魔法使いの契約結婚~すべては愛する家族のため~
ここはとある貴族家の応接室。
この場にいるのはこの貴族家の当主である若い男と当主の後ろに控える執事、そして俯いている女の三人だ。
机の上には書類が置かれている。
若い男が苛立ったように口を開いた。
「これは契約結婚だ。私に愛されようだなんて愚かなことは考えるなよ。お前は大人しく家のことだけしていればいい」
「…」
「…くそっ!どうして結婚なんてしなければならないんだ。私は女が嫌いだというのに!王命さえなければ…!」
「こればかりは仕方ありません。この国では若くして当主になられた方は必ず二十三歳までに結婚しなくてはならないと国法で決まっております。王命がなくとも近いうちに結婚しなくてはならなかったかと…」
「それくらい分かっている!そうしなければ爵位を剥奪されてしまうからな!」
「…ええ。ですから苦肉の策として契約結婚なのです。爵位が無くなれば領民を守ることができなくなりますから…。二年、二年の辛抱です」
「…そうだな。この契約結婚は二年だ。それが終わればしばらくは結婚などしなくても済むはず。…だから私のことを煩わせるようなことだけはしてくれるなよ。分かったな?」
「…」
「はっ!だんまりか。贅沢な暮らしができると思っていたのなら宛が外れて残念だったな。せっかく貧乏子爵家から出られたのにここも似たようなものだからな。だが大人しくしているなら住むところと食事の面倒だけは見てやる。話は以上だ」
――ガチャン
この家の当主である若い男とその執事が書類を手に部屋から出ていった。
そうして部屋に残されたのは俯いたままの女だけ。一言も口を開くことなく俯いたまま肩を揺らしている。この状況を見ていた人間がいればこの女は泣いていると思うだろう。しかしそれは間違いである。この女はこれくらいのことで泣くようなか弱い令嬢ではない。むしろ…
「…ぷっ!あははははっ!」
部屋の周囲に誰もいないことが分かるとこの女は突然笑いだした。
「あー、可笑しかった!『私に愛されようだなんて愚かなことは考えるなよ』ですって?あはは!顔が整っているとそういった勘違いをしてしまうものなの?それともそういう思い込みの激しい人なのかしら?」
誰に聞かせるわけでもなく女は一人でしゃべり続ける。
「間違ってもあんな男私の方から願い下げだわ。それに貧乏子爵家ですって?情報すらまともに集められないのね」
実際に数年前まではそうであったが今は違う。それくらいも知らないとは思いもしなかったが、まぁいい。
この契約結婚は最初から仕組まれたもので、それを仕組んだのは私。あの男は私に対して傲慢ではあったが領民を想う気持ちは本物のようだ。ただ領地経営の才能と人を見る目は無い。そんな男のせいでこの国が危険に陥るなどあってはならない。だから私がやってきたのだ。
「早速仕事を始めますか」
私の任務は今日から二年間、辺境伯夫人としてこの家を立て直すこと。
「この任務が終わったらたっぷりと休みをもらわないとね!うふふ、楽しみだわ!」
そう言って女はパチンと指を鳴らした。すると次の瞬間には女の姿はどこにも見当たらなかった。
女の名前はレティシア・エスタ。
国王陛下直属の組織、魔法師団に所属する王国史上最強の魔法使いである。
◇◇◇
レティシア・エスタ。
レティシアはエスタ子爵家の長女として生を受けた。レティシアが三歳の時に弟が、五歳の時に妹が生まれた。エスタ子爵家はそこまで裕福ではなかったが、家族五人慎ましくも仲良く暮らしていた。
しかしその暮らしはレティシアが十歳の時に一変する。
もともと特出した産業も特産品もないエスタ子爵領が大災害に見舞われたのだ。大雨で川が氾濫し、ぬかるんだ地面に止めを刺すかのように大地震が発生した。この大災害により領民の多くが住む場所を失い、また作物も全滅してしまった。エスタ子爵邸はなんとか倒壊は免れ住む場所には困らなかったが、領地を復興するためには家財や服飾品を売るしかなく、貧しい生活を強いられることとなる。
領民はこの地では生きていけないと一人また一人とエスタ子爵領を去っていき、災害からたった一年の間に領民は半分以下となってしまった。領民が少なくなれば税収も減る。国も見舞金と称し援助してくれたが、それだけでは全く足りなかった。しかし国庫にも限度がある。父と母は近隣の貴族たちにも援助を求めたが、援助してくれる家はなかった。近隣の領地も少なからず災害の影響を受けていたからだ。それだけエスタ子爵領を襲った災害は甚大だったのだ。この災害は後に『エスタの悲劇』と呼ばれるようになる。
