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※要機密処理 怨霊対策室治安維持実行部隊 資料No.0864


「遺体に手を触れるな!」

 厳しい草薙(くさなぎ)の言葉に、目の前の女性――まだ少女と言っても差し支えのない若さだ――はびくりと手を止めた。


「怨霊案件の遺体にみだりに触るんじゃない。強い怨念を残していた場合、身体的接触によってこちらが憑依される危険性がある。基礎中の基礎だぞ、紗倉(さくら)伍等官」


 何故自分の相棒がこんな娘と言っても良いほどの若造となってしまったのか――そんな溜め息を胸の内で吐きながら、草薙は眉間の皺をもみほぐす。


 常に怒っているような顔をしている草薙は、その背の高さも相まって相手に威圧感を与えやすい。部下たちを萎縮させないよう接し方には注意しろと、周囲から言い聞かされていたことをふと思い出した。

 ――草薙に言わせてみれば、そんなのは最近の脆弱な若者の甘やかしとしか思えないのだが。


 とはいえ、部下を潰したいわけではない。厳しい言葉に凹んでいるようであれば、面倒でも多少のフォローを入れてやらねば……そんなことを考えていた草薙はしかし、すぐに目の前の新人がそういった繊細な若者とは一線を画した感性の持ち主であることを知った。

「草薙上官。お言葉を返すようですが、こちらの魂はまだ怨霊に染まり切っていません!」

 無駄にハキハキとしたよく通る声を上げつつ、彼女は一度下ろした手を今度は指差す形で遺体へと向ける。




 何を莫迦(ばか)な、と唇からこぼれ落ちるより先に、遺体の中心からぶわりと黒い霧が立ち昇った。見る見る内に人型へと姿を変貌させていくそれを前に、草薙は舌打ちをしつつ胸ポケットを素早く探る。

「怨霊への変異確認。至急、除霊準備を!」


 指示を出しつつ、愛用の除霊銃へと手をかける。しかし右手が銃に触れた瞬間、草薙は自身の背中にじわりと嫌な汗が吹き出すのを感じた。指が小刻みに震え、得物を持つことができない。

 怨霊化する魂を前にしているというのに、気づけば草薙は力なく目を閉じていた。瞼の裏に焼きついている、少女の憎悪の視線。身体の震えはどんどん酷くなっていく。

 「パパを返せ、この人殺し!」――あの時の判断は最善のものだったと思っているが、それでも本当にそれで良かったのかというと……。


「草薙上官、鎮魂に成功しました! このまま供養(くよう)へと移行してよろしいでしょうか!」

「……何?」


 部下からの理解を超えた報告に、過去に囚われていた草薙の思考が一気に現実へと引き戻された。一体、彼女は何を言っている?

 除霊に成功したという報告であれば、まだわかる。類稀(たぐいまれ)なる射撃の才能か強運さによって、単独で怨霊の核を撃ち抜いたという可能性はゼロではない。

 だが、鎮魂に成功したとはどういうことだ? 一度怨霊に堕ちた魂を慰撫(いぶ)するなんて、そんなことができるはずが……。


 しかし、ゆっくりと開いた草薙の目に映るのは、報告通りの光景であった。怨霊の特徴である黒い霧は消え失せ、弱く瞬く光が遺体の周囲を漂う。そこに残るのは、彷徨(さまよ)える無垢な魂。

 状況は理解できずとも、適切な指示は半ば自動的に口をついて出た。


「……供養を許可する。数珠(じゅず)、用意。経典三ノ一、詠唱開始」

「はい。読経を開始します」


 草薙の指示に従い、形の良い唇が供養のための詠唱を紡ぎはじめる。思わず身を委ねてしまいそうになるほどの、美しくて優しい声だ。この分なら問題ないだろうと判断して、草薙はじっと耳を傾ける。

