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妻の生姜焼きを探して

作者: 神谷 錬

 妻が亡くなって一ヶ月が経った。


 妻はよく笑う、陽気な女性だった。そしてとても料理上手だった。結婚生活は妻の独特な笑いのセンスとおいしい料理の思い出に溢れていた。

 妻を亡くしてから僕は笑うこともなくなり、食欲もなくまともな食事をとっていなかった。以前は毎日妻のエキセントリックな言動にツッコミを入れながら笑っていたのに。毎日妻が作ってくれる料理が楽しみだったのに。



 四十九日が過ぎた頃には僕の体重は10キロも落ちていた。目に見えてやつれた僕に周囲は心配していた。僕自身もこのままではいけないと感じ始めていた。

 とりあえずちゃんと食事をとらなければ、と思ったが食欲がわかない。というより食べたいものがない。

 ふと思いついたのが、豚肉の生姜焼きだった。


 ただし、『妻が作っていたものと全く同じ生姜焼き』だ。


 僕は妻が作る料理の中で、生姜焼きが一番好きだった。

 今日何が食べたいか聞かれると、ほぼ毎回生姜焼きをリクエストし呆れられていた。


 大好物を作ってくれた妻はもういない。レシピもわからない。

 しかし、もしかしたら探せば全く同じ味に巡り会えるかもしれない。

  『妻の味』を探そう。

 久しぶりにやる気が湧いてくるのを感じた。



 妻の味の生姜焼きを探すと決めた僕は、ありとあらゆる生姜焼きを食べた。

 チェーン店の定食屋から個人経営の食堂、弁当屋。メニューに生姜焼きがあれば迷わず注文した。

 生姜焼きとひとくくりにされているが個性は様々だ。使う肉の部位、タマネギの焼き具合、タレの味付け、タレの絡み具合。どの生姜焼きも微妙に違っていた。

 妻の味を探し始めてから食事もきちんととるようになり、活動量も増えた。そして何より目的が生まれたことで悲しみが少し紛れるような気がした。

 


 どん底からは何とか脱出した僕だったが、妻の味の生姜焼きにはなかなか巡り会えなかった。

 あの味は外食で食べられるものではなく、家庭でしか出せない味なのかもしれないと僕は思い始めていた。

 記憶を頼りに自分で作ってみようと思ったが、料理が全く出来ない僕にはそもそも生姜焼きの作り方がわからなかった。

 困った僕は実家の母に生姜焼きの作り方を教えて欲しいと頼んだ。そしてわかる範囲で妻の生姜焼きの特徴を伝え、それを踏まえた作り方を教えて欲しいと言った。


 数日後、実家で母に生姜焼きの作り方を教えてもらった。

 豚肉は少し厚みがあるものを使っていたことなど、僕が特徴を伝えただけあって見た目は妻の生姜焼きそっくりに仕上がった。

 期待に胸を膨らませて一口。


 違った。美味いが違った。


 料理が出来ない僕は肝心の味付けに関しては何がどのくらい入っているかさっぱり分からず、母に任せたのだった。そしてその結果、味付けは妻の味ではなくお袋の味になってしまった。その味は懐かしく、抜群に美味かったが求めているのはこれではない。

 しかし、生姜焼きの作り方がわかっただけでも収穫だった。



 その後、初心者向けの料理本を買って作ってみたがやはり違っていた。

 もしかしたら妻は彼女の母から生姜焼きの作り方を教わったのかもしれないと思い、厚かましさは承知の上で妻の母にレシピを尋ねたがこれも違っていた。どうやら妻の味は完全なオリジナルのようだった。



 半ば諦めかけていたそんなある日、用事があって実家に立ち寄った。なんだかんだで長居をしてしまい、夕食を食べていくことになった。

 今日の夕食は妹が作ったらしい。


 「どうした?お前が料理をするなんて珍しいな。」

 「この子ったら、最近できた彼氏が『料理上手の子が好き』っていうからこのところ料理練習してるのよ。」

 「もー母さん!余計なこと言わないでよ!」


 妹の恋愛事情にあまり関心はないが、妹が料理をしている姿を見たことがなかったので若干クオリティが心配だった。


 「お袋が料理教えてるのか?」

 「ううん。なんか知らないけど自分でネットみたりしてるよ。わからなかったら聞きにくるけど。」


 そうしているうちに夕食が出来た。おかずはハンバーグだった。やや形はいびつだが、思ったよりは悪くない。しかし肝心なのは味だ。


 一口食べて衝撃を受けた。

 不味かったからではない。妻が作ったハンバーグの味と同じだったからだ。なぜ妹が妻の味を知っているのか。妻から料理を習っていたことはなかったと思うが。

 