しかしエスタ子爵夫妻は諦めなかった。生きていればいつかきっと救われるはずだと信じて。そんな両親の背中を見て育った三人の子どもたちも、自分たちにできることをしようと一生懸命領地の復興を手伝った。
◇◇◇
エスタの悲劇から三年後、レティシアが十三歳の時に再び状況が一変する。
レティシアが突如原因不明の高熱に襲われたのだ。しかし当時のエスタ子爵家に医者を呼ぶ余裕はなく、家族はただ祈ることしかできなかった。
そして高熱は一週間続いた。日に日に衰弱していく娘を目にし、夫妻はレティシアの死を覚悟した。
しかしここで奇跡が起こる。
夫妻がレティシアの死を覚悟した日の夜、子どもたちを寝かしつけた後朝までレティシアの側に居ようとレティシアの寝ている部屋へと向かった。すると部屋から不思議な光が漏れだしているではないか。夫妻は何事かと急ぎ部屋の扉を開けると、そこにはつい先ほどまで寝ていたはずの娘が立っていたのだ。窓から差し込む月明かりに照らされた娘の髪がキラキラと輝いている。まるで髪が月の光に染まって銀色にでもなってしまったようだ…、とここで子爵ははっとした。
「レティシア!」
子爵は急ぎ娘に駆け寄り、無事を確認する。どうやら熱は下がっているようだ。妻は娘を抱きしめ泣いている。
「…お父様、お母様」
しばらくすると娘が口を開いた。そして驚くことを口にする。
「私に魔法の力が宿りました。この髪がその証です」
そう言って娘が肩に届くくらいの長さの髪に手を触れた。私はその手を追って視線を娘の髪に向ける。茶色だった髪が銀色へと変化していたのだ。
(ああ、やはり見間違いではなかったのだな…)
この世界で銀色の髪は魔法使いの証だというのは有名な話だ。人々は皆身体の中に魔力を宿しているが、その魔力を使うことができるのは魔法使いのみ。けれど魔法使いの素質を持つ人間は産まれた時から銀色の髪をしているという。娘のように後天的に銀色になるなど聞いたこともない。しかしつい先ほどまで娘は間違いなく茶色の髪であったことは紛れもない事実だ。魔法使いが誕生したら国王陛下に報告するのが全国民に義務付けられている。娘のことも報告しなければと考えているとさらに娘が驚くことを言ったのだ。
「それとこの地に鉱脈があります」
◇◇◇
その後娘に指示された場所を調べると、本当に鉱脈が現れたのだ。その鉱脈には信じられないほどの量の鉱物が眠っていた。ルビーにエメラルドにサファイア…。どうして分かったのかと娘に聞いてみると、鉱物と魔法は相性がいいらしく、目覚めてからこの地に強い気を感じたそうだ。まだ魔法使いとして目覚めたばかりなのにと不思議に思ったが、娘のことを信じるのは親として当然だと思い直し、それ以上は深く追及しなかった。それに娘はすでに魔法を使いこなしていたこともあり、魔法使いだけに感じられる特別な何かがあるのだと思ったのだ。
それから子爵領は驚くほどの早さで復旧を遂げていく。鉱物で得た利益と娘の魔法の力で。
ただ鉱物に関してはできるだけ秘密にした方がいいだろうと、娘が魔法を使ってこっそりと売買してくれた。私たち家族も災害の経験から贅沢や華美な生活は控え、災害前のように慎ましく暮らした。
そしてエスタの悲劇から五年後。
エスタ子爵領は復興を果たしたのだった。
しかしそれは娘との別れでもあった。
本来なら二年前のあの日に報告しなければならなかったのだが、娘から領地が復興するまではとの願いと、親として娘と離れたくない想いから国王陛下に報告しなかったのだ。もしかしたら罪に問われるかもしれない。しかしそれでも当時まだ十三歳であった娘と離れたくなかった。罪に問われれば潔く受け入れるつもりでいるが、娘は絶対にあり得ないから心配しないでと言う。
「もし家族を罪に問うようなら私が許さないから。だから安心して」
「レティシア…」
「それにこれは一生の別れじゃないわ。私はいつだってすぐに帰ってこれるもの」
「ああ、そうだな」
「レティ…」
「「お姉様…」」
「私は大丈夫だから心配しないで。むしろ驚くくらい早く帰ってくるかもしれないからね?」
「分かった。いつでも待っているからな」
「レティの好きなものを用意していつでも帰りを待っているわ」
「姉様、いってらっしゃい」
「いってらっしゃい…!」
「じゃあいってきます」
そうして娘は王都へと旅立っていったのだった。
◇◇◇
国王の執務室にて。
国王は今日もいつも通り執務をこなしていた。しかしいつも通りの日常は突然終わりを告げた。
