい次から次へと述べられるコツに「よし今度やってみよう」と意気込んだはいいものの結局は無理だった。所詮経験なのだとこの時察した。
「あ」
ウィーンと高々と持ち上げられた人形に私は一瞬魂を吸い取られたかのような気分になった。頭が真っ白になり、たった今何を考えていたのか忘れてしまうほどの。
横で「よっしゃー」と顔を綻ばせた彼のことなど目に入らず私は人形を持ち上げたクレーン一点をじっと見ていた。やがてぼとりと鈍い音がして、落ちる。
別に私がとったわけじゃないのだ。わたしが成功したわけじゃないのだ。なのに何が起こったのか、今だ理解できていない私は喜びに打ちひしがれることも飛び上がることもせず、否、できずただ呆然と彼が取り出し口からキモかわいい景品を取り出すのを見ていた。
「はい」
無理矢理押し付けるように渡されたその人形に無言のままそれを受取ってじっと見つめる。やっぱりかわいいと思う。でもそれ以前に、
「まさか一発でとれると思ってなかった。俺スゲーな」
「……」
「ありゃ、もしかしてそれ気に食わなかった?」
「あ……」
「あ?」
「あり…がとう」
今度は彼が固まった。何に対して固まったのかは私にはわからなかったけどその表情はすぐに元に戻って「別にたいしたことじゃねぇし」笑った。初めて彼から貰ったもの。
今更ながらにして嬉しさがこみあげてきた私はどうも感情というものが体を駆け巡るのが遅いらしい。両手に持った人形をぎゅっと抱きしめて笑うなどと乙女くさいことをしてしまった。後で思うと恥。
「うそつき………っ!!」
昼時だった。今日は弁当じゃないので購買にパンでも買いに行こうと財布片手に人通りの少ない廊下を歩いていると急にがしりと肩を掴まれて百八十度回転させられた。そしてバシッと衝撃。
頬に赤い手形ができるのは初めてだった。まさか知り合って間もない相手にこんなことをされるだなんて誰が思おうか。私はどうやら鈴音という女の子に平手打ちをくらわされたようだった。この鈴音という女の子は見た目とは裏腹に随分と神経だけは図太いようだ。そこまで関わりのない相手をどうしてそこまで力いっぱい引っぱたくことができるのだろう。
わたしは目をぱちくりさせながら打たれた頬を押さえるわけでもなく、ただ目の前の相手をぽかんとした間抜け面で眺めていた。浮気が彼女に見つかった男の子はきっとこんな気持ちなのだろう。これはきっと基調な体験になる。
それ以前にその彼女が発した言葉に疑問が浮かんだ。「うそつき」とは何だ。彼女に対して嘘をついたことがあろうか。そもそも何に嘘をついたところで私にメリットがあるんだ。
「何のことか…」
「邪魔しないって言ったのに!」
え?そんなこと言った…?いつ…?
言った覚えのないことを言われて混乱した。邪魔って、むしろ立場的に邪魔してるのはそっちなんじゃ…とは言えないけど。邪魔した覚えもないし。
「もう!何でさっさと別れてくれないの?!何で邪魔するの?!」
ヒステリックに叫ぶ彼女にあの、ちょっと落ち着いたら?ってなだめるとうるさいっと一喝されたので思わず押し黙った。今正直に怖いと思ってしまった。
恋する女の子とは活力あるものであると誰か唱えていたが活力あるだけじゃ済まされないだろこれはと思うのは私だけか。ヒリヒリとした頬に表情を歪めながら彼女を見据えると睨まれたように見えたのかあっちも睨み返してくる。
「独占欲の強い女は人に好かれないんだからね!いい加減諦めてよ」
それははたして彼女も入っているのだろうかとくだらないことを頭の片隅で考えていると彼女は言い返す間もなく短いスカートとストレートな髪ををひらりとなびかせて鼻息荒く駆け出していった。
「何なの一体…」
パンを買い損ねた私は廊下で立ち尽くすしかない。