今日という日
夜明け前の散歩は、特に何もないままに終わり、ちょうど夜が明ける頃に宿へ戻ってきた。
さすがに、宿の人はもう起きていて、朝ごはんの準備とかを始めていたけど。
それでも、もう少しでこの通りも人でいっぱいになることを考えると、静かなものだった。
「翔」
「ん?」
「ちょっと、いいかな」
「なんだよ」
「散歩の延長?」
「ち、違うけど…」
「私は戻るぞ」
「あ、うん。響も、戻って、いいよ」
「はいはい。お邪魔虫は帰りますねー」
「なんで、そんな、言い方、するかな…」
「いいじゃん、別に。まあ、ごゆっくり」
「もう…」
早々に引き上げた凛に続いて、響も宿へ戻っていく。
それをしっかり見届けてから、光はこっちを向いて。
…いつになく、真剣な目だった。
可愛い寝癖がまだ残っていなければ、完璧だったと思う。
「どうしたんだ?」
「あのね、翔」
「うん」
「………」
「…ちょっと歩くか?」
「うん…」
どうしたんだろうか。
ちょっと間抜けな見た目ではあるけど、何か真剣な話をしようとしてるってのは分かる。
…宿から少し離れたところで、光は角を曲がって路地に入っていった。
俺も、そのあとについていく。
「………」
「………」
「…あのね、翔」
「ん?」
「あのね…」
「………」
「響と、話し合って、決めたんだ」
「何を?」
「…今日、もう、出発するの」
「この街を?」
「うん…」
「そっか…」
「ごめんなさい…」
「なんで謝るんだよ」
「今に、なるまで、言い出せなかったから…」
「いいよ、それくらい」
「………」
「…もうちょっと、歩こうか」
「うん…」
薄暗い路地を先へと進んでいく。
でも、裏通りに出ても、何も話せずにいて。
…そうか。
光たちは、もう発つんだ。
こうやって並んで歩くことも、これからはなかなか出来なくなる。
「あのね…」
「あっ、お前、この前の」
「ん?あぁ、御者の兄ちゃんか」
「と、デート中か。すまんな、邪魔して」
「い、いえ…。あの、翔に、何か…?」
「ほぅ、別嬪さんの彼女やな。羨ましいぞ、こら」
「触んな。ムカラゥ弁が伝染るだろ」
「ええやんけ、ムカラゥ弁。…と、まあ、なんでもええわ。お前、ここに来る途中、なんか拾わんかったか?ここて、この街ゆう意味やけど」
「えっ?あぁ…拾ったな」
「タグか?タグやろ」
「タグ?まあ、言われてみればタグだったな。もしかして、連れがなくしたとかいう?」
「せや。どこにあんねん」
「宿に戻ったらあるけど」
「ほぅか。よかった。あとで取りに行かせるわ」
「今、取りにくればいいじゃないか」
「あかんあかん。郵便屋のバイト中や。この格好見て分からんか?」
「そういえばそうだな」
「宿はどこや」
「このすぐ表通りの宿だけど」
「分かった分かった。ほんなら、引き続きデートをお楽しみください」
「はいはい…。早くどっか行け…」
「ほんならな。よろしく」
「ああ」
ムカラゥ弁の兄ちゃんは、そのまま通りの先へ歩いていってしまった。
しかし、あれがあの人の連れの落とし物だったのか。
…万金だったよな。
連れっていうのは、かなり金持ちの人なのか?
というか、どんな人なんだろ。
「翔?」
「…あぁ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「落とし主のこと?」
「ああ。そのタグっていうのが、万金で出来てたんだ。金持ちの人なのかなって」
「万金?確かに、普通の人には、なかなか、お目に掛かれないよね」
「そうだな」
「どんな、人なのかな」
「さあな。あの兄ちゃんが、何か護衛の仕事とかで連れてる人かもしれない」
「でも、仕事中に、バイトなんて、するかな」
「それは、場合によりけりだと思うぞ。単なる旅の用心棒みたいなものなら、護衛料は出るけど、先々での旅費自体は出ないってことも多いし」
「ふぅん」
「まあ、旅費込みの護衛なんて、俺たちみたいなのには回ってこないよ。そんなのはだいたい、すごい要人の護衛だし」
「そうなんだ」
「ああ。そういうのは、旅団規模で依頼されるんだ。まあ、天照とかな。天照だと団員の一部でも充分だろうけど、小さな護衛旅団だと全員でってことも有り得る」
「ふぅん…」
「あの兄ちゃんは、どこかの旅団の団員ってかんじもしなかったし、たぶん用心棒だろうな。金持ちのお忍び旅行にでも付き合わされてるんだろ」
「そっか。…それでね、翔」
「ん?あぁ、そういえば、話の途中だったな」
「うん…」
「それで、どうしたんだ?」
「あのね、今日、もう、出発しちゃうから…。だから、出発まで、一緒に、いてほしいの」
「なんだ、そんなことか。…分かったよ。今日は、出発まで、二人でゆっくりしようか」
「うん…」
所在なさげにフラフラとしている光の手を握って。
しっかりと力を入れると、光も応えてくれる。
…今日はもう、この温かさを忘れまいと思った。
「どうする?」
「えっ?」
「もう少し、散歩していくか?」
「…うん」
「………」
「………」
話す言葉が見つからなかった。
出掛かった言葉が、喉の奥のところで消えていくような。
もしかしたら、何か声を掛けた方がよかったのかもしれないけど。
でも、あれこれ考えていると、結局は何も出てこなくて。
…だんだん人も多くなってきて、宿に引き返すまで、二人合わせても片手で数えられるほどしか喋らなかった。