――コンコンコン
「何事だ」
「『月』が誕生しました」
「っ!入れ」
「失礼いたします」
執務室へと入ってきたのはこの国の宰相だ。
「『月』が生まれたのか。場所は?」
「いえ、それが…」
なぜか宰相は歯切れの悪い返事をする。どうやら宰相は戸惑っているようだ。
(『月』である宰相が戸惑うだと?一体何が…)
『月』というのは魔法使いを指す言葉だ。銀色の髪になぞらえてそう呼んでいる。『月』が誕生したということはとても喜ばしいことだ。それなのに宰相の様子がおかしい。
「『月』の誕生は国にとって喜ばしいこと。それなのにどうしたのだ」
「そ、それが実は…」
「あまりにも待たされるから直接来ちゃいました」
「っ!?だ、誰だ!」
突如執務室に外套を目深に被った何者かが現れた。声を聞く限り女のようだが一体どのようにしてここまでやって来たのだろうか。
「あ、宰相さん!もう待ちくたびれちゃいましたよ」
「も、申し訳ない。なにぶん陛下はお忙しい方で…」
「…私?」
「えっ!じゃあこの方が国王陛下なんですね!」
「え、ええ」
「それならそうと早く言ってくださいよ!」
「いや、勝手に来たのは君の方で…」
「国王陛下!はじめまして!ご挨拶させてください」
そう言うや否や女が頭から被っていた外套のフードを外した。
「っ!」
するとフードの中から現れたのは輝く月の様な銀色の髪だった。
「レティシア・エスタです」
宰相が戸惑っていた理由が私にも分かった。
『月』の証である銀色の髪は生まれつきのものだ。だから月が誕生したと報告されれば赤子を想像する。しかし目の前にいる『月』の証を持つ者はどう見ても赤子ではなく。
それにエスタとはエスタ子爵家のことだ。『エスタの悲劇』が記憶に新しい。たしかエスタ家には三人の子どもがいて、長女の名前がレティシアだった。しかしその子どもは銀色の髪ではなかったはず。
このようなことはこの国始まって以来の出来事だ。けれど『月』の証を持ち、見たことのない魔法を使う彼女は間違いなく魔法使いだ。
レティシア・エスタ。
彼女は後天的に魔法に目覚めた唯一の存在にして、後に最強の魔法使いになる人物である。
◇◇◇
「ふぅ。やっぱりね」
私はレティシア・エスタ。今日から二年間はレティシア・バルバートと名乗ることになる。
ただこの結婚は任務という名の契約結婚なので私が表舞台に立つことはない。私はただここバルバート辺境伯領を立て直すためのお飾りの妻だ。ここバルバート辺境伯領のすぐ隣は敵国だ。隣国とは長年争っており、ここバルバート辺境伯領は国防の要だ。
しかし二年前、前バルバート辺境伯が亡くなり、若くして爵位を継いだ息子には剣を振るう才能はあったが領地経営と人を見る才能がなかった。そこを敵国に付け込まれ日々弱体化しているのだが、それすらも若い当主は気づかない。本来なら辺境伯が領内でどうにかするなり国に援助を求めるなりしなければならないのだが、領民を思いやる心だけは一丁前で行動には全く現れない。
さすがにこのままにするわけにもいかず、国王陛下は国の最高機密組織である魔法師団に任務を与えた。
『バルバート辺境伯領を立て直せ』と。
この時点で現バルバート辺境伯の評価は底辺である。しかし国境に位置する領地のため国として見て見ぬふりはできない。
そして誰が任務に赴くかとの話し合いをしようとする前に一人の魔法使いが手を上げた。
「私が行きます」
そう。それが私だ。
私がこの任務に手を挙げた理由。それは国を、そしてこの国に住む私の家族を含めた民を危険にさらす男が許せなかったから。それだけだ。
私には魔法使いだということとは別に秘密がある。それは前世の記憶があるということ。あの高熱で魔法使いの力に目覚めたと同時に前世の記憶を思い出したのだ。
私の前世は家族や男に恵まれない人生だった。両親は私が幼い頃に離婚し、母親に連れられていくも母親に新しい恋人ができるとさっさと捨てられ施設で育った。施設を出た後に人生で初めての恋人ができ、この人と家族になりたいと思った矢先に浮気され捨てられた。それからはずっと一人で生きて死んだ。そしてこの世界でレティシア・エスタとして新たに生を受けたのだ。
前世の記憶が戻る前から家族のことは大好きだったが、記憶が戻った後は家族が私の生き甲斐となった。
前世で渇望した家族。それが当たり前のようにある現実に歓喜した。そして私は誓ったのだ。絶対に家族を守り抜くと。
あの日から家族が私の全てだ。優しく時には厳しい父と母、生意気だが可愛い弟、私を慕ってくれる妹。
