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不覚にも散々泣いた。こんなに泣いたのはいつ以来だと思い出せないくらいに、通夜の時よりも泣いた。
抱きしめた体の温もりに。上下する胸の動きに。穏やかに響く柔らかな声に。我儘で自由で、彼らしい発言に。
安堵から力が抜けて、あっけなく意識が持っていかれるくらいに泣いた。
そして目を覚ましたとき───こちらを見つめる懐かしい眼差しにまた涙がこぼれた。
「もう、みーちゃんたら泣きすぎ。釣り目が真っ赤になっちゃってるよ?」
「誰が泣かせたのよ」
「俺?」
「そうよ!」
「じゃあ仕方ないねぇ」
ほにゃりと人畜無害そうな顔で笑ってるくせに、言ってる内容はやはり鬼畜だ。
頬を伝う涙をぬぐう指先の動きは優しいけれど、満月の言葉に満足を隠しきれていない。いや、この場合隠す気もない。
全く仕方がないものだ。幼馴染───正義は、満月に関してのみとても狭量で執着心が強くなる。
他に対してはぞんざいでマイペースで、少しばかり横暴で乱雑なところもあるのだがもう慣れてしまった。
満月の周囲にいる人も同じだ。だからこそ、いつの間にかいたその人物も衝撃を受けたのだろう。
「・・・・・マサヨシさまが、くすぐったそうに笑った、だと・・・!?」
「・・・・・・」
「嘘だ、俺は奇跡を見ているのか。あの、乱暴乱雑粗雑我儘唯我独尊を絵に描いた俺様が、嘲笑以外の笑みを浮かべるなんてありえない!」
「・・・・・・」
「そうだ、疲れてるんだ。仕事のしすぎに違いない。何しろマサヨシさまときたら召喚されるなり王国の主要人をぶっ飛ばして家出するような男だからな。あの男がほにゃりなんて間抜けた面で───ぐぇっ」
「いつまでうだうだ言ってやがる」
心臓に響く重低音。まだ一日程度しか離れてないのに懐かしすぎる恫喝に、思わず口の端が持ち上がる。
先ほどまで甘ったるく下げられていた目じりはきりきりと吊り上がり、彼の背後に立っていた男性と思しき相手の頭をがしりと掴む。
いわゆるアイアンクロー。中肉中背の割に力がある幼馴染は、痛みで呻く男性の声など気にせずそのままさらに力を込めたらしかった。
「むさくるしい声で叫ばれると俺のみーちゃんが心安らかに休めないだろうが。そもそもなんでお前が来た?俺は、女に来させろと言わなかったか?」
「普段のあんたを知ってる相手にこんな姿見せれるわけないじゃないですか!恐怖で失禁しますよ!?」
ベリーショートの毛先を遊ばせた声の主は、身振り手振りで懸命に違和を訴える。
中々大きなジェスチャーだが、片手に持ったティーセットを揺らすこともなく維持しているのは恐れ入る。
見た感じ17歳の満月よりも5歳は年上そうに見えるが、実際のところはどうなのだろうか。
映画の中でしか見ないような堀の深い端正な顔立ちをした青年は、黒を基調としところどころに白のさし色を入れた、小説に出てくる騎士のような恰好をしている。
身長もほどほどに高く目算で180cmは超えていそうだ。燃えるような赤髪に同色の瞳。唇は酷薄で、こんなに表情が豊かでなければ冷たくも見えるだろう。
声は滑らかなテノール。舞台で歌を歌ったらさぞかしはえるに違いない存在感を持つ彼は、しかし残念なことに振り撒く雰囲気で二枚目から三枚目へと印象を落としている。
確かに普段の正義しか知らない相手なら、満月の前での落差には驚くだろう。
満月にとっての当たり前は多少執着心が強いだけの過保護な幼馴染だが、満月にかかわらなければ基本の彼は結構雑だ。
見た目こそ笑みを浮かべていれば好青年ぽい爽やかさを醸し出すこともできるものの、彼は愛想笑いにはまったく縁がない。
楽しければ笑うし、嫌ならば嫌がるし、頭にこれば怒るし、悲しい時は素直に悲しむ。良くも悪くも自分の感情に正直な性質なのだ。
もっとも、だからこそ満月の前ではあんな蕩けるような笑みを浮かべるのだけれど。
尚もぎゃーぎゃーと声を荒げて正義につっかかる美形の存在を一旦心の中から排除して、瞼を閉じゆっくりと深呼吸をする。
胸にたまった空気を十数えながら吐き出すと、閉じていた瞼を持ち上げ、かねてからの疑問を舌に上らせた。
「ねえ、正義」
「なに、みーちゃん?」
即座に帰る甘ったるい声。言葉をかけられるのが嬉しくて仕方ないのを隠さない素直な幼馴染は、吐息すら触れそうな距離でこてりと小首をかしげた。
「ここはいったいどこなの?」
当たり前の疑問。
本来なら一番最初に口にするべきだった疑問を発し、満月も鏡合わせの仕草で小首をかしげた。