僅かな救いかもしれない後日談
――人々が殺しあい、建物も軒並み崩壊し全てが灰となって消えた惨劇より遥か先、焼け朽ちたかつて処刑台であった場所の中央で何かがモゾモゾと動き出した。
「……あれ?」
建物や無数の死体から作られた灰の中から這い出てきたのは、黒髪の裸の女性――クルシャナであった。
自分は死んだはずなのに、何故こんな何もない場所で目を覚ましたのかと首を捻る。
「……私、何してたんでしたっけ? 何で死んだんでしたっけ?」
クルシャナは死んだ。それは間違いない。
しかし、彼女が死んでも彼女の生命エネルギー自体は無数に分散されてこの世に残っていた。そのエネルギーの持ち主達が皆死に絶え、行き場をなくした生命エネルギーは本来の持ち主の元へと還ってきたのだ。
肉体など骨すら残さずに消え去った状態から、時間をかけて少しずつ彼女の身体は再生しようと努力した。長い長い年月をかけてとはいえ、無から本当に再生してしまうとは流石としか言いようがない奇跡であった。
一から肉体を再生するという奇跡すら超える暴挙を成し遂げるため、その莫大なエネルギーの大半を使い果たして今では普通の人間と変わりないという状態になっても、彼女は確かに命を取り戻したのだ。
「うーん……そもそも、私って誰でしたっけ?」
とはいえ、その再生も完全なものではないようだった。脳の記憶までは再現できなかったのか、クルシャナは自分の名前すら綺麗さっぱり忘れてしまったようであった。
「ん……誰かいるのかって――うわっ!? は、裸の女!?」
自分のことすらわからずにぼーっとしていたクルシャナ――名も無き女の前に、一人の男が赤面しながら現われた。
ムーンライト王国では見られない黒髪短髪の青年は、あまりにも場違いな場所にいる裸の女という非現実を前に赤面して背を向けて固まってしまったようだが、いつまでも黙っているわけにもいかない。
結局、背中を向けたまま顔を真っ赤にして青年は語りかけることにしたのだった。
「あ、アンタ誰だ? なんでこんな場所で裸なんだ?」
「えーと……誰なんでしょう? ここがどこなのかもわからないんですが……?」
「はぁ? ……ここは旧ムーンライト王国跡。500年前に滅んだ、一夜にして国を滅ぼした凶悪ウイルスか何かが今も潜伏しているかも知れないって言われている危険地帯だぞ?」
「そうなんですか? じゃあ、貴方はなんでそんな場所に?」
――500年前に滅んだ。その言葉に何故か驚きを感じながらも、名も無き女は問いかける。
「俺か? 俺は調査隊だ」
「調査ですか?」
「ああ。500年前、この国の人間が全員狂ったようにお互いを殺し合うって事件があったらしくてな。しかも当時の資料によると、他国の人間まで狂ったようにムーンライト王国を滅ぼしたって記録もある。だから、もしかしたらこの国には人間を凶暴化させて同族殺しを強制するような極悪ウイルスがある恐れがあるってんで、この国そのものを周辺諸国で完全封鎖しちまったんだよ」
「じゃあ入っちゃダメなんじゃないですか?」
「まあそうなんだけど、いつまでもこんな広い土地を放置しておくのも勿体ないだろ? だから、国として今でも危険なのか調査するってんで俺みたいなのが少数精鋭であちこち調べているんだよ」
青年は、国のプロジェクトに参加して500年前惨劇を引き起こした王国跡地を調べるのが仕事であった。
もしかしたら自分の気が狂って死んでしまうかもしれない――なんて、今ではお伽噺のような、しかし確実に起った過去の惨劇を調べるために。
そんな命懸けの任務中、出会ったのは積もった灰や砂に埋もれた裸の女性。それはまあ、ビックリするのも仕方がないことだろう。
「えっと、とりあえず……ほいよ」
「なんです?」
「俺の予備で悪いが、着替えだ。サイズはあわないだろうけど、こんな場所で裸ってのは余りにも危険だぞ?」
青年はそっぽを向いたまま、準備していた着替えの一つを名も無き女に手渡した。
感謝の言葉と共にそれを受け取った名も無き女は、覚束ない手つきでブカブカの調査隊の服を着ていく。
そして、ようやく直視できるようになった名も無き女を見て――青年は、再び顔を赤くするのだった。
「どうかしました? どこかおかしいですか?」
「いや、何でもない……美人だなと思っただけで」
