翔と家族
光たちの部屋を訪ねてみるが、誰もいないらしく、鍵が掛かっていた。
仕方ないので、自分たちの部屋に戻って。
弥生は下で灯と話してるし…。
「………」
なんとなく、外を見る。
下に見える通りには、たくさんの人が歩いていて。
みんな、忙しなく、どこかへ向かって歩いていく。
「………」
こういう街の様子を、ふと一歩離れた場所から見る機会があると、変な気分というか、不思議な気分になることがある。
自分は今、こうやって客観的な立場からあの人たちを見ているけど、ついさっきまで、自分もあそこにいたんじゃないかと。
じゃあ、自分があそこにいるのを、今、自分は、客観的に見詰めているということになるんじゃないのかと。
もしかしたら、あの喧騒の中に、もう一人の自分がいるんじゃないか、と。
そんな気さえする。
人混みでは、個人なんて、あってないようなものだ。
誰もみな、同じように見えてしまう。
「………」
でも、その中でも、一人、他とは違う個人を見つけた。
なぜだろうか、一人だけ浮き彫りにされてるような、そんなかんじ。
気が付けば、そいつに手を振っていた。
「おい!久しぶりだな!」
「………」
やっぱりそうだ。
誰一人として俺の呼び掛けに気が付かない中、浮き彫りにされた一人だけが、こちらを見た。
そして。
雑多な中の一人に、また加わる。
いや、一度混じってしまえば、みんなそれぞれ一人一人の個人のように見えてくる。
…実際はそうなんだけど。
「………」
「どうだ。頑張ってるのか?」
「………」
コクリと頷く。
相変わらずだな、こいつも…。
「…いい人が出来たのか」
「なんだ、藪から棒に」
「翔、この前会ったときと、少し雰囲気が違う」
「…そうだよ。まったく、お前には隠し事は出来ないな」
「どんなやつだ」
「言わないとダメなのか?」
「ダメなことはないが、気になる」
「はぁ…。そうだな…。とても優しい子だ。おっとりしてるけど、面倒見はいい。頑張り屋さんで、根性もある」
「絵に描いた餅だな」
「ははは。そうかもしれないな。その使い方は違うけど。絵に描いたような子だよ」
「棚から牡丹餅だな」
「…お前、腹が減ってるんだな」
「………」
コクリと頷くと同時に、腹の虫も鳴く。
…相変わらずだな、そういうところも。
「仕方ねぇな。久しぶりの再会だ。俺が驕ってやるよ」
「かたじけのうござる」
「どこで覚えてくるんだよ、そんな言葉…」
「………」
とりあえず、近くの喫茶店に入る。
さすがに、この時間帯は空いてるな。
案内されるまでもなく、一番角の席に陣取って。
早速、店員さんがお冷やを持ってきてくれた。
「ご注文はいかがいたしましょうか」
「モーニング」
「すみません…。モーニングの時間帯はもう終わってしまいまして…」
「なぬ…。そうか…」
「俺はサンドイッチセットのコーヒーで」
「じゃあ、私も。わたしはオレンジジュースだ」
「はい。畏まりました」
丁寧にお辞儀をすると、メイド風の服を着た店員さんは奥に戻っていって。
いいな、ああいう恭しいかんじも。
「お前、メイドさんが好きなのか」
「さあな。でも、礼儀正しいのはいいことだと思う。まったく、どこかの誰かさんにも、見習ってほしいものだな」
「弥生か。仕方のないやつだな」
「………」
まあ、実際は誰なのかは言うまでもなく。
当人は、素知らぬ顔で外を見ていた。
「そういや、お前、相変わらずコーヒーはダメなんだな」
「あれは飲み物じゃない」
「お前が飲めないだけだろ」
「コーヒー牛乳は好きだぞ」
「昔、飲み過ぎて、よく腹を下してたな」
「うっ…」
「夜中に腹が痛いとか言って、いつでも俺を起こしやがって」
「夜中は反則だ」
「何が反則かはよく分からないけど…」
「一人でトイレに行くと、おしっこチビる」
「便所で漏らす分にはいいんじゃねえか?」
「バカ!こんなところで、そんな恥ずかしいことを堂々と言うな!私も同族に見られたらどうしてくれるんだ!」
「いや、チビるとか言い出したのはお前だし…」
「……!」
そこは否定しないらしい。
いや、事実なんだから出来ないんだけど。
顔を真っ赤にさせて、また外を見る。
「今は行けるのか、一人で?」
「………」
俯いたまま、フルフルと首を横に振って。
…コーヒーといい、夜中のトイレといい、こいつは子供っぽいところが抜けないな。
まあ、それがいいところと言えば、いいところなのかもしれないけど。
「まあ、頑張ってんだな、お前も」
「………」
当たり障りのない、よく分からない言葉を言っておく。
…本当によく分からない。
