相当に遅すぎる奴
『相当に鈍い奴』続編です。
読んでもいいかなと思われた希少なお方は、前作よりお読みいただかないとなんのことやら分からないかも……。
彼女に別れを告げられてから二週間近くが過ぎた。
俺達の付き合いはひとえに彼女の努力によってのみ続いてきたんだなと、つくづく思い知らされた。
自分の方から連絡を取ろうとして、彼女の普段の様子を何も知らないことにまず愕然とした。
これが同じ大学のサークル仲間なんかだと、この時間ならどこに行けば顔を合わせることが出来ると大体見当のつく人間は何人もいる。ところが、自分の彼女のことだ(った)というのに、侑李を捕まえられそうな場所がさっぱり分からないとは……。
まず、高校時代と違って、別の大学に通う俺達が偶然に顔を合わせることなんてないわけで、会いたいときは連絡を取り合って待ち合わせるか、どっちかの大学か家やバイト先に出向かなければならない。そのどれも、これまで俺の方からは、ほとんどしたことがなかった。
夜遅くなったときなど、何回かは彼女の家まで送って行ったこともあるし、大学やバイト先ももちろん知ってはいたけど、待ち合わせるのは毎回俺の大学のそばだった。
着信こそ拒否されていないものの、彼女の方が俺と連絡を取りたがってないのは明白で、俺からの電話やメールにはいっさい返事をくれなくなった。彼女に会って話をしたくても、彼女の生活スタイルが分かっておらず、家の前で何時間も待つのはストーカーじみてためらわれた。
そこで思い出したのが高校時代のサッカー部の後輩、里田の彼女だった。
俺を待つ侑李と一緒に、いつも部活終わりまで里田のことを待っていた子だ。二,三か月前に侑李と母校の試合の応援に行ったとき、里田も彼女と一緒に来ていて、四人で少し喋った。侑李と同じ大学らしいので、いつどこでなら彼女と会えるか教えてもらいたいと思って、里田に連絡を取ってくれるように頼んだ。里田を介して返ってきた答えは『イヤ』の一言だったらしい。当たり前かもしれないが、侑李の友達には俺の印象は最悪のようだった。
『すみません』
自分が悪いわけでもないのに、電話の向こうで申し訳なさそうに俺にそのことを伝える里田。彼女は侑李の友達なので当然の反応なのだろう。でも俺にとっても彼女にたどり着けそうな伝は他にないので、そこを何とか説得して欲しいと再度頼んでもらったのだった。
そして今、超機嫌の悪そうな里田の彼女の前に、居心地悪く座らされている。気持ちは幼い頃、母の前で正座させられて叱られたときと同じだ。
侑李に連絡を付けてやるのは本音ではイヤだが、一度だけ里田の顔を立ててやろうという気になったそうだ。だが、その前に俺に言っておきたいことがあるという。俺にとって耳に心地いい話であるはずもなく、戦々恐々として彼女が口を開くのを待った。
喫茶店の一角で里田も同席していたが、口を挟める雰囲気ではないと思ったか、コーヒーカップをカチャリと皿の上に戻す物音にも気を遣っているかのように静かだった。
長い沈黙の後、里田の彼女、木村絵里香が口を開いた。
「なんで今更侑李に連絡取りたいなんて言うんですか?」
「それは侑李ともう一回ちゃんと話したいから……」
「付き合ってるときにはろくに連絡もしなかったくせに」
ふんと吐き出すように言われた。
「高校の時、私が先輩に告白しちゃえってけしかけちゃったから、ずっと気になってたんです。侑李がやっと先輩と別れる決心がついてほっとしたくらいです」
あまりに遠慮のない物言いに里田がおい、と彼女の袖を引っ張った。
「なによ、言いたいこと言わせるって約束でしょ。サークルの友達より侑李の方が優先順位が低いってどういうことよ。一回や二回ならまだしも何度も何度も……。大学入ってから友達はみんなさっさと別れろって言ってたんだから……。それでもまだ先輩にもいいとこあるってかばっちゃって」
彼女の口から繰り出される話はどれも思い当たることばかりで、返す言葉もない。
「別れたって聞いてすぐに友達集めて、慰めると言いつつお祝いしましたよ。ついでに彼氏にするのに良さそうな男友達も誘って」
それは困る! その言葉に慌てた。
「うじうじしてるのは侑李らしくないから、早く新しい彼見つけたらいいってみんな言ってます。先輩より優しくて、彼女を大事にしてくれる男はいくらでもいますからね」
いちいち言われることはもっともで、反論する余地のない俺だったけど、それだけは勘弁してくれと口を開いた。
「待ってくれよ。反省したから、心を入れ替えるから、もう一回だけ侑李と話をさせてくれよ。頼む」
テーブルにおでこをゴツンとぶつける勢いで、後輩の彼女に必死で頭を下げた。