先ほどは裸のインパクトが強くて気がつかなかったが、よくよく見れば女は美人であった。少なくとも、青年の美的価値観では間違いなく美人だ。
青年の国には珍しくない黒髪の美人がブカブカの自分の服を着ている……純朴で健全な青年が赤面するには十分な光景であった。
「……コホンッ! それで……自分の名前もわからないってのは本当か?」
「はい……何もわからないんです」
「そうか……マジでヤバいウイルスの影響とかじゃないよな? とりあえず、俺と一緒に来てくれるか?」
「はい?」
「調査隊として、ここで『はいさようなら』ってわけにもいかない。全身の検査も必要だろうし、俺たち調査隊のベースキャンプに来て欲しいんだ」
「はい、わかりました」
青年は、調査隊として調査区域に何故かいた記憶喪失の怪しい女を放置することは職務上できない。
だから断られても無理矢理連れて行くつもりだったのだが、予想以上に早い承諾の言葉に面食らうのであった。
「いいのか? 自分で提案しておいてなんだけど、見知らぬ男に着いていっても」
調査隊としては正しい行いであるが、それは青年を調査隊であると信じているからこその判断だ。
記憶喪失の女性からすれば、青年は自称調査隊の見知らぬ男でしかなく、断られたり警戒されたりはして当たり前だと思っていたのである。
「だって、貴方が着いて来いって言ったんでしょ?」
「いや、そうなんだけど……疑わないの?」
「疑う……?」
言葉の意味がわからない、と言わんばかりに首を傾げる記憶喪失の女性。
その様子に『記憶喪失ってのは本当に大変だな』と、青年は複雑な顔になるのであった。
「そっか。記憶喪失なんだから仕方が無いよな……でも、今回は助かるけどアンタ若い女なんだし美人だし、疑うとか断るとか覚えた方がいいぜ」
「疑う? 断る?」
「嫌なことは嫌だって言うってこと。それができなきゃ幼児と変わらないからな」
「……断るなんて、いいんでしょうか?」
「え? 別にいいだろ、自分が嫌なんだったら」
記憶こそなくとも、彼女の中には『命令を聞く』ということが刻み込まれている。
そんな彼女の根幹を真っ向から否定する青年の言葉に、女性は目を白黒させるのであった。
「ま、チョットずつ覚えていけばいい――っと、そういえば自己紹介もまだだったっけ。俺はサイガ・クロツチ。サイガって呼んでくれ。アンタは――名前も覚えてないんだよな?」
「サイガさん……はい、何も覚えていないです」
「そっか……ナナシじゃ不便だし、仮でもいいから何か名前考えないか?」
「えっと……そう言われても」
「んじゃ、俺から……そうだな、黒髪美人さんだし……ビジンさんでどう?」
「……えっと、その」
青年――サイガから提案されたあんまりな名前に、記憶を失った人形ですら思わず言葉が止まってしまった。
そんな様子を見て『何がダメだったんだろう?』と本気で考えるネーミングセンスゼロ男は、しかし笑って言うのだった。
「嫌だった? なら、そう言わなきゃ」
「嫌、というわけでは……」
「じゃあビジンさんでいいの? ねえビジンさん」
「……やっぱり、嫌、かもです」
からかうように矢継ぎ早に告げられるビジンさんという恥ずかしい名称を前に、生れて初めて彼女は『嫌』という言葉を口にした。
記憶を失い、名前を失い、国を失い、全てを失って初めて、彼女は『自分の意志』を手に入れたのだ。
「そっかー……なら、黒髪ってことでクロエってのはどうかな?」
「ああ、それならいいかと思います」
「よし、決まりだな! じゃ、よろしくクロエ」
「はい……サイガさん」
彼女――クロエは、新たな人生を歩き出す。
全てを失い、力も無くして、クロエはようやく人間としての人生を歩き出すことになるのだ。
その先に待っている人生が幸せなものなのか。それはわからない。もしかしたらここで復活などせずにそのまま死んでいた方がよかったと思うようなことだってあるかもしれない。
しかし、それでもクロエの人生はここから始まるのだ。
後悔する、嫌だと思う、拒絶する――それだって、人間として生きているからこそできることなのだから……。
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同作者が現在連載中の長編ファンタジー
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