 やがて柔らかなその声に導かれるように、魂は上天へと昇りだした。天上へ至る道を見つけたのだろう。

 光は最後にまるで礼を述べるように数回点滅を繰り返し、そしてゆっくり空へと消えていく。




「紗倉伍等官……君は一体、何をした?」

 その行先を見送ってから、草薙はやっと思い出したように掠れた声を出した。

「あれはもう、救えない魂だったはずだ。怨霊化を始めた魂にできるのは、せめて望まぬ罪を重ねないよう速やかに除霊することくらい。それなのに、何故……」


「体質なんです」

 草薙の疑問に、紗倉はあまりにあっさりと答えを返す。

「私に触れられた魂は皆、死を受け入れ、成仏を望むようになる。……完全に怨霊となってしまった魂は無理なんですけどね」

 元々霊媒師の家系で死者を導くのが得意みたいで、という紗倉の声は半分以上草薙の耳には入っていなかった。ただ驚きに目を見開いたまま、その場に立ち尽くす。彼の目が見てるのは目の前の現実ではなく、取り返しのつかない過去の幻影だ。


「その……草薙上官」

 呆然と佇む草薙を気遣わしげに、しかし決意を秘めた瞳で紗倉は見上げた。

「その代わり、私は完全に怨霊となった霊体を感知することは全くできません。対怨霊戦での戦力は一般人以下となってしまいます。――怨霊対応を草薙上官、それ以外を私が対応という形にして頂けないでしょうか」

「君は……どこまで聞いている?」


 草薙の曖昧な質問にも、紗倉は戸惑わない。ただ少しだけ言いづらそうに目を伏せて、口を開く。

「その……場合によっては除霊銃を使用できない状態になることがある、と」

「場合によっては……か」


 力なく息をついてから、草薙は目の前の部下を見下ろす。女性の中でも小柄な紗倉伍等官は、戦力としてみるにはかなり心許ない。……だが。

「君が来てくれて良かった」

 草薙の口から零れ落ちたのは、そんな正直な言葉であった。


「率直に言おう。私が除霊銃を扱えなくなったのは、目の前の魂を滅することに迷いが生じてしまったからだ。……君も知っているだろう、繁華街の新谷で突如発生した大規模怨霊感染爆発の事件を。きっかけは通り魔による殺人事件だったが、もともと古戦場であった新谷は霊的に怨霊の発生しやすい地域となっていた。その所為で、怨霊の拡大はあまりにも早かった」


 少しだけ息をついて、当時の心情に引きずられそうになる己を取り戻す。

「通報を受けて駆けつけた時、現場はひどい有様(ありさま)だった。通り魔は取り押さえたものの、怨霊はどんどん感染を拡大していて……そんな中でちょうど、目の前の刺された男性の遺体から魂が離れようとしていた。躊躇う時間なんて、なかった。私は除霊銃を抜いて、しっかりとその魂を撃ち抜いた。……遺体の傍らにはまだ幼い娘さんが居たんだ。父親の魂は、すでに怨霊に憑りつかれていた。真っ先に狙われるのは、その子だ。犠牲を最小限にとどめるためのその判断は一瞬で、そして今でも間違っていなかったと確信している。……だが」


 今でもそのことを思い出すと、崩れ落ちそうなほどの苦しみに襲われる。

「あの時の女の子の顔が、いつまでも消えないんだ。除霊銃を握るたび、あの子が私に問い掛ける。『また、殺すの?』と。それが苦しくて……しかし」

 紗倉の顔を見下ろして、草薙は不器用に微笑んだ。

「君が鎮魂を担当してくれるのであれば……私が相対するのがどうあっても救えない怨霊に限定されるのであれば、きっと今みたいな見苦しい姿を見せることにはならないだろう。こんな頼りない上司で……すまない」


「いえ! むしろ草薙上官のお役に立てて嬉しいです!」

 落ち込んだ空気を吹き飛ばすように、紗倉は全力の笑顔と明るい声で答える。

「私たち、きっと良いコンビになれますよ!」




 その後の探索は、想定以上にスムーズに進んだ。申告どおり紗倉は遭遇する霊に躊躇うことなく触れていく。

 霊体に触れてはいけない、という常識にどっぷりと浸かってきた草薙からしてみれば、背筋が寒くなるような光景。しかし、確かに魂は紗倉に触れられることで浄化され、成仏を願うようになっていくのだ。

