5.トメ子、異世界人にカレーを振る舞う
──カチャ、カチャ。
銀のフォークとナイフが、皿の上で小さく音を立てている。
広い食堂に響いているのは、それだけ。
「……」
クレメンス様も、ロイ王子も、黙々と食べるばかり。
誰も喋らない。目も合わせない。
……なによこれ。気まずっ!
せっかく高そうなシャンデリアが煌めく超豪華な食堂で、目の前には見たこともないような豪勢なご馳走がずらりと並んでるのに、この空気の冷たさはなんなのよ…。
本来なら、家族の食卓ってもっとこう温かくて、賑やかで、ホッとする時間じゃないの?
うちなんて、よく息子の英樹がその日学校であったことを、口いっぱいにしながら嬉しそうに話してくれてたっけ。
「今日さ〜赤点だったんだけどさ!」とか、「野球部でレギュラー入ったんだぜ!」とか、「あの先生マジ怒ると怖いんだよ〜!」とか。
それに私と正蔵さんが、「また赤点かい」「でもレギュラーはすごいな」って笑って、
最後はみんなで出かける予定の話をして、「今度は遊園地行こうか」なんて言い合ってた。
──それが「家族」ってもんでしょうに…。
でも、料理は最高だわ。
若返ったおかげで、胃もたれとは無縁!
しかも歯も丈夫になったから、ステーキだってバリバリ噛み切れる!
「う〜ん、このステーキ、柔らかくてジューシー!ソースも絶妙!」
思わず顔がほころぶ。
これはもう、あとでレシピを聞かないと損だわね。
さて、ふたりはどうかしら?と思って、ちらりと視線を向ける。
クレメンス様は……あら、もう食べ終わってるのね?
しかも、いつの間に着替えたのかしら、またジャージ姿に戻ってるし。
食堂にしてはずいぶんラフな格好だけど……ま、若い男の人ってそんなものよねぇ。
さて、ロイ王子は……えっ?
まだ食べてる最中かと思ったら、ちょっと!ほとんど残してるじゃないの!
野菜なんて、手つかずもいいところ!これは看過できないわね……!
お皿の端っこに寄せられたブロッコリーと人参が、哀れな戦場の遺留品のように見えた。
ステーキは一口食べたような後があるけれど、以降は手を付けていないようね…。
主婦はこういうのを見逃さないのよ!
うちの子だったら、お説教しながら無理やり口に突っ込んでるところだけど。
人様の子だから、我慢我慢。ふぅ。
そんなこんなで、会話ひとつないまま、食事は静かに終わった。
クレメンス様とロイ王子が席を立って、二人とも無言で去っていく。
ちょっと、「ごちそうさま」もしないの!?
食堂に取り残された私は、ふぅっと一息ついてから、近くで控えていたルークさんの方へそっと手をあげた。
……いきなり家庭のことに踏み込むのは、さすがに図々しいかしらね。
まずは無難なところから…ロイ王子の好き嫌いについて、ちょっと聞いてみようかしら。
「ねえルークさん、ロイ様って野菜、嫌いなの?」
「はい…かなり偏食でして。野菜はほぼ全滅。それに加えて、きのこ類、魚類も苦手でして……」
「え?じゃあ普段、何食べてるの?」
「ええと……主に、肉とパンと……あとお菓子ですね」
……な、なんですって!?
栄養バランスどころの話じゃないわ!
子どもを育ててきた母親として、それは聞き捨てならないっ!!
「それなら、私がロイ様の好き嫌いをなくしてみせるわ!まずは野菜を食べさせてみせるわよ!」
「えっ!?で、できるんですか!?お城の料理人たちが、どんなに細かく刻んでソースに混ぜても、一発で見破れるのがロイ様なんですよ!?今日のステーキもソースにきのこが使用されれていたのが一口でバレてしまい、以降召し上がりませんでした…」
「人生経験の差よ!私に任せなさい!!」
「……トメ子さまって、お城の料理人たちよりも、ずっと若そうに見えますけど……」
「っ!!……あー、えーっと……小さい頃からずっと料理してきたから!料理歴って意味よ!」
「あ、なるほど、そういうことでしたか」と、ルークさんは納得顔。
あっぶな~、うっかり“主婦歴50年”って言いそうになったじゃないの。
そのまま二人で給仕室へ向かい、料理人たちに材料をお願いする。
「人参、玉ねぎ、じゃがいも、それから鶏もも肉をお願い。あと……お米はあるかしら?」
「お米……?そういえば、人間が暮らしている東方地域にそのような食材があると聞いたことがありますね。申し訳ありませんが、我が城にはご用意がありません」
「そうなのね。でも大丈夫よ!」
ふーん、この世界にも“東洋”があるのね。となると、お米の文化もあるはず。
ただ、この城にないとなると……後々不便かも。
毎回スキルで取り出すわけにもいかないし、どこかで調達できる手段を考えないとね。
まあ、今日のところはスキルで何とかしましょう!