 「…これ、何見て作ったんだ?」

 「えー。美味しくなかったー?イクラちゃんのレシピは彼氏も父さんも母さんもいつも美味しいって言ってくれるのにー。」

 「イクラちゃん?あの『バブー』しか言わないアニメキャラか?」

 「違うよー。レシピアプリで人気の投稿者だよ。マジ、神だから。」


 訳がわからずにいる僕に妹はアプリを起動させたスマホを渡した。

 画面には『軍艦イクラ』という作者が投稿したレシピの数々が並んでいた。


 『軍艦イクラ』の正体は妻に間違いなかった。

 何だよ、軍艦イクラって。戦艦大和に似せたのかもしれないが、似ても似つかないB級感。独特なネーミングセンスを持っていた妻らしいハンドルネームだ。確かに妻はイクラの軍艦巻きが大好物だった。

 投稿したレシピは見慣れた妻の得意料理。

 ハンバーグ、ポテトサラダ、長ネギの味噌汁、ブリ大根 - レシピの数は数十種類あった。どれも僕の好物ばかりだ。

 夕食を食べることも、家族が周りで見ていることも忘れ、僕はスマホの画面に釘付けになった。

  

 せんべい汁 - 青森出身の妻はよくこの郷土料理を作ってくれたっけ。

 鶏肉飯 - 新婚旅行で行った台湾で食べたな。妻はこの味が気に入って真似して作っていたな。


 どの料理にも妻との思い出があった。

 スマホをスクロールしながら僕は泣いていた。泣きながら、あの料理のレシピを探していた。


 あった。

 生姜焼き。


 そのレシピは生姜焼きのレシピカテゴリーで人気ナンバーワンに輝いていた。

 何百回と食べた生姜焼きの写真。写真の横には金メダルのイラストが描かれていた。この生姜焼きは僕だけでなく、世間もナンバーワンだと評価しているのだ。そんな生姜焼きを食べていた僕はなんて幸せ者だったんだろうと改めて感じた。

 僕は声を出して泣いた。



 翌日、僕は生姜焼きを作った。材料、味付け、手順、レシピどおり完璧に作った。少し焦がしてしまったが何とか完成した。

 

 探し求めていた味がここにあった。やっと巡り会えた。

 そして僕はまた泣いた。昨日から泣いてばかりだ。泣きながら生姜焼きを完食した。


 生姜焼きの余韻に浸りながら、僕は他のレシピを詳しく読んでいった。

 レシピの詳細ページの下の方に作者のコメント欄がある。コツやレシピの生い立ちなどが書かれているところだ。ひとつひとつのレシピのコメントを読んでいくと、そこには妻の想いが綴られていた。


 かぶのそぼろ煮

  かぶが苦手だった夫もこれでかぶ嫌いを克服したようです☆

  嫌いだったことがウソみたいにおかわりしていました(笑)やったぜ(^v^)v


 エリンギのハーブソルト炒め

  もう一品欲しいときや洋風おかずの付け合わせにぴったり。

  夫のお気に入りでたくさん作ってもあっという間になくなります(^^;)


 シンプル餃子

  挽肉は豚肉100%を使うことがこだわりです。

  食いしん坊の我が家では夫婦2人にも関わらず50個作ります(笑)


 生姜焼きのコメント欄にはこう書かれていた。


 生姜焼き

  豚肉に小麦粉を薄くつけてから焼くことがコツ。これでタレがうまく絡みます。

  夫の一番の大好物で「何食べたい?」ときくとリクエストはだいたいコレ(笑)

  今まで何百回と作ってきました。私にとって一番思い入れのあるレシピです(*^^*)


 暖かい涙が止めどなく流れ、胸の奥に広がっていった。

 遺影の妻が微笑んだような気がした。

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[良い点] レビューより。 終盤の展開になるほど!と膝を打ちました。 男性の今後に幸あれと願いたくなる、読後感の良い素敵なお話でした。
[良い点] あったかい話でした 好きです [一言] 昔女性週刊誌で読んだ記憶がありますが、何でも生姜焼きを注文する男は出世するそうです 生姜焼きには何かパワーが有るのかも知れませんね
2017/04/30 22:07 退会済み
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