2
2 運命はdoorをたたく
今、僕は現実とも、幻ともいえない世界にいる。
突然、視界が赤くなって此処にきたのだ。ふわふわと漂っているような感覚。
真っ暗で何も見えない。上も下も分からない。まるで宇宙空間の様だと僕は思った。
いったことなんてないけれど。
瞼がやけに重く感じた。ふと気づく、かすかな声。
『誰かが、呼んでる…』
声が聞こえた。はっきりとは聞こえない、僕を呼ぶ声。僕は宇宙空間という感想を撤回する。
海の中にいるようだ。これなら経験がある。
たしか少し深いところだと、上からの声は聞こえにくくなるんだっけ。
…溺れて沈みかけた経験が、一度だけある。
段々、呼ぶ声がはっきりと聞こえるようになってきた。
僕の意志は、目覚めようとする。
でもどこか引っかかる心。
闇の中で、僕の本能は起きる事を拒否していた。
このまま意識とともに永久に眠れと、本能は僕に言うんだ。
僕はドアの前にいる。その先には、呼ぶ声。後ろからは、行くなという本能。
…僕はあんまり本能に従うほうじゃない。
食欲もなにもかもそう。まぁ… 睡魔は別だけど。
それにほら、呼ばれたなら行かないと。
単純明快な自我。慎重に考えた方がいいこともあるのに。
自嘲の笑いをもらしながら、ドアに手をかける。大きい運命のドア。軽く叩いてから、僕は呼ぶ声の元へ。
重いドアを開けて、白の世界へ一歩。僕は足を踏み入れる。
そして、漂っていた意識はその声に呼ばれるように元に戻った。
「風巳さん!風巳さん!」
目が覚めると、ベッドの横の女の子が僕の手を握っていた。
あ、この子は… 真頼マリアさん(サナヨリ マリア)だっけ。同じクラスの。
僕は起きぬけの頭を猛スピードでフル回転させた。そうじゃないと、誰か分からないのだ。
人脈が少ない僕がしっている女の子なんて、クラスメイトぐらいだから。
「あ……、風巳さんっ!」
ほっとしたような、泣き出しそうな表情で、彼女は起きぬけの僕を見下ろす。
僕は最初に聞きたいことがあった。
「マリアさん?なんで僕…… 此処にいるんですか?」
今更になってあたりを見回すと、白いもので統一された部屋。
そして吸っただけで消毒されそうな空気の、匂い。
僕の腕につながれた透明のチューブ。一滴一滴落ちてくる雫。 …点滴なんていつ以来だろ?
まぁ、ここは病室らしい。
あたりを見回す僕に、彼女は俯いて… 小さく呟いた
「風巳さん…。なんでというか、あの、Dollsって知ってますか?変なメールがきませんでしたか?」
あ の 、 不 幸 の 手 紙
はっとした僕は息を飲んだ。 …忘れるはずがないじゃないか。
「きました。不幸の手紙みたいなものが。」
冷静を装って答えると、マリアは俯いたまま語りはじめた。
かみ合わない視線が、酷く痛い。
「風巳さん… あなたと、あなたの家族は3日前、事件にあいました。」
―――――視界が赤くなって―――――
あのメールを、僕は消せずにいた。そのままで、1日を終わらせるはずだった。
寝て覚めれば、またリフレインの生活が始まるはずだったんだ。
メールがもっと来て、気づかないうちに消えてしまう。それくらいのもののはずだった。
唖然とする僕に、彼女はそれでも話を続けていく。
「そして、あなた以外の全員は…」
どうして僕は、病院にいるんだろう。
こんなのは全然、日常なんかじゃないはずなのに。
そう、家族は?僕の夕飯のおかずを盗むのが得意な妹は?
僕の疑問の目に対して… 彼女の唇が微かにに震えているのが分かった。
―――殺さ――――……
僕の脳内を物凄い勢いで、何かが駆け抜けた。
一瞬の予感。
彼女の手を握る僕の手もいつのまにか、震えていたらしい。
そして僕には、彼女が何を言おうとして震えているのかも… なんとなく分かる。
『…。』という沈黙が、僕に時間の猶予を与えていた。
「殺されました……。」
予想通りだった。
後ろへ仰け反るような衝撃が僕を襲う。
本当、ベッドに倒れこもうかと思った。
…家族が殺されたんだ。僕には、肉親がいないということになる。ヒトリなんだ。
運良く、生き残ってしまったらしい。 …運、良かったのかな。
―――どうして、僕は生きているの――――
別に僕は、毎日を楽しんで生きてきたわけじゃない。
…生きることに執着してたわけじゃない。
生きている事には疲れていて、死ぬには臆病すぎた。
だから、本当になんとなく… 虚しく淡々と過ごしていただけなんだ。
なんで… あんなに毎日を一生懸命楽しんで生きていた妹は死んで、どうでもいい僕が…
生 き て い る の ?