こいつは、何を頑張ってるんだろうか。
「…翔」
「ん?」
「翔は…」
「………」
そこでフルフルと首を降って。
なんでもない、と言いたいんだろうか。
「いや、違う」
「え?」
「あ、いや…。自分自身に言ったんだ…」
「……?」
「…翔はだな」
「うん」
「翔は…まだ、私を、妹として見てくれているのか?」
「ん?当たり前じゃないか。遠く離れた場所にいたって、みんなは俺の家族だよ。それとも、お前は、俺と家族の縁を切りたいのか?」
「違う!私は…!」
机を勢いよく叩いて立ち上がる。
でも、すぐに頭が冷えたようで、そのまま座り直して。
「変わってないみたいでよかった」
「えっ…?」
「お前は、俺たち家族のことになると、すごく一所懸命になってくれる。そこは昔と一緒みたいでよかったって言ったんだ」
「…当たり前じゃないか」
「ふふふ」
「笑うな」
「ごめんごめん」
「…不安だったんだ。大きくなると、みんな孤児院を離れていく。私もその一人だけど。離ればなれになって、特に翔とか弥生みたいに旅に出たやつとは、なかなか会うことも出来ない。そうしたら、家族の繋がりもなくなってしまうんじゃないかって。そう思うようになった」
「だから、一人一人に確認して回っているのか?」
「いや、それは違うな。私は、それを考え始めたときから、旅先でまた会えたみんなに、こうやって確認してるんだ。一人一人に、というのは違う」
「まあ、それは置いといてだ。どうだった、みんなの答えは」
「…うん。みんな、翔と同じだ。私たちみんな、どれだけ離れたって家族なんだって」
「そうか」
まあ、そういうことだ。
家族の繋がりなんて、簡単に千切れるものではない。
それを、みんなが同じように感じているということを、こうやって凛が確認して、思い出させて回ってくれてるんだ。
「…ありがとな」
「ん?何がだ」
「いや…。いろいろな」
「変なやつだな」
「変なやつさ」
「サンドイッチセット、お待たせいたしました」
「あ、どうも」
「………」
「…お客さま」
「はい、何でしょうか」
「け、喧嘩はよくないと思います!」
「はぁ、えっと、どういうことでしょうか」
「お互いに納得し合えないこともあるでしょう。腹が立つこともあるでしょう。しかし、それを乗り越えてこそ、真の愛情が育まれるというものですよ!」
「あ、あの…。何か勘違いしてませんか…?」
「否!私は、人生経験が豊富です。あなた方のような恋愛もしてきました。しかし!喧嘩別れというのは、最後の最後まで尾を引いてしまうものなんです。だから、喧嘩して別れるくらいであれば、二人とも一度グッと我慢をして、またやり直せばいいんです!怒り、憤りは、時が全て解決してくれます。しかし、後悔は、時が経つほどに深まります!だから、どうか!」
「人生経験は豊富かもしれないが、こいつは状況を把握する能力は乏しいみたいだな。あと、人の話を聞く能力も」
「シッ!凛!」
「どうしてもダメな場合は、私に相談してください!必ず、お役に立ちますので!」
「一生相談することはないだろう」
「…では、失礼いたします。喧嘩もたまにはいいですが、必ず仲直りすること。いつも仲良くするということが、二人が長続きする秘訣ですよ」
「分かりきったことを言うな」
話の聞けない店員さんは、また奥に戻っていって。
…何だったんだろ。
まあ、何か勘違いしてるということは分かったけど。
「んまいな、このサンドイッチ」
「お前も相変わらずマイペースだな…」
「ん?」
「…いや、なんでもない」
サンドイッチを咥えながら首を傾げる凛を見てると、どうでもよくなってきた。
まあ、凛の不安な気持ちも分かるしな。
俺も、サンドイッチをひとつ手に取る。
…いつの間にか、俺の玉子ハムサンドはベジタブルサンドになってたけど。
ついでに言うと、ピッチャーの牛乳、ペットシュガー、フレッシュ、ガムシロップも全て、コーヒーに入れられていた。
ペットシュガーは五袋、ガムシロップも三つ開けてある。
表面張力で、ギリギリ溢れずに保ってるというところ。
横にあったはずスプーンには凛が舐めたような痕跡があるが、このギリギリをどうやってかき混ぜたんだろうな。
そっちの技術にも関心がある。
「コーヒーは苦いからな。オススメの配合にしておいた」
「あぁ、そうですか…」
「美味いぞ。飲め」
「………」
少し舐めてみる。
やっぱり、すごく甘い。
舌が蕩けそうなくらい。
…まあ、仕方ない。
出来上がってしまったものは。
凛も、期待の目でこっちを見てるし…。
飲むしかないな、これは…。