プロローグ
『っく・・・えっく』
『なかないでよ、みーちゃん』
『だ、ってぇ』
『みーちゃんはわるくないよ。みーちゃんのおめめはきれいだもん』
『でもぱぱがいうの。わたしはパパのこじゃないって。めのいろがちがうからって。わたしなんていらないって』
『ぼくはみーちゃんいるよ?』
『・・・え?』
『ぼく、みーちゃんだいすき。みーちゃんがほしい。だからさ、ずっとぼくのそばにいなよ』
『まさくん・・・?』
『やくそく!ぼく、みーちゃんがわらってられるようするから、だから・・・』
ぱちり、と目が覚める。
薄暗くなった室内で数度瞬きを繰り返し、ぼやけていた思考がはっきりするにつれ、懐かしい夢を見ていたのだと気がついた。
色褪せた思い出、けれど色褪ることなく続くはずだった約束は、呆気なくももろく崩れ去った。
鼻につくお線香の香りに導かれ視線を向ければ、白黒写真の中で満面の笑みを浮かべる幼馴染のあどけない姿。
写真の周囲には白と黄色の菊の花が飾られ、ヒノキで出来た棺に突っ伏して眠る幼馴染の母親と、疲れた表情で彼女の肩にブランケットを掛ける幼馴染の父親の姿。
姦しく争うことが多かった彼の兄弟たちも目尻と鼻を赤くしたまま眠りについて、昨晩の騒動が嘘のように静まり返っている。
あいつに涙は似合わない。いつだって騒々しく姦しく喧しく、トラブルメーカー然として人を巻き込むくせに、騒動の真ん中で笑ってる、そんな幼馴染には。
『泣くよりは笑って見送ろう』
そう決めていたし、実際に努力はしたけれど、涙は勝手に溢れて零れた。
静かな居間で涙を啜る音を聞かれたくなくて、そっと部屋の襖を開ける。
俯いていた満月は、その瞬間、空気が変わったことなんて気付かなかった。
瞼を強く擦りながらトイレに向かうため一歩を踏み出すと、足ものと感触に違和感を覚える。
なんだ、と慌てて目を擦っていた手を放したら、その腕を絶妙なタイミングで掴まれてバランスを崩した。
「っ!!?な、なに・・・!?」
「へへ、みーちゃん。迎えに着ちゃった」
「!!!!???」
もう二度と聞くはずがない声。
昨日永久の別れを覚悟した、一日も離れてないのに、もう懐かしさを感じる、憎たらしい声。
(嘘だ。あいつのはずがない。だってあいつは───)
もう、いないんだから。
目尻に浮かぶ雫を無視し、奥歯をぐっと噛み締める。泣きたい、けど泣きたくない。
失ったものが大きすぎてまだ認め切れてない。けど認めなくてはいけない。
そんな複雑な心境を鑑みない、迷惑極まりない『誰か』は、満月の腕を取り引き寄せる。
ドン、と身体に軽い衝撃が走った。まるで夢じゃないと、知らしめるかのように。
「俺のいない世界で笑って欲しくないから、迎えにきちゃった」
言ってることはかなり酷いのに、悪びれない声。
こんな台詞を当たり前に吐く相手なんて、満月は一人しか知らない。
我侭で、自分勝手で、マイペースで、自分が決めたことを曲げない、どうしようもない彼自身しか。
恐る恐る、俯けていた顔を持ち上げる。
「久し振り、みーちゃん。会いたかった」
にぱっと満面の笑みを浮かべた幼馴染に、どうしようもなくやるせない感情を嚥下して満月も笑った。
「馬鹿・・・まだ別れてから一日も経ってないわよ」
掴まれた腕を解くことなく、もう片方の腕を伸ばして伸び上がるように飛びつく。
ここにいる存在が嘘じゃないのだと、夢でも幻でもないと、確かめるように、強く、強く。
「そっか。我ながらナイスタイミングだね!俺、みーちゃんが俺のいない世界で笑うのも嫌だけど、泣くのも嫌だから」
「・・・あんたって、ほんと馬鹿ね」
「俺、みーちゃん馬鹿だから仕方ないよ。筋金入りだしね!」
くふふと笑って満足げな吐息を零す幼馴染は、満月の髪に頬を摺り寄せ囁いた。
「あっちの世界では無理だったけど、こっちの世界で笑顔にするから。だからみーちゃん、俺と生きてね」
「うん」
二度と話している姿に会えないと思った幼馴染が目の前に姿を現した。
今の満月にとって、それだけが重要だったのでうっかりと色々と大事なことを聞き逃してしまった。
あっちの世界とこっちの世界。
詳しく語られぬうちに、幼馴染が異界に続く門を閉じてしまっていたことに。
腕に抱いた温もりに満足げに目を細め、くつりと喉を鳴らした男は、手にした愛しいものを前に緩やかに吐息を吐き出した。