第二十話 一夜明けて
その日の夜は眠れなかった。湧き出る恐怖と後悔が、私を支配する。実際身体でも感じたのか、寝ようとしている間にも吐き気がこみ上げてくる。手の震えも治まらない。私は自分で自分の状態を酷いものだと感じたが…、月斗はその数倍は酷いだろう。あの絶叫する姿から何となく想像できた。
あの後華は、すぐに医療室へと運ばれた。担当の医師の話を聴くと、華の頭に何者かに殴られた様なあざがあったという。幸い気絶しているだけだったみたいだが…この後どうなるのか分からない。
ああやっぱりあの時、人目を気にせずに話せたのなら、こんな事にはならなかったのだろうか…?
『残念だけど、あの時あなたが華に警告したとしても無駄よ。』
ふと、『Succubus』の声がした。ベッドの近くにホルダーを置いていたので、声がしたのにはすぐに気付いた。
「どういう意味だ…。」
『えーとね…『華が何者かに襲われる。』っていう未来は確定したものなの。つまり、阻止したくても阻止できないって訳。まあ、あなたも気付いていたけど、いつ起こるか分からないものだしねぇ…。』
『Succubus』はせめてものフォローのつもりでそう言ったのだろう。だが実際、私の気分は晴れた訳ではなかった。
結局、ベッドに潜り込んでから数時間、私は眠る事が出来なかった。
朝、私は目を覚ます。やっと目を瞑って眠れたかと思えば、時間は早く進んでしまうものだった。しかし存外にも身体の疲れはとれている。あれだけの恐怖を感じておいて、一体何故?それはともかく。
朝食をとる前に、華のいる病室へと向かった。少しでも何か動きがある様あらば、それはそれで知っておきたかったからだ。
部屋に着くと、そこには看護師らしき女性がいた。私は事情を説明し、看護師から状況を聴く。
「だいぶ意識は元に戻ってきました。大丈夫。華さんは無事ですよ。」
言われたのは、たったそれだけ。だが、何処か安心を覚えた。私は看護師に礼をして部屋を出た。
その時…だった。ドアの近くに、月斗がいたのに気付いた。ここに来たのは恐らく…私と同じ理由だろう。一応挨拶した後に、話を切った。
「華は…無事だと。そう言っていた。」
「…そうか。お前、昨日眠れたか?」
「そんな訳ないだろう。お前は…いや、訊かなくとも分かるか。」
「ああ。風早…ッ。」
月斗の表情は、何よりも暗かった。ずっとうつむいたまま、歩き続ける。意識がなく、フラフラとしている様に見える。本当に不安定だった。
その後、いつもの場所で朝食をとる。…今日も味を感じなかった。最近こんな事がよく続く。
私は月斗を見た。いつもはがっつく様に飯を食っているのだが、さすがにそんな余裕はないのだろう。いつもより箸を動かす手がゆっくりだった。
食べ終えて、私は自分の部屋に戻る。ベッドに腰かけ、最初に出たのは大きなため息。
『心ここにあらず、か。』
声がした。聴いた時に『Succubus』のものだとすぐに分かった。
『なんか、やつれている様に見えるよ。…無理もないか。』
「…お前は、どう思っている?」
『えっ?』
「月斗と華の事だ。お前の意見を聴きたい。」
『Succubus』は何も答えなかった。本当に分からないのか、いったん考えてみているのか。私は後者だと思ったのだが。何秒か経って、『Succubus』が「そうだなぁ。」とつぶやくのが聴こえた。
『月斗って言ったっけ、あの男の子。その子の様子しか見ていないけど…結構気にかけているんだね、華の事。もしかして…って思ったけど、さすがにか。』
「お前も同じ様な事を考えるんだな。」
『まあ、ね。私はそういうのは見ていて好きなんだけどなぁ。』
「随分な悪趣味だな。人の関係を見て楽しんでいるとは…。」
『人間のそういう様子っていうのはさ、私達幻獣にとって一番面白いんだよ。まあ、『あの人』はそういうのは嫌っているんだけどね…。』
「『あの人』…。『オルヴェア・キアラン』の事か?」
あの時に聴いた名を口にした時、『Succubus』は一言も発さなくなった。だがしばらくして、『どうして…その名を?』と静かに尋ねてきた。私はその経緯を話すと、『Succubus』は『成程。』と何かを納得したかの様にそうつぶやく。
『アーカム…あいつようやく捕まったんだ。正直無理かと思ってたけど。』
「おい、今私が訊きたいのは…。」
と、言いかけた時。勢いよくドアが開く音がした。入って来たのは…ユリだ。息切れしており、額には汗が浮かんでいた。「何があった?」と訊くと、ユリは震え声でこう答えた。
「華が…目を覚ましたって…先生が…!!」
