夜明けの強制切断(シャットダウン)
ケイトの体は限界を迎えていますが、彼は「機械になりたい」という逃避的な願望と、「数字しか信じない」という信念を貫くため、セイラからの呼びかけを「邪魔」あるいは「偽善」と断じて、再び加速を試みます。
激痛とフラッシュバックがケイトを襲う中、システムからの警告とセイラからの通信が彼の意識を現実に引き戻そうとします。
「ザクッ……!」
突如、左胸に鋭利な杭を打ち込まれたような激痛が走り、ケイトの足がもつれた。
視界が赤く染まる。ARグラスに『CRITICAL ERROR』の文字が点滅する。
足が止まる。膝が崩れる。
だが、彼は倒れる寸前でガードレールに手をつき、歯を食いしばって耐えた。
『警告。心拍数がゼロに近づいています。ペースダウンを推奨。直ちにペースダウンを——』
『ケイト!高速の規制システムをハッキングしたわ!今すぐ止まらないと、FPCの緊急安全プロトコルが作動して、強制的に中枢神経をシャットダウンさせる!』
セイラの悲鳴に近い声が、骨伝導イヤホンから響く。
ケイトは荒い呼吸の合間に、その声に怒りを覚えた。
(なぜだ?なぜ、俺の邪魔をする?機械になることが、最適解だというのに!)
「シャットダウン……上等だ」
彼は憎しみを込めてそう呟くと、ARグラスの左側にある小さなアイコンを、震える親指でタップした。
【音声通信:セイラ、強制切断(ブロックリスト登録)】
プツリ、とセイラの声が途絶える。彼の心に残ったのは、安堵ではなく、さらに深まる孤独だけだった。
「優しさ、か。それを社会的スコアのために演じるお前たちの醜悪さこそ、不確定要素だ」
ガードレールに塞ぎ込まれていたケイトの視線が、遥か先の空を捉えた。夜明けの光が、巨大な都市の輪郭を露わにしている。あのビルの森の中に、英雄として生きるリョウがいる。
(届いていない。俺は、リョウのあの冷徹な「最適解」の領域に、まだ辿り着いていない)
心臓の痛みが、再び彼を突き刺す。彼はこの痛みを、不完全な人間性の最後の抵抗だと解釈した。
「ならば、この抵抗をねじ伏せるだけだ」
ケイトは再びハイウェイのアスファルトを蹴った。速度を上げたのではない。フォームを変えたのだ。膝の角度、足裏の接地。ARグラスのバイタル表示を無視し、FPCシステムの出力をマニュアルで限界値まで引き上げる。
『警告。予測モデルに基づき、FPC契約の継続は——』
システムからの警告も、もはやノイズに過ぎない。
キロ3分10秒。
視界の端を、防音壁がさらに速いリズムで飛び去っていく。一歩一歩が、過去と人間性からの逃走であり、機械への加速だった。
背後から、低く唸るようなエンジンの駆動音が聞こえた。
彼がブロックリストに入れたにもかかわらず、セイラは止まらなかった。彼女はケイトのペースに合わせるように、白い自動運転のエアカーを高速道路の路肩すれすれに走らせていた。
ケイトの横に並び、エアカーの窓がスライドダウンする。
「ケイト!お願い、やめて!あなたの体は……!」
彼女の顔は、朝焼けの中で涙に濡れていた。その姿は、ケイトが期待した「演技」ではなく、本物の痛みを映していた。
(……本物、だと?)
彼の心臓が一瞬、異常な拍動を見せた。
「来い。俺の最適解は、お前の偽善を切り捨てることだ」
ケイトはセイラに視線を合わせることもせず、心臓の痛みを圧し殺して、さらに出力閾値を引き上げた。
キロ3分05秒。
エアカーの速度リミッターが限界を超え、駆動音が甲高くなる。セイラの焦燥が、彼の心を揺さぶった。
しかし、次の瞬間、ケイトの背中に、再びあの「冷徹な計算(がリョウの残滓と共に蘇る。
『これが「最適解」だ』
その言葉が、セイラの顔に浮かんだ「愛」よりも、ケイトにとって絶対的な真実となった。
彼は、エアカーのセイラから一瞬で距離を広げ、そのまま夜明けのハイウェイを、孤独な機械へと変貌していくかのように走り去った。
「待って!ケイト!」
後方から響くセイラの叫びは、もはや届かない距離へと置き去りにされた。




