ドロドロ
こういった小学生向きなお話を書きたいですね
今日もまた隣町に原子力爆弾が投下された。
「おー、ついにここまで来たかー」
俺、遠野優馬がその光景を会社の、窓から無感動に眺めていると、デスクに座っていた部長が社員全員に向けてあることを告げた。
「諸君、見ての通りだ。家族が心配な者が居れば今日は帰っても良い。あー、遠野君。確かキミの家は……」
「いえ、先日引っ越したばっかで、あそことは正反対の場所なんで大丈夫っすよ」
「そうだったか、あとあの辺に家がある社員は誰だったかな……」
還暦近い部長は慌ただしげに、住所録をめくると該当する地域に居住する社員に対し一人ずつ声をかけていた。
こんな事、ほぼ毎日の出来事だというのに真面目な人だと思う。しかし、彼もまた数ヶ月前に家族を原子力爆弾で無くしているのだ。社員やその家族の無事を願うのは当然の成り行きだろう。
「家族、か……」
俺にも同棲している女性が居る。名前は絹子と言い美しい女性だ。礼儀正しくまさに淑女の鏡と呼べる相手だった。近々、二人で籍を入れようとは話し合っているがこちらの仕事が忙しく中々真剣な話し合いの場が持てずにいるのだ。
「しっかりしないとな、俺も」
懐から手帳を取り出し、中を見るとそこには愛しの彼女の写真が収められていた。付き合ってすぐの頃、二人は今年で二十六だから四年前の写真だということだ。
「もう四年か……。長かったような短かったような……」
椅子に座り、外の景色を見ながらそう呟くと出会ったばかりの彼女との記憶が思いだされる。
彼女と俺の出会いはゴミ捨て場の中だった。当時、ボロアパートの二階に住んでいた俺はひさしに寄りかかって何となく下の様子を眺めていたのだ。そしたら老朽化が進んでいたらしく、ひさしは音を立て外れると、俺を地面に叩き付けやがったのだ。
頭から落ちていればただ事では無かったが、丁度、下の階で干されていた洗濯物にうまい感じに守られ、右腕の骨を折るくらいで済んだ。
その際に折ってしまった物干し竿の弁償などで出費はかさんだが、結果としてその事件は俺にとって吉と出たようであった。
そう、その階下の住民こそが俺の彼女、絹子である。お互いの顔は引っ越してきた際に知っていたが、それ以外では全くの無関係であったのだが。その日からちょくちょく話したりして、いつの間にか今のような関係になっていた。
ちなみに、先ほど吹き飛んだ町こそ俺たちが出会った記念すべき場所で、思い出のアパートもがれきの山となってしまった訳だ。
落胆しなかったかと聞かれれば正直に頷くが、自分には今がある。新居、といっても四年前とそう変わらないボロアパートだが、そこで俺の帰りを待っている女性が居る。それだけで十分幸せな気分を味わえるのだ。
「しっかし、ずいぶんと人が減ったなー」
今日、早退した社員も入れてもなお、多すぎるくらいの空席が出来ていた。いつ自分の真上に原子力爆弾が落ちてくるか分からない状況で仕事を続けられる方がどうかしているのだろう。
みんな、辞めていってしまったのだ。きっとあと一年もしない内にこの会社は人員不足を理由に倒産してしまうだろう。
「遠野君。悪いが今日の仕事はここまでにしよう。この人の少なさじゃやってもやらなくても同じだ」
「はい、分かりました」
部長の言葉を素直に受け取った俺はさっさと帰り支度を始める。人は慣れるものでどんな異常事態にも身体は自然と順応してしまうものだ。
☢
よし、仕事も終わったことだし。帰るとしよう。時計に目をやるといつもなら絹子が夕食を作り始めている時間だ。あえて彼女に連絡を入れずに帰ろう。突然帰った俺に彼女は最初とても顔を見せて、その後すぐに満面の笑みでこちらを迎え入れてくれるのだ。
いつの日かこの町にも原爆が投下され、俺も彼女のチリ一つ残さずに消え去るだろう。
だが、それでもこの今日という日を不幸の予兆だなんて思いはしない。俺達はまだ生きていて、この世界はとても素晴らしいと、そう思えるのだから。
ボロアパートの階段を上り、部屋の前に立つ。この先に、愛しの人が居る。それだけで頬がにやけてしまうのだが、そんなところを人に見られては恥ずかしいのでのさっさと扉を開けることにした。
「あ、おかえりー」
絹子は甲斐甲斐しくも廊下を雑巾掛けしていたみたいだ。こちらの帰宅に振り向いた彼女の笑顔に、こちらも微笑み返そうとしたが、
「うん、ただい━━まあ!?」
愛する彼女の肌が、ただれていることに気が付いた俺は、年甲斐も無くそんな声を上げてしまう。
「ど、どうしたんだお前っ?」
「……えへへ、隣町でバーゲンセールをやってたから買い物に出かけたんだけど。帰り道に被ばくしちゃって」
何と言うことだ! 不幸にも彼女は昼間に投下されたあの原爆の被害にあってしまったのか!
