後編
(……皆さん、怒ってますね?)
クルシャナは演説を続ける王子の言葉を聞き流しながら、その時を待っていた。
今のクルシャナは、処刑場に立てられた金属製の柱に手足を拘束され、磔にされていた。そんな彼女に対し、処刑を見に来た民衆達はそれぞれがこれ以上は喉が裂けるという声量でクルシャナに罵声を浴びせる。
よくも騙したな、あんな痛い思いをしたのはお前のせいだ、俺の子供が死んだのもお前のせいだと、今までに怒った数々の不幸の全ての元凶はクルシャナであると叫び、石を投げたのだ。
「あっ!」
石が頭に当たり、額が割れて血が流れる。しかし、これから処刑される魔女が怪我を負ったことを心配する者などいるはずもなく、ご丁寧にクルシャナの周りに処刑人すら立っていないため事故が起ることもない。この投石もまた、王家達が事前に望んだ通りのシナリオというわけだ。
(痛い……ですね。もう、こんな傷も治せない)
今までは怪我も病気も過労も疲労も何をする必要もなく治った。
しかし、その力が失われた今、クルシャナは生れて初めて感じる激痛を前に、ただ苦しむことしかできない。
「――このような悪逆を成してきた魔女を成敗する! 皆の者、手を止めてくれ!」
ダラダラと演説して時間を稼ぎ、クルシャナの全身が血まみれになったのを見計らってテリウスは民衆の投石を止めさせる。
いよいよ、クルシャナに火がかけられるのだ。
「我が国を苦しめ、病をまき散らした悍ましき魔女よ。今こそ聖なる炎の裁きにより、その穢れた魂を浄化せよ!」
松明を持った処刑人が磔台に到着したところで、テリウスは気取った仕草で処刑開始を宣言した。
もしこれが物語であれば、人生を弄ばれた憐れな少女を救うヒーローでも現われてくれることだろう。
しかし現実は残酷であり、クルシャナの幸せを願う正義のヒーローなど、この世には存在しないのだ――
「ああ゛ぁぁあぁぁ゛ぁっぁぁあ゛ぁぁぁあぁ!?」
クルシャナは炎に包まれ、苦しみの断末魔を上げる。
元々ボロボロであった皮膚は黒く染まり、肉は焼け爛れ血液が蒸発するジュージューという音が聞こえてくるようだ。
そんな光景を見て、更に熱狂する民衆達。クルシャナが苦しんで死ぬことで、自分達から災いが取り除かれる。本気でそう信じている愚かしさ、人間の醜悪さが嫌でも見えてくる光景であった。
「苦しいか魔女よ? しかし、それこそがお前の罪なのだ。甘んじて受け入れるといい」
「づ、み……?」
意識が薄れていく中、嫌に聞こえてくるテリウスの言葉にクルシャナが反応する。
全ての元凶であり、今まさに苦しんでいる少女に何の罪もないことを知っているくせに一切の罪悪感はなし。
そんな元婚約者の言葉が最後に聞くものなのかと、ぼんやりする思考でクルシャナは考えた。
「お前の真の罪は正直に話さなかったことだ。己の罪を受け入れ、懺悔すればもう少しは救いがあった――」
(何を、言ってるんだろ?)
テリウスは自分に酔っているらしく、ペラペラと適当なことを喋っている。
炎の中、残り僅かな意識の中でその言葉を聞いたクルシャナは、しかし怒りや憎しみなど覚えることなく純粋に疑問に思ったのだった。
自分の話など今まで誰一人として聞いたことなどなかったのに、何を話せばよかったのかと。
(で、も、それが命令、なら――)
自我を奪われた憐れな少女は、喋っている本人すら五分後には忘れているだろう軽い言葉すら最後の命令として受け取ってしまった。
だから、それを実行しようとする。既に喉は焼かれて喋れない状態なのに、忠実に命令を実行しようとしたのだ。
――ところで、そもそもクルシャナの力とは何だったのだろうか?
