4.トメ子、魔王の嫁になる
ルークさんが、すたすたと早歩きで私を先導していく。
──これが、魔王城……!
足元には深い紫の絨毯がずーっと続き、廊下の長さはまるで25メートルプールどころじゃない。
両脇には重厚な燭台が並び、私たちが近づくとパッと自動で火が灯っていく。
なにこれ、演出バッチリじゃないの。全部魔法なのかしら?
豪華だけど、どこか薄暗くて……全体的に陰気臭い。
でも、それが逆に雰囲気出してるというか……まさに“魔王城”って感じね。
それにしても、どこまで歩くのかしら?
いくら若返ったとはいえ、こちとら長距離は苦手なのよ〜!
息がちょっぴり切れた頃、ようやくルークさんが一際立派な扉の前で立ち止まった。
天井まで届くような扉は黒と金の装飾が施され、まるで美術館の展示品みたい。
「こちらが、魔王様のお部屋でございます。すでに中へ入る許可はいただいております」
えっ、部屋!?
てっきり謁見の間的なところだと思っていたわ。
あっ、そういえば……ルークさん、お手玉してるときに一瞬いなくなってたわ。
その間に報告してくれてたのね。いやだもう、優秀すぎるわ!
「魔王様、花嫁候補のトメ子さまをお連れしました」
ルークさんの声が響いた直後、ギギギ……と重厚な音を立てて、扉が自動で開いていく。
──わ、わ、わ……な、なんか緊張してきた……
城の中でも特に重厚な空気が、扉の隙間からじわりと漂ってくる。
「し、失礼します……!」
声が少しだけ裏返ったの、バレてないといいけど。
おずおずと部屋の中へ足を踏み入れ、恐る恐る顔を上げたその瞬間──
……目に飛び込んできたのは、ジャージ姿で髪ボサボサの青年が、あたふたとタンスに何かをごっそり詰め込んでいる姿だった。
え?……え??
まさか、まさかとは思うけど──
「も、もしかして……あの子が、魔王様……!?」
私の言葉にかぶせるように、ルークさんが重いため息を吐いて頭を抱える。
「……クレメンス様。先ほど“トメ子さまが到着なさった”とお伝えしましたよね。なぜ、まだ部屋の片付けが終わっていないのですか……」
「だ、だって!ちょうどラスボス前だったんだよ!?やめ時がわかんなくてさ!ていうか、普通は“これから入ります”って事前に言うだろ!?心の準備ってもんがあるんだよ!」
「先ほど“着いた”と申し上げましたし、“直接部屋に通せ”と仰ったのは他でもないクレメンス様ですよ。……こうなる気はしていたので、私は謁見の間でお会いするよう提案したのですが」
「い、いや、だから……あとちょっとだけゲームやりたくてさ……その……」
何これ……。
まるでダメ息子をたしなめる苦労人の父親みたいな構図じゃない。
……ああ、やっぱりこのダラダラした子が、魔王・クレメンス様なのね。
見た目は確かに悪くない。
黄金の髪はさらさらで、目はルビーみたいに赤く輝いているし、背もすらりと高い。
たぶん180cmはあるかしら。
──けど!!
口元にはお菓子の食べかすがついてるし、その目はゲームで寝不足になったオタクみたいにトロンとしてて、やる気ゼロ!
「……魔王って、もっとこう……禍々しいオーラとか、ないのかしら……?」
思わず出た本音が聞こえていたのか、クレメンス様はふいにこちらをじっと見つめた。
さ、さすがに今のが聞こえていたらまずいわ!
一人であたふたしていると、クレメンス様がぽつりとつぶやいた。
「……確かに、そっくりだな……」
えっ?何が?ああ…もしかしてゲームのアバターに私が?
質問する間もなく、クレメンス様はバッと立ち上がり「す、すみません!すぐ着替えてきますので、少々お待ちを!!」と言い残し、風のように部屋から飛び出していった。
な、何だったのかしら、今の……。
私が呆気に取られていると、ルークさんが申し訳なさそうに頭を下げた。
「トメ子さま、誠に申し訳ございません。お見苦しいところをお見せしました」
「あ、いえいえ!ちょっとびっくりしたけど、大丈夫よ!あれくらいならうちの息子で慣れているから!」
「息子…?トメ子さまは独身とお伺いしていますが…?」
「あ!あ、えーと…近所に住んでいる息子のように可愛がっていた子がいたのよ!」
ルークさんは「そういうことでしたか」とほほ笑む。
フー!危ない危ない。転生者とバレるところだったわ!