開いている方の手は、無意識にシーツをぐしゃぐしゃと掴んでいた。
僕は自らに答えを出した。
生き残ったから、病院にいるんだ…
「風巳さん、犯人は『人形狩り』といいます。」
犯人。憎むべき、犯人。
…でも、分かったって僕にはどうすることもできない。
怒りや復讐心じゃない。虚無巻とやるせなさ。でも大半は、また殺されるんじゃないかという恐怖。
生きていたいと心から望むわけじゃないけど、殺されたくは… ない。
―――― 人形… Doll―――
殺される恐怖から、能がフル回転したらしい。
メールの中の『Doll』が、『人形狩り』に不意に繋がった。
狩られたんだ。
僕の家族は狩られたんだ。
人形なんて知らない。
でも自分のなかの直感が僕に何かを訴えていた。
「こんなこと、信じられないと思いますけれど…」
病院は、聖域と同じ空気を持っているのかもしれない。
教会の礼拝堂のような、そんな感じ。
ベッドの横から語りかけてくる彼女の言葉が、しんみりと心に来る。
ほんとうなら、こんな落ち着いていられない。
錯乱状態に陥ってる事だろう。
――― Dollって… いったい、何なんだ ―――
まだ精神が吹っ飛んでない僕は、すこし物事を考える余裕があるらしい。
Dollとは何だ?
…人形じゃないんだから、僕の家族は関係ないじゃないか。
殺される事なんて、ありえない。
病室の空気を、肺に思い切り詰め込んでみた。
息が詰まる。
彼女と真正面から目が合った。
マリアの蜂蜜色の髪が、儚く揺れる。
セピア色の瞳が、揺らぐ。
そっと動く、彼女の唇。
コマ送りで進む、時間。
「あなたがDollなんです。風巳さん」
―――僕………
「僕がDoll? …人間じゃ、ないんですか。」
マリアは泣いているみたいだった。
頬を流れるものは何もない。でも潤んでいた。
そしてなにより、全身が震えていた。
全身で泣いていた。
今、泣けないでいる僕の代わりに。
「そういうことになります、あなたは人間じゃない…。けど、あなたは幸せなDollです。人間としていられたから…。」
………幸せだったね、確かに。
今、僕しか生き残っていない。どうして僕は死ななかったんだろう。
生きていることについて、これから生きていくにつけて… 僕は、僕は理由が欲しい。
「マリアさん、Dollについて詳しいことを教えてください。 …家族のぶんまで生きて見せます。」
前に進まなきゃ仕方ない。僕は生き残った。
何か、すべき使命があるんだ。人とはそんなもんだから。
今、僕は物凄く冷静。 …なつもり。
『Dollとして生きる』という事を、僕は僕なりに理由にした。
ただ、後を追う勇気もないなんてことは隠し通して。
「はい、Dollというのは… ESPと呼ばれています人々が作った人工物です。」
「人工物…。」
でも怪我をした僕からは赤い血が出る。骨も折れる。溺れれば息が苦しくなった。
…人工物?いったい、人間と何が違うんだ。
「そうです。だけど命。7:3。海と陸の割合と同じ、ほとんどは人間と一緒の命。」
陸の部分が、人工物というわけか。僕は他人事のように納得した。
同じ人間ですら争うのだから、Dollが人間に狩られたって不思議はないだろう。
「人工物の部分はデータなんです。このデータはESPにしか弄る事ができません。」
僕の30パーセントがデータでできている。想像してみると、不思議な気分になった。
今、動く心臓が人工物。巡る血脈も人工物。 …僕の、思考は……。
「最初、Dollは夢のモノとして作られていました。しかし、最近は裏の世界で使われています…。」
「…。」
押し黙るほかなかった。緊張感が駆け巡る。
まず、僕が戦えるはずがない。利用価値がない。使えないDollだ…。
裏の世界?どーすればいいんだよ…。もし僕が使われるならば。
「でもDollだって心をもっている者が多い。だから人間とよくぶつかります。」
そりゃそうだ。『奴隷的』な扱いを受けるものは、なんかしら抵抗を示す。
今僕が、使われたくないと思ったのと同じように。
「ESPも、Dollが高値で売れるのでぶつかります。まぁ、ESPも人間ですし。でも、Doll側のESPもいるんですよ。」
「?」
Dollが高く売れる。まぁコレは理解できる。高性能ロボットだと置き換えればいい。
僕は口元に手を当てて、考えてみた。Doll側にESPがつく。どうしてだろう。
人間とDollは戦う。ESPとDollも戦う。なのに、どうして。
彼女はすぅと深く息を吸って、一言付け加えた。
「…たとえば私ですね。」
マリアがっ!?
利益を無視して、Dollにつく。ほとんど人間を敵にするようなものじゃないか。
「マリアさんがESP!?」
「そうです。傷ついた人形を助けているんですよ。」
人間を敵にするようなこと。なるほど、彼女ならありえない話でもないかもしれない。
清楚な、名前の通りの女の子だから。
マリアなら、頼っても大丈夫かな。
そんなことを考えていたら、マリアが笑顔で喋り始めた
「風巳さん、よかったら家に来ませんか?私の家、Dollの住処になってるので。」
僕も家族はいなくなっちゃたわけだし…
それよりもなによりも、他のDollに会ってみたい。
色々な話を聞きたい。もっと、もっと沢山の事を知りたい。
そしてマリアのことも。
僕はベッドの上で頭を下げた。
「退院したら、僕も居候させてください!」
「はいっ、お待ちしてます!」
彼女は深く頷いてくれた。
僕の、Dollとしての新しい生活が始まりそうだ…
僕は決して忘れない。
でも思い返さない。
ただ必死に、前だけを向くために。
目覚めると病院。
そして、僕に残された別れという突然。
起きてはいけないという本能を振り切って、僕は生きていく。