01:そういうところが、どうしようもなく…
【ワンコ系熱血年下男子】×【完璧だけど隙だらけな年上男子】のラブコメディ!
二人は同じ会社の別部署で働く後輩・桜と先輩・永遠。
昔一度だけ一緒に仕事をしたことがあったがそれ以来これといった接点もなかった。しかし、桜はその時から永遠の仕事への姿勢や人間性に憧れを抱き、いつの間にか彼に恋に落ちていたのだった!
好意を(かなり一方的に)募らせていた桜は、ある日とうとうその熱き想いを打ち明ける決意をする。
入念に事前学習をした桜は満を持して朝っぱらから一世一代のプロポーズに挑むのだった。が、あっさりフられてしまう。落ち込む桜はそれでもなんとか仕事をこなした。
しかし、一休みにと立ち寄った給湯室でまさかの永遠に遭遇。運命の女神様は桜に微笑みかけてくれるのか?それともいたずらに永遠と巡り合わせて楽しんでいるのか?桜の運命はいかに…?
二人が織りなす【ラブコメディ】です!(リアルさはないです!)
午前9時。こちらのどん底な心情などお構いなしに会社は始まる。
大矢桜は蔵田エンジェル建設という企業の不動産事業部所属の一般社員。たとえ地を這うような気持ちでも働かなければならない。
落ち込む桜を、隣の席の同僚・滝田が笑い飛ばした。
「お前、今日公開プロポーズしたって?」
「した」
「根性ありすぎだろ。しかも相手があの羽根田永遠!」
「茶化すなよ。こっちはフられた絶望を抱き締めてんだから」
「言い方……」
桜は盛大な溜息を吐いてデスクに突っ伏した。
本当なら今頃、プロポーズにOKをもらって仕事の合間にこっそり連絡を取り合って昼休憩にランチへ出かけて、夜は洒落たバーにでも行くはずだったのに。
「高望みしすぎたんだよ、サクラクン」
「うっせぇやい」
高望み。それはそうだろう。
蔵田エンジェル建設の建築事業部の柱。それが羽根田永遠だ。
彼は営業・設計・現場管理を担うエースであり、部署そのものを支える屋台骨のような人でもある。とくに現場の人間からの信頼が厚い男だ。
仕事の話になると熱すぎるとか細かすぎるとか文句を言われているところも頻繁に目にするが、その精神性や細部にまで目が行き届く仕事ぶりは誰もがすごいと圧倒されるほど。
「けどあんだけ仕事できて顔もいいのに浮いた話はてんで聞かないよなぁ」
「だろう!?」
桜は咄嗟に滝田の腕にしがみついて同意した。
「なに。それで自分にチャンスありって思っちゃったわけ?」
「うっ……チャンスありっていうかさ。こう、想いを仕舞っておけなくなったっていうか」
「お前も羽根田さんに引けを取らない熱い男だもんな」
「いや俺はクールでミステリアスな男だ」
「言ってろ」
滝田が乱暴に頭を撫でて来る。彼とは同期入社で気安い関係だ。おかげでいつも助かっている。
「今夜飲みに行こうぜ。愚痴に付き合ってやるよ」
「愚痴なんかねぇもん」
「じゃあ慰めてやるよ」
「滝田様」
「おーよしよし、愚かな男よ。ただし割り勘」
「なんでだよ!」
思わず笑った桜は、会社のメールアドレスに仕事の連絡が入ったことに気づいてパソコンと向き合った。
仕事をしていればこの絶望感も一時は忘れられる。桜は集中して仕事に取り組んだ。
永遠とは部署が違うため、偶然社内で出くわす回数というのは多くない。しかし、気まずい時ほど運命の女神様はいたずらを仕掛けてくるのだ。
小休憩を挟もうと席を立ち、桜は会社の給湯室に足を向けた。
本当はビルの中に入っている食堂かカフェにでも行きたかったが、万が一にも永遠と出会っては彼に悪いと思ったのだ。
しかし、そんな桜の気遣いを女神様はせせら笑う。狭い給湯室で、桜はばったりと永遠に出くわした。
神様仏様女神様。自分が一体何をしたというのですか。朝っぱらから一緒のベッドに入りたいとかほざいたからですか。でもあれは言い間違えただけなんです。もう許して。
