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影の契約  作者: ZGOsKT


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4/4

さよなら、ケイト

激痛という「ノイズ」が消失し、ケイトが人間であることをやめ、冷徹な「演算装置」へと変貌する——その静寂と狂気を描きます。

(続き)

警告音が、不意に止んだ。

鼓膜を震わせていた不快な電子音も、胸を貫いていた杭のような激痛も、まるで潮が引くように一瞬で消え去った。

世界が、静寂に包まれる。

(……死んだのか?)

いいや、違う。感覚はある。だが、それは以前のような重苦しい肉体の感覚ではない。

ケイトは、自らの意識が身体という「殻」から剥離し、もっと純粋で透明な領域へと浮上したのを感じた。

視界を覆っていた『CRITICAL ERROR』の赤黒い明滅が霧散する。

代わりに広がったのは、氷のように透き通った、淡いブルーのグリッド構造だった。あらゆる物質が、輪郭線と数値情報データへと還元されていく。

『——痛覚信号、マスキング完了』

『——FPC同期率、99.9%。自律駆動モードへ移行します』

脳裏に響くシステムの声は、先ほどまでの無機質な警告とは異なり、まるで女神の祝福のように滑らかだった。

ケイトの唇が、自然と歪む。

成功したのだ。「痛み」という人間特有のバグを、システムが完全に掌握した。今の彼にとって、脚の筋肉が断裂しかけていようと、心臓が悲鳴を上げていようと、それは単なる「損耗率」というパラメータの変動に過ぎない。

「……素晴らしい」

自分の声さえも、デジタルの波形として視認できた。

ケイトは、意識だけでギアを一段上げた。肉体へ命令を下す必要はない。「加速」と念じるだけで、FPCスーツが筋肉を強制的に収縮させ、アスファルトを爆発的な力で蹴り出す。

キロ3分00秒。

2分58秒。

2分55秒。

かつてない速度領域。だが、苦しさはない。まるで氷の上を滑走しているかのような、無重力の疾走感。

視界の隅で、白い塊が並走しているのが認識された。

セイラの乗るエアカーだ。

窓が開き、彼女が何かを叫んでいる。涙に濡れた顔が必死に口を動かしている。

だが、ケイトの認識フィルターは、もはやそれを意味のある「言葉」として処理しなかった。

『検知:並走車両(障害物)。音声入力:無関係なノイズ。推奨:無視イグノア

(ああ……そうだ。お前はただの、背景の一部だ)

かつて愛おしいと感じたかもしれないその表情も、今や「感情値のエラー」としか映らない。ケイトは瞬き一つせず、セイラの存在を意識のワークスペースからデリートした。

興味があるのは、前方の一点のみ。

夜明けの太陽が、巨大ビルの隙間から顔を出し、ハイウェイを一直線に照らした。

その光の回廊の先に、影が見えた。

人間離れした美しいフォームで走る、半透明のシルエット。

リョウだ。

いや、あれはリョウの亡霊ではない。あれこそが、ケイトが追い求めた「到達点ゴール」の具現化だ。

影は、ケイトを振り返ることなく、ただ冷徹に前だけを見つめて走っている。

その背中には、迷いも、痛みも、愛も、何もない。あるのは純粋な「速度」だけ。

(やっと、辿り着いた。俺は今、お前と同じ景色を見ている)

ケイトの胸中を満たしたのは、勝利の歓喜ですらない。ただ、数式が美しく解けた時のような、静謐な納得だった。

「さようなら、ケイト」

彼は、人間であった自分自身に別れを告げた。

加速する。さらに加速する。

ブルーのグリッドに覆われた世界で、彼はセイラの叫びを置き去りにし、ただ一つの「鋭利な線」となって、光の中へと溶けていった。

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