私が汗を拭いていると、ルークさんが暗い表情で語りだした。
「……現魔王・クレメンス様は、実は即位してまだ1年も経っておりません。20歳という歴代最年少の魔王様です。おまけに急遽即位されたので少々、未熟なところがございます」
「どうしてそんなに急に即位されたの?」
「もともとクレメンス様は引きこもりで人見知りな性格だったため、魔王には向いていないと判断した前魔王様はロード様に継承させる予定でした。しかし1年前、ロード様が突然行方不明になられ、その直後に前魔王様もご体調を崩され……。結果として、クレメンス様が急遽即位されたのです」
「なるほどねぇ……もともと“魔王っぽい性格”じゃなかったってわけね」
「はい……クレメンス様は、即位後もご自室にこもりがちで、相変わらずゲームと漫画を愛する内向的なご性格は変わらず。今でも、あのように人前では緊張されることが多く……」
なるほど。ちょっと気の毒だけど、なんだか親近感も湧いてきたわ。
無理やり「魔王」って肩書を背負わされた感じなのね。
──するとそのとき、また風が吹いた。
バサァッ、と勢いよく扉が開き、さっきの“ダメ息子風”の魔王様が再登場──
……と思ったらさっきと全然違う!!
さらりと整えられた黄金の髪。
ぱっちりと開いたルビー色の瞳に、透き通るようなプルプルの肌。
魔王専用(?)の黒と金の礼装に身を包んで立っているその姿は、まるで絵画から飛び出してきたような完璧な“王”の風格だった。
「……なによ、馬子にも衣装ってやつ?いや、これはもう別人レベルよね……」
うっかり口に出しそうになったのを飲み込む。
この姿ならどこからどう見ても、堂々たる魔王様だわ!
「お待たせしました……先ほどは、あんな姿をお見せしてすみませんでした!」
颯爽と現れた魔王・クレメンス様は、きちんと礼儀正しく一礼。
「でも……トメ子さん……完璧です。まさに、私の要望そのもの……!」
「……へっ?
「うん……クレたんが画面から出てきたみたいだ……!これはもう、奇跡……!」
突如、目を潤ませながら感極まった表情になるクレメンス様。
もしかして「クレたん」って、クレメンス様がハマっているゲームのアバターの名前?
ルークさんが、そんな様子のクレメンス様に控えめに尋ねた。
「クレメンス様、相手は女性でございますが……問題ございませんか?」
「うん、なぜか大丈夫だ。たぶん……クレたんに似ているから、怖くないのかもしれない」
そ、そう……?
よくわからないけど、女性恐怖症の壁は乗り越えたみたいね!
「人間の方がこのお城で暮らすのは、少し不便もあるかもしれないけれど……どうか、よろしくお願いします」
クレメンス様は、ふたたび私のほうへ向き直り、丁寧に深く一礼。
「はっ、はい!こ、こちらこそ……!」
私も、慌ててぺこり。
いや~、まさかこんなに礼儀正しいタイプだとは思わなかったわ……!
年を取ると礼儀の正しい若者への好感度は最上級よ!
と、感心していた矢先。
「では、さっそく“儀式”を行いましょう」
「……儀式?」
……儀式って何!?
いきなりそんな、物騒なワード出されたら怖いんだけど!?!?
***
魔王城にある、小さな教会。
まさか「儀式」って、結婚式のことだったなんて──。
てっきり何かの魔法契約かと身構えていたから、拍子抜けしてしまった。
民衆の前で行う「女王継承の儀」は、一週間後に改めて執り行うらしい。
それとは別に、生活の始まりとして、魔族の間ではこの結婚式が何より大切なのだという。
──それにしても、素敵なドレスだわ。
ウェディングドレスではないけれど、藤色のシルクに繊細な刺繍があしらわれたこの衣装は、思いのほか肌の白さに映えて見える。
人生で一度はドレスを着てみたかったから嬉しいわ!
現世の結婚式では和装だったから……まさかこんな形で夢が叶うとはね。
でも、魔族の結婚式って……どんな風に進むのかしら?
そんなことを考えながら、私は教会の前の扉の前で、ぼんやりと立ち尽くしていた。
──と、突然。
重厚な扉が音を立てて開き、教会内に荘厳な音楽が鳴り響いた。
目の前に広がるのは、参列者の視線。全員の視線が、私に突き刺さる。
一番奥。祭壇の前には、きちんと正装したクレメンス様が立っていた。
緊張で喉が渇く。でも、歩かなきゃ。
足元に気をつけながら、一歩ずつ、ゆっくりとバージンロードを進む……つもりだったのに。
ガクッ──!