「お疲れ様」
永遠が当たり前のように声をかけてくれる。そこに気まずさは感じない。桜に気を遣ってくれているのだろう。
「お疲れ様です」
「コーヒー?」
自販機を指して永遠が首を傾げた。
桜は「はい。眠気覚ましに飲みに来ました」と答えて笑う。すると永遠は「俺もだよ」と軽やかに笑って自販機に金を入れた。
落ちて来たコーヒー缶を取るために永遠が身を屈める。彼の横顔から長い睫毛がちらりと覗いていた。派手な見た目というのは別に永遠がチャラいとかそういう意味ではない。
羽根田永遠はやたらと華やかな顔立ちなのだ。しかし、所謂、甘いマスクともまた違う。
その見た目からなのか、あるいは仕事に関しては妥協しない細かさ故なのか、彼は頻繁に怖いなどと揶揄されている。自己中だと愚痴を言っている者を見かけたことすらあった。
碌に関わったこともない人間からすると、彼は圧が強すぎて恐ろしく見えるのだろう。勝手な話だ。
「はい」
取り出したコーヒー缶を目の前に差し出される。
「え」
「コーヒー。これじゃなかった?」
「いえ! これっす。って金、すんません。今……」
桜はわたわたと慌ててポケットを探った。しかし、目の前から笑い声が聞こえてきて動きを止める。
「いーよ。先輩の奢り」
「でも」
「いーんだって。今度はそっちに奢ってもらうから」
にやりと笑う永遠は、そんなことを言うけれど。後輩が彼に奢ったためしがない。
彼と同じ部署に配属された桜の同期たちは、皆口をそろえて「羽根田先輩とメシ行くと毎回奢られる。財布を出すことすらできないスマートさ」と語る。
ここは大人しくコーヒーを頂くことにして、桜は期待を込めて永遠を見た。
「じゃ、じゃあ今度……昼一緒に行きましょうよ」
フられたばかりで図々しいだろうか。
「うーん」
永遠の歯切れが悪い。やってしまった。
彼を悩ませたいわけではない。桜は慌てて手を振った。
「いや、無理にとは言いません」
長い睫毛に縁どられた瞳が桜を見返す。そういえばこの人、下睫毛も豊富だ。きっと神様がひとつずつのパーツにこだわって丁寧に作った人間なんだろう。そうに違いない。
「花びら」
「え?」
指が伸びて来る。桜は瞠目して永遠を見つめた。
彼の指は桜の襟もとに近づき、首と服の間に入って隠れていた薔薇の花びらを拾い上げる。それなのに、一度もその指先が桜の肌に触れることはなかった。
こちらに気を遣って触れないようにしてくれたのだろう。
「ふ、こんなのついててよく気づかなかったな」
彼は目を細めて笑うと、ちょっと猫のような印象を受ける。でも弧を描く瞳は三日月のようにも見えた。
赤い薔薇の花びらを持つ、想い人。
胸の中で熱い想いが溢れる。さっきフられたばかりだというのに。
「俺」
桜は花びらを持つ永遠の手首を掴んだ。
どうしても、彼を諦めたくない。グラスいっぱいに注いだ水が溢れて零れるみたいに、堰を切ってどばどばと想いが零れて来る。
その時、給湯室の傍を通りがかった社員がこちらに気づいた。
「あー、羽根田くんがまた後輩たぶらかしてる」
「ちょっとー、人聞きが悪いな」
永遠が冗談交じりに応える。もしかしたら相手は彼の同期なのかもしれない。
「ごめんごめん。そういえば休憩終わったら課長のとこ来てって言ってたよ。新規の部署の相談だって」
「分かった」
親し気に話していた相手が去って行く。
新規の部署というのは、今度新しく立ち上げる部署のことだろう。建築事業部でも仕事はいっぱいいっぱいなのに、どうやら永遠はそちらにも関わるらしい。
この人の忙しさは異常だ。たぶん三人くらい彼には分身体がいる。
「そろそろ行くな」
桜に掴まれていた手首をそっと放し、永遠は給湯室から出て行こうとした。
「あの、俺『なんで』って聞かれたけどなんでも何もないっすから」
握りしめたコーヒー缶が熱を持っている。けれど、桜の手の方が今はずっと熱い気がした。