「せ、先輩。おい、絵里香!」
里田の取りなしもあって、何とか侑李に聞いてみてくれることになった。
「侑李がいやって言ったら、潔く諦めてくださいね」
潔く諦めるなんてするつもりもなかったが、今のところ彼女だけが頼りなので、渋々頷いてみせるしかなかった俺だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
なんでこんなに彼に弱いんだろうか。
自分の方から彼に別れを切り出した。それなのに未だに彼からの電話やメールを着信拒否に設定することが出来ない。着信音はOFFにしてるけど未練がましくアドレス帳にも彼の名前を残したまま。
それどころか、出ることもしないくせに、一日の終わりには彼からのメッセージが何か残ってないか、電話やメールの着信を確認してしまう。
我ながらバカじゃないかと思う。
別れを告げて最初の数日は一日に何度も連絡があった。彼にも私に対する執着心なんてあったんだと、不思議な感じがした。
電話に出ろよとか、話をしようとかそんな内容で何度も掛かって来た。返事をしないので最近はだんだんその回数も減ってきた。そのうちまったく連絡もしてくれなくなるのかなと思うと、ちょっと寂しく思う矛盾した私がいる。
最近の彼からのメールは、付き合ってた頃の連絡事項一点張りだったものとはちょっと変わった。回数は減ってきたけど、私からの返信がなくて同じ内容になるのを避けるせいなのか、私に今日は何してたと訪ねてみたり、こんなことがあったと彼の近況を知らせるような内容で、読むのも少し楽しい。こんなことみんなに知られたらまた怒られるなと思いながらも、寝る前のやめられない習慣となりつつある。
ずいぶん前から彼の評判は私の友達の間では悪かった。あまりに彼がけなされるので、うっかり愚痴もこぼせなくなっていたほどだった。
お別れ宣言をしたことをみんなに話したら、なぜかよくやった、あんたにしては頑張ったと褒められた。慰める会と称した飲み会には途中からよく知らない男の子まで呼びつけられ、世の中にはあんなダメ彼氏じゃない奴が山ほどいるのよと主役(?)のはずの私より酔っ払ってくだを巻かれた。
別に彼氏の横暴に耐えて忍ぶ女をしていたつもりもなかったけど、実は振られる心配をしていた頃より今の方がずっと自由な気分を味わっていた。みんなには言わないけど、彼のことはまだ好きだ。変な感覚だけど、別れて彼氏彼女じゃなくなったら、なんだか高校時代の片想いだった頃に戻ったみたいな気分もしてきて、こっそり彼のことを思う……、それがちょっと楽しかったりもして……。私ってやっぱりヘンかも。
彼と別れてどれだけか経っても、相変わらず私はやっぱりまだアドレス帳に彼の名前を残したまま、夜中のメールチェックを密かな楽しみにしていたのだった。
「侑李」
講義が終わって荷物をまとめていたら絵里香に声を掛けられた。今日初めて姿を見たので、これから昼食という時間にも関わらず、おはようと挨拶した。
「来てたんだ」
「寝坊してぎりぎり滑り込んだ。危ないとこだったよ」
二人で学食に行くと、混み始めた席を既に押さえておいてくれた友達のところに向かった。
「さんきゅ。荷物頼むね」
椅子に荷物を置いて日替わり定食を買いに行った。食券を買う列に並んでいると、絵里香が話しかけてきた。
「侑李、この前みんなに紹介された中に気になる人とかいないの?」
「え-、この前別れたばっかでそんなすぐには……」
雰囲気的に彼のことがまだ好きだとは、とてもじゃないけど言ってはいけないような……。
絵里香は苦い顔でどうしようかな、なんて呟いていた。
食事も終わり、誰かが持って来たお菓子をデザートと称してつまんでいたとき。
「この前さぁ、侑李の先輩に会ったんだよね」
絵里香がぼそっと言うと、横からすぐ友達の突っ込みが入った。
「侑李の先輩って言わないでよ! もう侑李とはなんの関係もないんだから」
ぷんぷんしながら彼女が何で会ったのよと絵里香を問い詰める。
「それがさ、侑李と話したいから連絡付けてくれって……。最初は断わったんだけど、頭まで下げられてさ、聞いてみるだけならってことになっちゃって……」
多分、里田君経由の話だから断れなかったんだろう。そうでなければ連絡役なんて引き受けるはずがない。自分が私たちの付き合うきっかけを作ったようなものだと、絵里香は他のみんなよりもよっぽど私たちのことを心配し、同時に彼のことに憤っていたんだから。
「いやならもちろん断わるよ」
そう言われて少し考えた。
ここで断わってしまえば、いよいよ彼からの連絡はなくなってしまうのだろうか?