部屋に着き、中に入るとそこには、担当の医師と看護師が叔父と話をしていた。そして…ベッドの方を見ると、そこには大泣きしている月斗とそれをなだめる華の姿があった。華の頭には包帯が巻かれており、何とも痛々しい姿だったが…当の本人はあまり気にしている様には見えなかった。
しばらく様子を見ていると、華がこちらの存在に気付いた。私とユリはベッドへと行く。
「大丈夫か、華。」
どう話を切ればいいのか分からず、最初に出たのがこの一言だった。
「咲子さん、心配かけてしまって本当にごめんなさい。」
「いや、お前が無事ならいいんだ。何よりも重症に至らなかったのが良かったんだが。…それより。」
私は月斗に目線を向けた。相当泣いたのか、目の周りが真っ赤になっている。
「お前…そこまでなるほどか?」
「ううっ 仕方ねーだろ。風早が目ェ覚ましたんだ。つーか、そう言うてめーこそ、本当は人目気にしないで大泣きしたいんじゃねーよな?」
…いつもの調子だ。こっちも良かった。だがその時に、医師との話を終えたのであろう叔父が、口を開いた。
「今回の事件、あまりにも不可解だな。」
「不可解?」
「ああ。華さんの頭の傷跡なんだが、あれはどう見ても物で殴った様にしか思えないんだ。」
「つまり…言いたいのは、凶器らしき物が見つからなかったと?」
叔父はその問いに頷いた。どうやらそうらしい。さらに話を続ける。
「あと、これは華さん本人から聴いたんだが、何者かに殴られた後、女の笑い声を聴いたらしい。」
「わ、笑い声!?」
「華さんは気を失う前に、なんとか周りを見渡したようだが…無かったみたいだ、犯人らしき影が。」
何だろう、嫌な予感しかしない。まさか…。
(もしそいつが、『華はまだ生きている』という事に気付いたら…?)
それだとあまりにも危険過ぎる。だが、叔父もそういう事は考えていたのだろう。不本意ではあるが、今後華の部屋に二人の隊員をおくと、叔父はそう言った。
話が終わると医師が「華に今の様子を訊きたい。」との事だったので、私と月斗とユリはドアの近くまで下がった。
丁度、下がり終わったときに…また『Succubus』が話しかけてきた。もしもの事があったらと、この場にホルダーを持って来ておいたのだ。私は桃色の歯車を取り出した。
『何だか厄介だね。』
「叔父曰く、不可解な事は変わりあるまい。」
『うーん…これは…あくまでも私の考えだけど…。華は、不可視の存在にやられたんじゃないかな?』
その言葉に私はもちろん、ユリと月斗は驚きを隠せなかった。
「不可視って…見えない相手にやられたっていうのかよ!?」
月斗のその問いに『Succubus』は答えた。
『その通り。まあ、こういう答えだしたのは、今が今だしね。』
「今が今…?」
『ほら、私達が今こうやって現実の世界にいれている訳でしょ?だから、そういうのもあり得るかなーってね。』
随分と軽い調子で言っていたが、確かにあり得るのかもしれない。しかし、不可視の存在となれば、もはや人間では手の施しようがない。やはりここは、幻獣の出番なのか…。
『見ーつけた。』
どこからともなく、聴こえてきた声。声が消えた…瞬間。
「…ぎゃあァッ!?」
ユリの短い悲鳴が聴こえた。その時ドサッという音がする。ユリが、頭を抱え…倒れていた。
「ううっ…痛いッ…!!」
ユリは何とか立ち上がろうとしていたが、さっきの衝撃が強かったのか、思うように立てていなかったのが目で見て取れる。
その後…更に異変が起きた。月斗の首元に、手があった。それもただの手じゃない。骸骨だった。月斗は恐怖のあまりに、立ちすくんでいる。私は手を除こうとしたが、いつの間にか他の場所から出てきた骨によって、弾かれる。
骸骨の手が、月斗の首を掴む。本来、あの手に力など無い様に思えたが、月斗が苦しんでいた。
(まさか…あれが不可視の存在!?)
その答えに至り、私は咄嗟に叫んだ。
「『Succubus』!!武器変化だ!!」
『いいの?あなた、初見で挑むことになるわよ?』
「それでもいい!早く!」
歯車が光輝く。やがて、治まった時に、その武器の姿が分かった。
「鞭か?」
『そうよ。あなた案外ラッキーかもね?』
「ラッキーとはどういう…。」
と言いかけた所で、私はこれの用途を思いつく。確かに使うのは初めてだが…やるしかない。
「行くぞ!!」
月斗の首を掴んでいる骸骨めがけて思い切り振った。その時見事に当たり、バチンッと凄まじい音が部屋中に広がった。その瞬間、月斗は解放された。
「すまん…咲子。華は大丈夫か?」
私と月斗は華を見た。華は恐怖故、泣き目になって手を震わせている。
「…っ ええっ?!」
また、ユリの悲鳴がした。私達はユリの見ている方を見た。
…そこには、一人の少女が立っていた。今まで見たことが無かったのだが。
その時、ユリがゆっくりと、口を開いた。
「…ミユ?」