「先輩、俺のこと覚えててくれましたよね。名前も」
「……そりゃ、前に一緒に仕事したし」
「それかなり前のことだし、あの時一緒に仕事したのって俺だけじゃなくていっぱいいましたよ」
「でも覚えてるよ。忘れないって」
そうなのだ。羽根田永遠という人は、いつもそうだ。
大きな企画が動いた時、大人数と仕事をしても全員の顔と名前をしっかり覚えて来る。しかも何年経っても忘れない。
ただ覚えているだけじゃない。永遠は一人一人の顔をちゃんと見る。だから、誰かが困っていたりすると実にスマートに助け船を出してしまう。
こんなに華やかで、会社の中じゃ有名人だというのに。「黙って俺についてこい」みたいな雰囲気で誤解されがちなのに。
本当の彼はそうじゃない。リーダーを任されれば引っ張っていく役目もこなすけれど、ちゃんと一緒に働いている人のことを見ている。この方向で進んで大丈夫かどうか、常に周囲を確認している。それって実はものすごく難しいことだ。
だから羽根田永遠は会社の中で完璧超人なんて言われている。何でも自分でできてしまうすごい人だと。
「一緒に仕事したっていっても、実際話したのなんて数えるほどっすよ。ましてや俺みたいな下っ端、普通名前まではっきり覚えてないですって」
「そうかぁ?」
「でも先輩は隅っこにいただけの俺のこともちゃんと覚えててくれた。俺、先輩のそういうところに憧れたんです。こんなかっけぇ大人になりてぇって」
「……なんだよ、照れるな」
ストレートに称賛すると、永遠は複雑な表情になって照れくさいのを誤魔化した。褒められなれていないところが、妙に桜の心を擽ってくる。
こういうところはズルイ人だよなぁ。完璧とか言われてるのに、隙だらけなんだ。
「まじっすよ、俺。先輩っていつも周りを見てるじゃないですか。そっとフォローするし、背中押してくれるし。人とのコミュニケーションを欠かさないし。すげーです。まじで」
「あー分かった分かった。そんな褒めても次は奢らないからな」
また誤魔化した。
永遠は話を逸らそうとしている。でも、桜には逸らさせる気がなかった。
「だから俺、プロポーズしたんです」
「え」
今そっちの話になるのか、と永遠の顔が言っている。
彼のもう一つの隙。それは感情が素直に表情に出てしまうところだ。好きも嫌いも分かりやすく表に出る。こういう人だから、彼は周囲からとても好かれているし、同時にそこそこの人からちょっと苦手と思われてもいる。
桜からしてみれば彼の完璧なところも、隙だらけなところも全部ひっくるめて羽根田永遠という魅力の塊だ。
「先輩に憧れて」
「ちょっと待った」
「なんすか」
大事な話の途中だ。むっとして永遠を見上げる。永遠は耳を赤くしながら戸惑ったように首筋を掻いていた。
「俺は大矢じゃないから大矢の気持ちは分かんないけどさ。それって人としての好意であって、恋愛的な好意とは違うんじゃね?」
「先輩……甘いっすよ」
「は?」
「俺がその自問自答を繰り返さなかったと思いますか」
「もう歌詞じゃん。その言いまわし」
桜はコーヒー缶を持っていない左手を上げて永遠の前に出す。ストップをかけるような仕草で顔を横に振った。
「何億回と繰り返しましたよ」
「それはさすがに盛ったろ」
「ハイスンマセン、盛りましたね。本当は何千回くらいですけども」
ふ、と永遠の口から堪えきれなかった笑みが零れ落ちた。
真顔でいる時の彼はどこか怜悧な印象を抱かせるが、こうして笑うと途端にふわりと雰囲気が和らぐ。この瞬間が、桜はものすごく好きだった。
この笑顔に惚れたといっても過言ではない。
「完璧だって言われてる先輩がね、ちょっと疲れてた時あったんですよ。前に一緒に仕事させてもらった時のことなんですけど……」
桜は運命の出会いを語るような気持ちで過去を振り返り始めた。