それは……、そうだよね……。
そう思うとなんだか寂しい。夜中に彼からのメールをチェックすることも、もうなくなってしまうのだ。
自分から別れると言ったくせに、何を虫のいいことを考えているんだろう。
「ダメだよ侑李。さんざん無視されてきて、今更態度が変わるわけないって。あんな男誰かに熨斗付けてやっちゃいな」
横から別の友達が口を挟んだ。
当たり前のことだけど、彼がフリーになれば他に彼女が出来ることも当然ありえるわけで、そうなってしまえば密かにメールを待つことも、こっそり片想い気分を味わうこともなくなってしまう……。
そう思ったら急に心がざわめいて……。
「会ってみることにする」
侑李やめときなよ、本気なの、という声が飛び交ったけど、自分の気持ちはやっぱり自分でしっかり確かめねば!
携帯を開いて、消してなかった彼のアドレス宛に久しぶりにメールを送った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
里田の彼女に連絡の仲介を頼んでから、やきもきしながら数日間。
木村はやっぱり侑李に話をしないんじゃないかと思ったり、俺からの電話やメールを無視するように、木村に頼んだ伝言もやっぱり無視されたのかとも考えた。
実際には二日後に彼女からのメールが届いた。昼飯時、ちょうどマナーモードを解除していて、彼女専用に設定した着うたで、すぐに彼女からのメールと分かった。
どきどきしながらメールを読むと会ってくれるという。
ほっとして思わず大きく息をついた。
ほっとするのはまだまだ早かったし、甘かった。
待ち合わせ場所は、彼女がよく来るという彼女の大学のそばの喫茶店。彼女から聞き出してここで会うことに決めたのは俺だ。もし今日がまずい結果に終わっても、ひとつ彼女の馴染みの場所をゲット出来るというわけだ。いい考えだと思ったけど、目の端には木村と数人の女の姿。みんな侑李の友達だろう。いくつかテーブルを挟んだ先に固まって座り、そろいも揃ってこっちの方を睨んでいる。
時間より少し早めに来た俺と前後して姿を現わした彼女も、すぐに友達を見つけ、しょうがないなぁという様子を見せた。
彼女たちは俺が謝ろうが何しようが、気に入らないんだろう。それも仕方ない。でも、俺が侑李にもう一度付き合ってくれるように頼むのを、断わるようにと無言のプレッシャーをかけるのだけはやめて欲しい。
限りなくアウェーに近い空気の中、二人分の注文をすませた俺は侑李に話しかけた。
「あの……、今日は会ってくれてありがとう」
いいえとだけ言って表情を変えない彼女に、どんなふうに言ったら俺の気持ちを分かってもらえるのか。うまい言葉なんて思い付かず、ただストレートに自分の気持ちを言った。
「別れるなんて言わないで、もう一回考え直してくれよ。今度はちゃんと話も聞くから。他にも悪いとこあったら直す。今まで俺侑李に甘えてた。俺が何したって許してくれるし、そばにいてくれればそれで居心地がいいからって……、侑李が不満に思って当たり前だよな。本当にゴメン」
侑李が真っ直ぐにじぃっと俺を見つめるのを、目をそらさずに彼女の言葉を待った。
「先輩。わたし家具や空気じゃないんですよ。話しかけてもこっちを見てくれなかったり、返事もされないなんて、時々先輩には私が見えてないんじゃないかと思いました。無視されてばっかりなんてもうイヤです」
無視なんて、無視なんて……、していないと言いたかったけど、そんなつもりじゃなくても、結果的にはそういうことだ。やっぱりダメなのかとがっくりときた。
肩を落とす俺に彼女が言った。
「先輩にとって私ってなんですか? 私のことどう思ってます? 相変わらずのお試し彼女ですか?」
お試し彼女なんて、思ってもみないことを言われた。いや、付き合い出すきっかけとなった告白の時、彼女がそう言ったんだった。三年近くも付き合って、お試しの訳ないじゃないか。
「なんで今頃そんなこと言うの?」
「だって、先輩から好きとか言われたことない」
そんなバカな、言ったことあるだろう……。え? あれ?