 除霊のために草薙が銃を抜いたのは、二回だけ。そのいずれも相手は完全に怨霊と化した魂で、草薙の手が震えることはなかった。


「スムーズな進行だな。莫迦(ばか)が廃マンションの封印を破った時にはどうなるかと心配したが……」

「はい。発端の侵入者こそ犠牲となってしまいましたが、この分ですと今まで先送りにしてきた霊体処理が一気に済みそうですね」


 これだけの規模の(けが)れ地を封印だけで放っておいた本部もどうかと思うが、むしろ一番良い形で落ち着くことになりそうだ。長年の封印が解けた興奮からか、霊たちは身を隠すことなく彷徨(さまよ)っていて対応しやすい。


「処理済みの霊体はこれで九体か。残り一体。気を引き締めて進め」

「いえ、残り二体です」

「二体?」


 報告と異なる数字に草薙は訊き返した。もしかして、草薙の知らないうちに新たな犠牲が出ていたのだろうか。

 怨霊の取りこぼしは、任務の失敗に繋がる。改めて数を確認しようと紗倉に視線を向けた。それに、紗倉ははっきりと首を振る。

「……いえ、失礼しました。対応が必要なのは残り一体です」

「対応が必要、とは?」


「いえ、失言です。忘れてください。……そんなことより、草薙上官ってロバート・ニモに似てるってよく言われません?」

 目まぐるしく変わる話題に、草薙は困惑する。

「誰だ、それは」

「ハリウッドの俳優ですよ。もう五十代後半なんですけど、すっごく格好良いイケオジなんです。ちょうど草薙上官くらいのロマンスグレーの髪で、鋭い目つきと綺麗な姿勢が特徴の人なんですけど……知りません?」

「知らん」


 そしてイケオジとは一体何だろう。今時の若者の言葉がぴんと来ず、草薙はぶっきらぼうに返す。

 そんなつれない反応にも紗倉は笑みを綻ばせて続けた。


「まっ、それくらい草薙上官は格好良く見えるってことですよ」

「くだらないことを言うな。先に進むぞ」

「はいっ」


 くすくすと笑う声を背中に感じながら、草薙は足早に歩き出す。紗倉のそれは草薙の忌み嫌う若者の軽薄な言葉だというのに、不思議と悪い気はしなかった。




「最後の一体は……あれか」

「あらら……見えないはずの私でさえ嫌な気配を感じます。なかなか強い怨霊みたいですねぇ」

「だろうな。アイツはこのマンションを(けが)れ地に落とした爆破事件の犯人だ」


 瘴気(しょうき)のもっとも濃い中心。そこに佇む黒い影を前に、二人は足を止めた。

 元々社会に不満を募らせていた男が、怨霊に憑依されて起こしたマンション爆破事件。多数の住民を道連れに死んだ彼は、怨霊としてさらに強大な力を得てこの地に君臨してしまった。

 唯一救いだったのが、事件への思い入れが強すぎて霊が地縛霊化したことだろうか。怨霊の活動範囲はマンション跡地に縛られており、付近を封鎖することで被害は最小限に押し留められていた。