『エスタの悲劇』で辛く苦しい思いをした分、これからは幸せに暮らしてほしい。きっとそのためにこの魔法の力が私に宿ったのだと思っている。
今回の任務はバルバート辺境伯領を立て直すこと。エスタ子爵領とバルバート辺境伯領は直接関係ないが、敵国に侵入を許してしまえば家族が危険な目に遇う可能性がある。だからその可能性をゼロにするために私は任務を遂行するのだ。男嫌いの私が契約結婚という手を使ったのは、その方がより早く任務を終わらせられるから。外側より内側からの方が簡単に任務を遂行することができる。それに無事に任務が完了したら家族で旅行に行く予定だ。その楽しみがあるから任務も頑張れるというもの。
早速私は与えられた客室で帳簿とにらめっこしていたところだ。契約結婚ではあるものの、妻である私に対して客室しか与えないあの若い当主は本当に残念な男だ。それに裏切り者を側に置き続けるなど愚かすぎる。
私は前世の影響か魔法とは関係なく裏切り者はすぐに分かる。あの執事はこの国を裏切り、隣国のスパイへと成り下がっている。そのせいでこの屋敷には敵国の者が多数入り込んでいる。どんな経緯であの執事を雇い入れたのかは知らないが、裏切り者は始末するだけ。
まず最初に裏切り者と敵国のスパイを排除、次に優秀な人材の確保、そして最後に辺境伯領に雇用と特産品を生み出す。これが私の立てた計画だ。
この計画に則って早速動き始めるとしよう。仕事は早く終わらせるに越したことはない。
「じゃあまずは裏切り者の排除を始めましょうか」
こうして私の二年間の契約結婚生活が始まったのだった。
◇◇◇
――二年後。
「私はレティシアを愛している。どうか私と本当の夫婦になってほしい」
「…」
私の目の前で跪き愛の言葉を口にするのは契約結婚の相手であるバルバート辺境伯。なぜか彼はこの二年の間に私のことを愛してしまったそうだ。
「君の献身的な支えでこの辺境伯領は救われた。だがそれは契約結婚でありながらも君が私を愛していたからだろう?そんな君を見て私も君への愛に気がついたんだ!」
「…」
「突然で戸惑っているだろうが私の君への愛は本物だ。それに今日でちょうど契約が終わる。今までの分も愛すると誓おう!だから私と本当の夫婦に…」
「…ぷっ!」
「え?」
「あははははっ!」
「レ、レティシア?」
「あなたは何を勘違いしているのですか?」
「なっ、勘違い、だと…?」
「どうして私があなたを愛しているだなんて勘違いしているのでしょう?」
「何を…。あぁ分かった。今までのことを怒って拗ねているんだな?そのことに関しては謝るよ。だから素直に…」
「はぁ。本当にあなたはつくづく残念な男ですね」
「な、なんだと!」
「でもあなたはそこそこ見た目はいいですから、いつかは誰かと結婚できますよ。…まぁそれまであなたに爵位があればの話ですけど」
そう言って私は自身にかけていた魔法を解いた。魔法を解いて現れたのは月の光を浴びたような銀色の髪だ。
「なっ…!銀色の髪…!君は魔法使い、なのか?」
「ええ」
「っ!じゃ、じゃあ…」
「あら、ようやく気づきました?そうです。私は国王陛下からの任務を遂行したまで。『バルバート辺境伯領を立て直せ』とね。そもそも契約結婚も任務の一部ですから、私があなたを愛するだなんてあり得ないですよ」
「…」
「では今日で契約は終わりです。契約結婚の契約書に則って今日で離婚しましょう」
「あ…」
「それではお元気で」
私は指をパチンと鳴らし魔法を発動した。
「ま、待ってくれ…!」
しかし待ってくれる人などおらず、この場には真実を知って膝から崩れ落ちる男が一人取り残されたのであった。
◇◇◇
「うーん!最高!」
私は今休暇の真っ最中だ。
あれから私は国王陛下に二年間の報告を行い、半年の休暇をもぎ取ってきたのだ。最初国王は半年の休暇を渋っていたが、私以外にも優秀な魔法使いはいる。休ませてもらえないのなら家族を連れて国を出ると脅…交渉するとすんなりと許可を出してくれた。それなら最初から許可を出せばいいのにと内心笑ってしまったが。
そもそも私はこの国を出ていくつもりは全くない。なぜなら家族がこの国をエスタ子爵領を愛しているからだ。家族がこの国にいたいと望む限り私はこの国に居続ける。まぁ家族が国に愛想を尽かせばさっさと出ていくが。
「レティシア」
「レティ」
「姉様」
「お姉さま~!」
私を呼ぶ家族の声が聞こえてくる。
「はーい!今行くー!」
今日も私は家族と共にある。
それが私の一番の幸せだから。