「──ドテッ!」
えっ……!?
思いきり転んだ……!? しかも、真正面に!!
何に引っかかったの!? と慌てて後ろを振り返ると──
参列者の一人、妖艶な雰囲気の魔族の女性が、こちらを見てクスクスと笑っていた。
……あの人だ。間違いない。
何か魔法を使ったんだわ。
でも、今はそれを問い詰めてる場合じゃない。
一秒でも早く立ち上がらないと──!
立ち上がろうとする私の耳に、周囲からヒソヒソと冷たい声が飛び込んできた。
「これだから人間の女は……」
「魔王様も、よりによって人間をなんて……」
──ああ。やっぱり、そうなのね。
人間はこの魔族の世界では“歓迎されざる存在”。
そんな人間が魔族のトップである魔王様の花嫁になるということはそりゃあ耐えられないわよね。
まさか、結婚式でいじめられるとは思わなかったわよ……ほんとに、もう。
立ち上がろうとしたそのとき、スッと目の前に手が差し出された。
──クレメンス様だ。
「失礼。歩きづらかったですね。……私が、エスコートします」
低く静かな声。それなのに、なぜか会場全体に響くような威圧感があった。
そして──一瞬だけ、鋭く周囲を見回す。
「……まさか、この中に。足を引っかけたり、悪口を言うような、不届き者なんていませんよね?」
さっきまでの少し頼りない優しげな雰囲気とは打って変わった冷たい声音。
クレメンス様は私の手をしっかりと取りながら、明らかにあの女の参列者を睨みつけていた。
教会の空気が一瞬にして凍りつく。
問題の女性は俯いたまま、カタカタと小さく震えていた。
……お、恐ろしい。これが魔王の本気、なのね。
さっきまでの引きこもり青年とは、別人みたい──。
そのまま私は、クレメンス様に手を引かれて、堂々と牧師のもとへと進んだ。
「流れに身を任せていれば大丈夫です。ちなみに……口づけの儀はありませんので、ご安心を」
小声での配慮に、思わず吹き出しそうになる。
──ぶっつけ本番だけど、案外なんとかなってる……かも?
祭壇の前で、私はクレメンス様から指輪を受け取った。
それは、彼の瞳と同じ、深い赤の宝石があしらわれたリング。
なんて綺麗……これは一体、何の石なのかしら?
指輪の交換が終わると、二人でそのまま退場。
これにて、結婚式は無事(?)終了した。
……意外と、あっさりしてたわね。
控室に入ると、ようやく空気が緩む。二人きりの空間に、私はふっと息を吐いた。
「あの……助かりました。本当に、ありがとうございます」
「いえ……本当は、皆にも“客人として丁重にもてなせ”と伝えているのですが、なかなか上手くいかなくて……」
クレメンス様は首元の襟を緩めると、どこか気の抜けた笑みを浮かべ、大きなため息をついた。
「それにしても、緊張したぁ~……はあ……お腹痛い……。あんなの、本当は柄じゃないんだよ……」
一気にトーンが戻った。
さっきの魔王様はどこへ……まるでスイッチでもあるみたいね。
でもさっきの、誰にも怯まずに私を守ってくれたあの姿。
不器用だけど、頑張ってくれていたのね。
だから、ここは何か一言、ねぎらいの言葉でも──そう思った瞬間。
「やっぱりな!」
控室の扉が勢いよく開いて、声が飛び込んできた。
「お前、本っ当にヘタレだな! 魔王とか聞いて呆れるんだよ、このへっぽこ野郎が!」
ロイ王子だわ。
ど、どうしたのかしら…!?
現れた瞬間から、全身で怒りを放っているように見えるわ。
「ロイ……うるさいな……。俺は本当は魔王なんて柄じゃないんだよ……」
「出たよ!またそれか! 何でこんなやつが魔王なんだよ!! ほんと、終わってんな!」
勢いに任せて、怒鳴り散らすロイ王子。
吐き捨てるように言って、そのまま部屋を出ていった。
……え、ええと。何?
何がどうなってるの? あの二人──もしかして、相当ワケあり?
せっかくのしんみりした空気が一瞬で吹き飛んだ。
この二人、予想以上に“問題児”ね…。