そう、俺は思いっきりバカだ。
もう三年も付き合ってるのに侑李に好きとか、それらしい言葉を言ったことがなかった。あまりの恥ずかしさに、脳内で自分勝手に、言ったということに変換していたようだ。
そもそも俺は恋愛音痴というか恋愛偏差値がとてつもなく低いのだ。多分。侑李の前にも付き合った子はいるにはいたけど、相手の方から告白され、何となくOKしたものの、一か月もしない内にその彼女の方から振られた。だからそんな俺の彼女に対する態度だったり、意思表示などというものは小学生や中学生のレベルと変わらないんだろうと思う。
侑李の方から告白され、好きと言われたのをこれ幸いと、自分からは何一つアクションを起こしてこなかったのがこの結果というわけだった。
彼女を見ると、今日初めて表情が動いてふくれっ面をしていた。
ここはびしっと言うべき時だよな。行け! ほら、やれ!
顔を赤面させながら四苦八苦してその言葉を言った。
「侑李のことが好きだ」
沈黙……。
何か言ってくれぇぇっ。焦れて口を開きかけた。
「もおっ。遅すぎなんですよ、先輩は!」
ぷりぷりと彼女が言った。怒った彼女を見るのはこれが初めてだった。別れ話の時すらあっさりとしていたのに。そうか、遅すぎたのか……。
俺達の雰囲気など意に介さず、注文したメニューがテーブルに置かれた。
怒った様子そのままにフルーツパフェをぱくっと大きく口に運ぶ彼女。その勢いで三分の一ほど食べ進んだところで顔を上げてこっちを見た。まだ怒った顔。もう本当にダメなのか?
「先輩、本当に私のこと好き?」
こくこく頷く俺。俺の様子を見て少しだけ表情が柔らかくなったような気がした。
「じゃあ、ちゃんと先輩から好きって思われてるって、私に感じさせてください。しばらくの間はお試し期間にします」
お試し期間? 俺達が付き合い始めた頃と逆ってことだな。よし、俺にもまだチャンスは残った。
「もう先輩にばっかり合わせることなんてしませんから。あ、先輩って呼ぶのはやめて名前で呼ぶことにします。本橋さん」
うわ、思いっきり他人行儀。
「せめて下の名前とかにしてくれよ。恋人って感じじゃないじゃん」
それを言えば、これまでの先輩という呼び名もちっとも恋人同士らしくなかったけど、なんて返されるのか、怖々主張してみた。
「じゃあ、彰文」
それまで強気な態度だったのに顔を赤くさせて、小さい声で言った。その様子にどきっとする。
呼び捨てか……。全然OK。一気に親密度が増した感じ。
「侑李。俺、恋愛ベタだから、こうして欲しいとか、不満に思ったこととか、口に出して教えてくれよ」
「自分で気付かなきゃ意味ないでしょう」
呆れた口調。そりゃそうなんだけどさ……。いかんせん俺は鈍い。自覚がある。困って考え込んでいたら侑李がふっと笑った。俺をほんわりさせるいつもの笑顔だ。
「じゃあ、ちょっとだけヒント。最近先輩からもらうメールは結構楽しみでしたよ」
読まずに削除と思っていたが、チェックしてくれてたんだ。あんなんでいいなら毎日送る! 固く決心した単純な俺だった。
ここ、払ってもらっていいんですかと聞かれ、当然だと伝票を掴む。私は友達を宥めてから帰りますからと言われ、何となく会計をすませて店を出てはっとした。
そうじゃないだろ、俺。ぼんやりにもほどがある。
ここはもう一つデートに誘うとか押しておくところだろうと、鬼達、いや、彼女の友達もいる店内に、もう一度覚悟を決めて引き返した。
木下どころでなく、さんざんけちょんけちょんに貶されながら数分間を耐えた。お前の代わりなんていくらでもいると脅し付けられながらも、不器用にその後のデートに誘うことに成功した。そしてやっぱり彼女の好みも分からずに、どこに行きたいか、まず聞いてみるところから始めるしかない俺。
なんとか無事お試し期間を乗り切れるように……、いや、その後もずっと侑李と付き合っていけるように、恋愛ごとに馴れない頭を働かせるしかない俺なのであった。
最後まで拙作を読んでいただきましてありがとうございます。
前作『相当に鈍い奴』の方に続きが気になると言うお声をいくつかいただき、うれしくなって書いてしまったお話。
ご感想にあった“熨斗を付けてアゲちゃえ”友達の言葉として勝手に使わせてもらいました。
先輩はもっと苦労させた(いじめた)方がよかったですか?
今回のお話は楽しんでいただけましたでしょうか。