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身代わり令嬢は初恋を終わらせられない  作者: 九葉(くずは)


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12/12

第12話 雨上がりの略奪、共犯の朝

 空が白む前の、一番暗い時間だった。


 私は裏口に停められた馬車に押し込まれた。

 見送りはいない。

 伯爵夫人も、あの執事さえも姿を見せなかった。

 まるで汚物を処理するように、ひっそりと、迅速に行われる追放劇。


「出せ」


 御者の短い合図で、馬車が動き出す。

 石畳を車輪が噛む音が、やけに大きく響いた。


 私は窓の外を見なかった。

 見慣れた屋敷も、遠くに見えるであろう王宮の尖塔も、見れば未練になる。


 膝の上には、小さなトランクが一つ。

 中に入っているのは、マリアとしての数着の服と、手切れ金が入った封筒だけ。

 リリアーナとして過ごした数ヶ月の証は、何一つ持たされていない。


(さようなら、ユリウス様)


 心の中で、何度も繰り返した言葉。

 あの雨の中で彼がくれた手紙は、ドレスのポケットに隠してある。

 それだけが、私が持っていける唯一の罪だった。


 馬車は揺れながら進む。

 王都の門を抜け、街道へ。

 街の灯りが遠ざかっていくにつれ、私の心も冷たく凍りついていった。


 これでいい。

 家族は救われた。

 借金はなくなった。

 私は役目を終えたのだ。


 そう言い聞かせても、涙は枯れなかった。

 瞼を閉じると、彼の笑顔が浮かぶ。

 「君の隣は悪くない」と言った声が蘇る。


 戻りたい。

 あの温かい場所へ。

 でも、もう遅い。


 その時だった。


 ヒヒーン!


 馬のいななきと共に、急激なブレーキがかかった。

 体が前のめりになる。

 トランクが床に転がった。


「な、なんだ!?」


 御者の怒鳴り声が聞こえる。

 何が起きたの?

 私は窓の覆いを少しだけ開け、外を覗いた。


 薄闇の中、街道の真ん中に一頭の馬が立っていた。

 その上に跨るのは、抜身の剣を持った騎士。


 夜明け前の蒼い光を受けて、その姿が浮かび上がる。

 黒髪が風に煽られている。

 碧眼が、獣のような鋭さでこちらを睨んでいた。


「――そこまでだ」


 低く、よく通る声。

 聞き間違うはずがない。


「ユリウス、様……?」


 息が止まった。

 どうして。

 なぜここに。


「ど、どなたかと思えば、オルライト侯爵令息ではありませんか!」


 御者が慌てた様子で声を上げる。


「こ、これは伯爵家の私用でして……急ぎの療養のため、リリアーナ様を」

「療養? こんな夜更けにか?」


 ユリウス様は馬を進める。

 カツ、カツと蹄の音が近づいてくる。

 その圧迫感に、御者も従者たちも動けないようだ。


「道を開けてください! これは伯爵夫人の命令で……」

「退け」


 一言だった。

 氷のような殺気が、馬車の壁越しにまで伝わってくる。


「私の婚約者が乗っている。……その扉を開ける権利は、私にある」


 彼は馬から飛び降りると、大股で馬車に近づいてきた。

 従者たちが怯んで道を開ける。


 ガチャリ。

 乱暴にノブが回され、扉が開け放たれた。


 冷たい朝の空気が流れ込んでくる。

 そして、それ以上に鮮烈な、彼の存在感。


「リリアーナ」


 彼は私を見つけた瞬間、鬼のような形相を崩し、痛ましげに眉を寄せた。


「……よかった。間に合った」

「ユリウス様……どうして、場所が」

「探したさ。一晩中、王都中の門を見張らせた」


 彼は荒い息を吐いている。

 髪も服も濡れたままだ。

 昨夜からずっと、雨の中で探し続けてくれていたのか。


「さあ、降りるんだ。屋敷へ帰ろう」


 差し出された手。

 大きく、温かそうな手。


 けれど、私は首を横に振った。


「いけません……私は、行かなければならないのです」

「誰が決めた? 伯爵夫人か?」

「契約なのです。私は……」


 言いかけて、口をつぐむ。

 契約なんて言えば、全てがバレる。

 でも、戻ればもっと迷惑がかかる。


「私は、貴方のそばにはいられません」


 涙声で拒絶する。

 彼のためを思うなら、ここで突き放さなければならない。


「お願いです、行かせてください。私はもう……」


 ユリウス様は、私の言葉を遮るように、馬車の中に身を乗り出した。

 そして、私の両肩を強く掴む。


「僕を見てくれ」


 至近距離で、碧眼が私を射抜く。


「リリアーナの事情も、家の都合も、どうでもいい」

「え……」

「君はどうしたいんだ?」


 彼は問いかける。

 令嬢としてではなく、一人の人間としての私に。


「君は、このまま消えたいのか? それとも、僕と一緒にいたいのか?」


 揺さぶられる。

 理性が砕け散っていく。


「僕は君がいい。他の誰でもない、君と一緒に生きたいんだ」


 その言葉が、最後の一押しだった。

 

 いいの?

 許されるの?

 嘘つきのままでも。

 偽物のままでも。


 私の本心が、殻を破って溢れ出す。


「……帰りたくない」


 小さな声が漏れた。

 一度口にすると、もう止まらなかった。


「行きたくないっ! 寂しい場所になんて行きたくない! ユリウス様のそばにいたい……っ!」


 子供のように泣きじゃくりながら、私は叫んでいた。

 初めてのエゴ。

 初めてのわがまま。


 それを聞いた彼は、眩しいものを見るように目を細め、深く頷いた。


「わかった。……その願い、僕が引き受ける」


 彼は私の腰を抱き寄せ、軽々と馬車の外へと連れ出した。

 御者たちが止めようとするが、彼の一睨みで静まり返る。


「伯爵夫人には伝えておけ。彼女は私が預かると」


 彼は私を自分の馬の鞍に乗せ、その背後に飛び乗った。

 背中から伝わる彼の鼓動。

 たくましい腕が、私をしっかりと守るように回される。


「つかまっていてくれ。飛ばすぞ」

「はい……っ!」


 彼が手綱を振るう。

 馬が嘶き、力強く大地を蹴った。


 風が頬を打つ。

 遠ざかる馬車。

 置き去りにされる「リリアーナの運命」。


 空が白み始めていた。

 雲の切れ間から、朝陽が差し込む。


 私は彼の方に体を預け、そのシャツを強く握りしめた。

 もう、後戻りはできない。

 私は選んでしまった。

 彼と共に生きるという、甘く険しい修羅の道を。


「どこへ行くのですか?」


 風の中で尋ねる。

 彼は耳元で、楽しげに笑った。


「どこへでも。……君となら、世界の果てまでだって行けるさ」


 その言葉に、私は涙を拭いて微笑んだ。

 嘘の中で育った恋が、今、真実へと変わろうとしていた。


 これが、私たちの本当の物語の始まり。

 共犯者たちの、新しい朝だった。


第1章-完-

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
ユリウス様カッコイイですー!迎えに来てくれて本当に良かった!。゜(゜´Д`゜)゜。 マリアちゃんが約束を守ろうとする誠実さと想いの狭間で苦しんでいるのがとても切なくて、そして健気で最後の叫びに感動しま…
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