「トメ子さま何を作られるのですか?人参は特にロイ様の天敵です。今日も残していましたし、ハンバーグに細かく刻んでも、一口で見抜かれてしまいます……」
「ふふふ……大丈夫よ。今回は“トメ子特製最強の料理”を作るから!」
自信満々に笑ってみせると、ルークさんと料理人たちが目を見開いて息をのんだ。
その反応にさらにどや顔を決めて、私はキッチンに向かって手を掲げた。
「カレールウとお米を取り出し!!」
パッと、手のひらの上に現れたのは――
そう、我が家の定番、“いつもの”カレールウ!と米袋2キロ!
「出たぁー!懐かしぃー!この感じ、これよこれっ!」
思わず胸が熱くなる。
何度このカレーで、家族の食卓を囲んだかしれないわ!
でも私のテンションとは裏腹に、料理人たちはざわざわし始めた。
「これは……何だ?」「この箱、文字が……読めん」「どう発音するんだ……?」
ルウのパッケージを囲んで、口々に不思議そうな声をあげる料理人たち。
そ、そうよね……この世界の人たちにとっては、カレールウも日本語も未知の存在。
……ってことは、この文字を私が読めるってバレたらまずいんじゃない!?
一気に背中に冷たい汗が伝う。
か、仮にこのパッケージの文字が異世界の言語じゃないと気づかれたら……
私が読める=異世界の人間じゃない=転生者バレ!?=スパイ扱い=城から追放=人類滅亡コース!?
――ま、まずい……!
スキルを使うときは、もっと慎重にならなきゃ!!
顔が引きつるのを無理やり笑顔でごまかしながら、私は慌てて口を開いた。
「と、とりあえず作るわね!これはね、東洋の文字なの!私、そっちの出身で……!あ、あんまり気にしないでねっ!ほら、材料切っていきましょう!」
ばれないように自然を装いながら、必死に人参の皮をむく。
ふう……嘘をつくのは苦手なのに…。命がけのカレー作りだわ、ほんとにもう。
料理人の人たちに具材のカットを任せ、私はお米を研ぎ始めた。
炊飯器はないけれど、昔は土鍋でご飯を炊いていたんだもの。お城の鍋でもきっと何とかなるわ!
お米を火にかけ、炊きあがりを待つ間に、私は玉ねぎを飴色になるまでじっくり炒めていく。
刻んでおいた人参、じゃがいも、鶏もも肉そして飴色の玉ねぎを鍋に投入し、水を加えてぐつぐつと煮込んだら、沸騰のタイミングで、満を持してカレールウを投入!!
――ぶわっ
給仕室いっぱいに、スパイシーで懐かしいカレーの香りが立ち込める。
「な、なんて旨そうな香りだ……腹が減る……」
「そういえば、俺たちまだ夕飯食べてなかったな!」
「じゃあこれを食べなさいな!ご飯も、ちょうど炊けたわよ!」
鍋を開けると、ふわっと湯気をまとった炊き立ての白米が顔を出す。
きらきら光ってるお米を見て、料理人たちの顔もぱあっと明るくなる。
――そうそう、炊き立てのご飯ってだけでテンション上がるのよね。
本当は少し蒸らしたいけど……まあ、今日は勢いが大事!
さっそくご飯とルウをお皿に盛りつけて、みんなに手渡す。
「はい、召し上がれ!」
「ありがとうございます!!」
ぱくっ。
もぐもぐもぐ……。
――しーん。
……え?ちょ、ちょっと待って、静かすぎない?
もしかして……口に合わなかった……!?