「家事なんて良いから病院に行けよ!」
「んー、でもゆーちゃんがお腹空かせちゃうでしょ? だから夕食を作ってから行こうかなあって」
彼女は俺のことをゆーちゃんと呼び子ども扱いをするのだ。歳だって二つしか違わないのに。
「何かあったら大変じゃないか、飯ぐらいだったら俺でも作れるから……」
「ありがと、でも残念ながらゆーちゃんにやれることはもう無いよ。あとはご飯を食べるだけでーす」
「……本当に大丈夫なんだよな」
確認するようにそう尋ねると、彼女は一瞬の戸惑いも無く頷き返した。
ならばと、いつものように俺は脱いだスーツを絹子に渡す。
「今日もお疲れ様でした」
いつものように受け取ろうと手を伸ばした彼女であったが、ヌチャリ。と不快な音が立つ。
「おい、絹子っ。皮膚がスーツに付いちまった」
「あ、しまった。それで汚した廊下を拭いていたのに、忘れちゃってたよ私」
天然な彼女の代わりにスーツをハンガーに掛け、俺達は食事が用意されたちゃぶ台に向かい合って座る。
夕食はグラタンやら野菜炒めやら統一感のないメニューだった。
「消費期限とかには気を付けろよ」
我が家の事情を察しそう言うと、
「ごめんねぇ」
と困ったような笑顔で彼女は頭を下げる。
「まぁ、今日は大変な目にあったからな。しょうがないよな」
俺はまずグラタンを一口。その瞬間、ある疑問が脳裏を過ぎった。
「……もしかしてさ、この中にも垂らした? 皮膚」
「……隠し味?」
思いっきりむせた。心配そうに背中を擦ってくる彼女を振りほどき言う。
「こんなもの食えるかよっ」
「……ひぃっ」
涙目になりそうな彼女の表情を見て、俺は自らの言動を恥じた。
「ごめんな、ちょっと俺も言いすぎた。頑張ったんだもんな。今日だけじゃなくて、これまでずっと俺の生活を支えていたんだもんな。その代わりっちゃあれだけど、恩返しさせてくれよ。何か欲しいものがあるか? どっか行きたいとことかさ」
その言葉に絹子はパッと顔を明るくし、
「じゃあ、海に連れてって!」
「良いけどその身体じゃ溶けちゃうよ」
「うむー、じゃあ。ショッピング!」
「お店を汚しちゃうでしょ」
ふて腐れたような顔をした彼女だったが、案を出す。
「肩もんでちょーだいっ」
「それはいつもやってるじゃないか」
考え込んでしまう絹子、
「じゃ、じゃあ……」
何かを言いおうとした瞬間、絹子は血を拭き出し。その場に倒れ伏してしまう。
そんなことになりながらも目線は俺の方を向き、消え入りそうな声で告げる。
「私のこと……愛してるって言って」
その一言で彼女は力つき、幸せそうな笑みを浮かべて彼女は目を閉じた。
「そうだよな、そうなるよなあ」
動かなくなった絹子の前で、彼女が作った最後の手料理を口にする。当然完食し、手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
そして、
「愛してるよ、絹子」
翌朝、俺はふとした予感に連れられて家を飛び出した。部屋の中で、絹子は今も目を閉じ眠っている。
日光が降り注ぐ午前中、仕事は休みだ。どこかに遊びに行くのも良いかも知れない。
けれど、そんな俺の頭上を一機の飛行機が通過していく。ああ、あれはきっと原爆を積んでいるな。そう直感した。
俺の最愛の人を奪ったクソッタレに一言文句をぶつけたかったが、その手段も無い。
空を見上げると、雲一つない晴天が広がっていた。この天気だったら、絹子も天国へ一直線に向かうことが出来そうだ。
あるいはもう到着しているかもな。どちらでも良いか。彼女はきっと、今でも俺のことを見守ってくれてるはずだから。
当たり前だけど、俺もお前のことは忘れないさ。例え、今日俺の頭上で爆弾が爆発したとしても。この身体がチリ一つ残さず消え去っても。
きらり、と飛行機が光を発した気がした。幻覚だったのかそれともそうでないのか。
死が間近に迫ってる。それなのに俺の心は穏やかで、水のように透明で澄んでいた。
でも、ちょっとこの世に未練も残っているし、上空を飛ぶ飛行機に中指でも立ててやろうかと、天に手をかざしてみたが。やっぱりやめた。
「ピース」
それは空に居るであろう彼女にも失礼だと思い。俺はとっさにVサインに切り替える。
次の瞬間、タイミングを見計らったかのようにフラッシュが焚かれた。