どんなものでも触れれば癒やす奇跡。しかしその力は有限。クルシャナを利用する者達はその力の仕組みを調べようとはしなかったし、やっても理解できるものではない超常現象なのは確かだ。
それでも理屈で彼女の力を説明するならば、そもそも治癒能力というのは厳密には誤りであると表記すべきだろう。
彼女の本当の能力は『譲渡』である。
生まれつき莫大な――それこそ常人の何万倍もの生命力を持って産まれた存在。それがクルシャナだ。
しかし、クルシャナ自身はただの人間。そんな莫大なエネルギーを持って産まれ、それを維持できるという異常性を持ってはいたが、本来の肉体が使う分以上は完全に無駄な余剰エネルギーにしかならなかった。
いや、無駄どころか莫大すぎるエネルギーはひ弱な人間でしかないクルシャナ自身を傷つけるものにしかならないほどだったのだ。
そこで、クルシャナの身体は自身を破壊する前にエネルギーを捨てる方法を無意識に編み出した。すなわち、生命力が不足している他の生命体に、傷や病に苦しんでいる他の生命体に余っているエネルギーを譲渡することで自壊を防ごうとしていたというのが事の真実であった。
故に、クルシャナ自身の中にあったエネルギーが尽きれば、本来の人間としてバランスのいい状態になれば分ける必要がないため力が失われたということである。
その過程で、クルシャナには本人も自覚していないままにエネルギー以外にも何かを他者に流し込む、という力に目覚めていた。命令されていないのでその能力が日の目を見ることはなかったが、今初めて『自分のことを正直に伝える』ために、残り数秒もない余命を使って譲渡の力を発動させたのであった。
そう、自分のことを――生まれてから今に至るまでの、記憶の全てを本来クルシャナのものである生命エネルギーを持っている人間へ植え付ける、という形で。
「これで魔女の穢れた魂は浄化された! これにて処刑は――あ?」
まず変化が現われたのは、壇上で気分よく喋っている王子テリウスであった。
如何に最高の環境で生きる王族であっても、当然怪我も病気もする。そんなときは、何を置いてもクルシャナを呼びつけて治療を施させていたのは言うまでもない。
すなわち、テリウスの中にはクルシャナの生命エネルギーが今も脈々と流れている。当然、それを媒介に彼の中にクルシャナの記憶が――生まれてから誰かの欲望に晒され、使い潰される人生の記憶が流れ込んできたのだ。
「ぐああっぁあぁぁあ!?」
あまりにも特殊な記憶が大量に流れてきたことで、テリウスは頭を抱えてその場に蹲った。
テリウスだけではない。同じようにクルシャナを利用した見物の王侯貴族達――現国王を含むテリウスの血縁者達から、クルシャナの実の家族はもちろん、優先的にクルシャナを派遣させる力を持っていた高位の貴族達は例外なく全員だ。
「いやぁぁぁぁっ!」
「なんだよ、なんだよこれ!?」
そんな被害は貴族だけには留まらない。クルシャナの恩恵を受けていたのは庶民の中にも大勢おり、それは国中に広まっている。
そして――
「ぐあぁぁぁぁぁ! こ、殺せぇ! 侯爵を殺すのだ!」
――他者への怒り、という感情すら奪われて育ったクルシャナとは異なり、彼らは怒りも悲しみもする、憎しみの感情を持つ人間であった。
クルシャナから送られてきたのは、あくまでも記憶。クルシャナの生涯を一瞬で追体験した……いわば超詳細に書かれた伝記を読んだようなものであり、その記憶から何を感じるかは個人の感想という奴である。
故に、最低限の自尊心を持つものならば怒りを堪えることなどできるはずもない。人格すら否定され、他人のために使い潰された記憶など、まともな人間ならば腸が煮えくりかえるでは済まない憎悪を引き起こすに決まっているのだ。
「命令だ! ヘラス侯爵一族を血祭りに上げろ!」
胸に湧き上がる憎悪の感情のまま、テリウスは叫ぶ。無限にも等しいような怒りを晴らすべく、最初の元凶であったクルシャナの家族をこれ以上ないくらいの屈辱と苦痛を味わわせて殺してやろうとしか考えることができなくなっていたのだ。
そう、ただ殺すだけでは生ぬるい。指を一本一本切り落とし、錆びたノコギリで少しずつ全身を切り刻んだ後、最後に自分同様火炙りにしてやると目を血走らせて叫ぶのだった。
だが、当然王子の希望だけが叶うはずもなかった。
「くたばれゲス野郎!」
「ぶばっ!?」
テリウスは殴り飛ばされた。
下手人はテリウスの護衛騎士。かつて訓練中に負った怪我をクルシャナに治させた過去のある男だった。
そう、テリウス以外の者からすれば、テリウスだって立派な復讐の対象だ。最もクルシャナのことを蔑ろにし、挙句罪を捏造して死を与えた張本人なのだから当然だろう。
それ故に、クルシャナの記憶を持つ者達は理性を捨てて湧き上がる憎しみを少しでも晴らすべく王子を袋だたきにするのだった。
「よくも石を投げてくれたな!」
「何で助けなかったんだクソ野郎!」
「よくもあのとき俺のことを無視しやがったな!」
騒ぎは王子一人を袋だたきにする程度では収まらない。
自分を苦しめた貴族、見て見ぬ振りをした使用人、石を投げた民衆――せっかく救ったのに掌を返して罵倒したその他大勢。
復讐すべき対象は、他にいくらでもいるのだから。
「な、何が起きているんだよ!?」
中にはクルシャナの恩恵を受けていなかったために正気のままの者もいるが、もはやこの狂乱では無意味だった。
少しでも憎しみを晴らすべく、ほんの僅かでも相手に苦痛を与えてやろうとそれぞれがお互いを痛めつける地獄の中では無傷ではいられないのだ。
そして、暴れる彼らはクルシャナの記憶を追体験した。すなわち、生命力の譲渡という感覚も理解してしまっている。
故に――感染する。まるでウイルスかのように、僅かでも傷を負った者は狂った者達に触れると同時に傷が治り、記憶もまた与えられるのだ。
体験すれば最後、聖母でも憎しみの余り狂ってしまうような悲惨な人生経験という名の猛毒は、こうしてムーンライト王国中に広まっていったのである。
否、話はそれだけに留まらない。クルシャナの恩恵を受けた者の中には他国の重鎮も数多くおり、そんな者達が皆揃ってムーンライト王国への宣戦布告、それも完全殲滅を宣言することになったのだから。
お互いがお互いを拷問にかけるように、少しでも苦しみを与えて殺してやると叫ぶ狂乱の宴は国外にまで広まり収まることなどなかった。
憎しみを向ける対象ではない第三者など、この国には存在しない。誰もが自分の献身を裏切り、罵倒した裏切り者なのだから。
こうして、お互いがお互いを憎悪のままに殺し合う――後の世にまで語り継がれる惨劇は続いていった。
最後は他国からの侵略――否、殲滅によって最後の一人が嬲り殺しにされるその時まで――。