「あ、あの……美味しくなかったかしら……?」
「トメ子さま……あなたさまは天才です!!」
思わず涙目になったルークさんが、震える声でそう言った瞬間、まわりの料理人たちも次々と叫び出す。
「うまい!こんなに旨い料理は初めてだ!!」
「このスパイシーな感じ……クセになるっ!」
「しかもこの“お米”ってやつ、もちもちしてて最高じゃないか!」
「ああ!このソースの濃厚な味なら、野菜の苦味なんてまるで感じない!これならロイ様でも食べられるぞ!!」
よ、よかったあ~~!
異世界の人たちにもカレーは大好評ね!!
これは今後の切り札にできそう…覚えておこうっと!
「トメ子さま、おかわりありますか!?」
「ズルい!私にももう一皿!!」
「わー、ちょっとちょっと、落ち着いて!順番ね!!」
でも……こんなに喜ばれるなら、作った甲斐があったわね!
「…おい、なんの騒ぎだ……?それに、この匂いは……なんだ…?」
声の主に、場の空気がピタリと止まる。
給仕室の扉が静かに開き、その隙間からロイ王子が顔を覗かせていた。
「ロ、ロイ様!」
ルークさんが小さく声を上げる。
じっとこちらを見つめる王子の視線は鋭いけれど、その視線の先にはカレーの鍋。
……そうだ、せっかくだから味見してもらいましょう!
「ロイ様!これは私の故郷で“カレー”って呼ばれてる料理です。よかったら、どうぞ!」
「……ふざけんなよ?見ればわかる。人参が入ってるじゃないか。それに人間が作ったものなんか食えるか」
わあ、思いっきり拒否られた!
だけどその瞬間――
「ぐう~~~~」
静まり返った部屋に、見事なお腹の音が響き渡る。
ロイ様の顔が一気に真っ赤になり、バッと顔をそむけた。
「お、俺じゃないぞ!?今のは俺じゃないからな!!」
……いや、間違いなくロイ様の音ですよ。
でもまあ、年頃の男の子だもんね。お腹が鳴るのも、恥ずかしいわよね。
ここは深く突っ込まないであげましょう。
それに、さっきほとんど残してたものね……そりゃお腹も空くわ。
「人参の味なんて全然しないですよ。よかったら、一口だけでも!」
ロイ王子はしばし無言で私の手にあるカレーをにらみつけていたけれど、空腹には勝てなかったみたい。私からスプーンとカレーを奪い取り、おそるおそる、一口。
もぐもぐ……
「…………!!」
目を見開いたまま、カレーをじっと見つめ――
次の瞬間、がつがつがつがつがつっ!!!
あっという間に一皿を完食してしまった。
え、うそ、え?美味しかったってことでいいのよね……?
な、何で無言なの…?
ぽかんとしている私たちをよそに、ロイ王子がボソッと何かをつぶやいた。
「……え?あの、すみません、もう一度いいですか?」
「……おかわりは、ないのか……?」
「え!?お、おかわり!?」
それって……それって、美味しかったってことじゃないの!!
さっきまでツンツンしてたくせに、もう!
こっちがドキドキしちゃったじゃない!
ぱあっと、給仕室の空気が一気に明るくなる。
さっきまで緊張していた料理人たちの顔に、笑みが広がっていく。
「すみません、今ので最後でした。また今度、たっぷり作りますからね!」
「ああ……」
ロイ王子はぶっきらぼうにそう言い残すと、くるりと背を向け、給仕室を出ていった。
その背中が少しだけ軽くなっているように見えたのは、気のせいかしら?
「トメ子さま、すごいです!ロイ様が“おかわり”なんて言うなんて!!」
「私、初めて見ましたよ……あんなふうに食事を喜んでいるお姿」
「そうですね……ロード様がいらっしゃった頃以来かもしれませんね」
みんなが思い思いに語りはじめる。
どうやら、ロイ様のあの食べっぷりは本当に珍しいことだったようね。
「最近はずっと、つまらなさそうに食べてましたからね。特に、クレメンス様と暮らすようになってからは……」
……うん?それってやっぱり――
「ねえ、前から気になってたんだけど……ロイ様とクレメンス様って、仲が悪いの?」
私の問いかけに、場の空気がふっと静まりかえる。