 ……どうしたって、今回のように勝手に入り込む莫迦が犠牲になるのは防げなかったけれど。


 言葉を交わしながらゆっくりと歩み寄る二人に、光のない顔が視線を上げる。それだけで、草薙の肌が粟立った。自身の存在自体を削り取られていく感覚に、身体が震える。


「瘴気、急激に上昇中。来ます!」

「ああ……一撃で仕留めよう」


 その言葉を合図にしたように黒い霧がぶわりと膨らみ、一斉に草薙に向かって触手を伸ばした。

 荒ぶる怨霊を前にしながらも、除霊銃を構える草薙には一片の揺らぎもない。静かにひと息つくと、草薙は力むこともなく至って自然体のままで引き金を引く。


 パァン、と乾いた音が響いた。

 しばしの沈黙の後、影はぐにゃりと力を失い地面へと倒れ伏していく。

「すごい……本当に一撃で……」

 驚嘆の声を上げながらも、紗倉は速やかに瘴気の測定に取り掛かりはじめる。万が一にも取りこぼしがあれば、浄化作業はやり直しとなってしまう。


 しばらく黙々と作業を続けていた彼女は、やがて満面の笑みで顔を上げた。

「瘴気の低減、確認できました。穢れ地の浄化完了です。――草薙上官、やりましたね!」




「……ああ」

 最後の大仕事を終え、草薙は晴れ晴れとした気持ちで頷いた。

 ここまで来られたのは、間違いなく彼女の力あってこそだ。射撃の腕前だけでは霊を無理矢理滅することしかできず、草薙の精神は最後まで保たなかったことだろう。


「ありがとう、紗倉君。感謝する」

 素直な言葉と共に、草薙は握手を求めて右手を差し出した。眩しそうに、切なそうに見てから紗倉はゆっくりとその手を握り返す。

 がっしりとした力強い握手。言葉はなくともお互いの想いが通じ合う。

 そして、草薙の身体は淡く光りはじめた。


「そうか……やはり私は、死んでいたのか……」

 帰りたい、という強烈な郷愁の念に襲われながら草薙は寂しそうに微笑みを浮かべた。この仕事の途中から、薄々気づいていた真実。

「……はい。貴方はこの廃マンションに入り込んだ子供を救うために命を落としたんです」

 ごめんなさい、と掠れた声で紗倉は呟いた。


「入り込んだ子供というのが、私です。草薙さんみたいな素敵な方が亡くなって、私が助かるなんて……本当にごめんなさい……!」

「良いんだよ。ああ。君が気にすることではない」


 当時のことを思い出して、草薙は小さく笑みを浮かべた。

 (しつけ)と称されて、穢れ地に置き去りにされた少女。まだ自身の精神的外傷(トラウマ)が癒えていなかった草薙は銃を抜けず、我が身を挺して敷地外に弾き飛ばすことでしか少女を守れなかった。

 それでも、彼女が置き去りにされた日が自分の巡回と同じ日だったのは本当に幸運だったのだと、今でも思っている。


「誰かを守って死ねたなら、私も本望さ。しかもその守った子が、私と同じ仕事に就いてくれるとは……」

「この廃マンションが今まで沈黙を保っていたのは、草薙さんがずっと怨霊たちを押し込めてくれていたからです。草薙さんは、その後もずっと私たちのことを守ってくれていたんですよ……!」


 堪えきれなくなったように紗倉は涙声を上げる。その頭を草薙はぽんと優しく撫でた。

「そう言ってもらえて、嬉しいよ。私も、最後の相棒が君で良かった」

 ありがとう、という草薙の言葉は途中から光に消えていく。最後まで握り締めていた彼の右手の感触も、気がつけば紗倉の手の中でさらさらとこぼれ落ちていった。


「ありがとうなんて……そんなの、私のセリフですよ……」

 一人立ち尽くした紗倉は、寂しげに呟く。その声に答える者は、もう誰も居ない。しばらくその場に立ち尽くしてから、紗倉はのろのろと連絡用端末を取り出した。


「お疲れさまです、紗倉です。廃マンションの調査、完了しました。死亡者は一名、封印を破って侵入したものと思われます。……いえ、応援は不要です。穢れ地の浄化は完了しましたから」

 端末から耳を遠ざけて、紗倉はしばらく怒鳴るように問い糺す相手の声を聞き流す。

「お前にできるはずがないと、言われましても。……私には」


 ふっと紗倉の口元が緩んだ。

 ――ああ、そうだ。私には。


「最強の相棒がついてましたので」


 


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― 新着の感想 ―
[良い点] 草薙さん魅力的、二人の除霊の一人は彼だったという落ちがいいね。 [一言] 草薙さんいい奴なのでその霊を呼び戻して新たな事件解決するような続編読んでみたいです。
[一言] 世界観が格好よかったです!除霊の銃とか、応援を呼ぶシーンとかの言い回しとか。 あと何よりもイケオジ! 素敵な話をありがとうございます!
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