前編
「これより魔女の処刑を開始する!」
多くの人間が集められた広場――処刑場に、一人の女性が繋がれていた。
彼女の名はクルシャナ。今では姓も身分も奪われた、長い黒髪が印象的な一人の罪人である。
「この魔女は聖女を装い王家に取り入り、国を内部より破壊しようとした罪人である! その罪を償うべく、これより火あぶりを執り行う!」
声高に魔女の処刑を宣言しているのは、テリウス・ムーンライト第一王子。クルシャナを邪悪な魔女と認定し、処刑する決定を下した張本人であり、ムーンライト王国の次期国王筆頭候補である。
そして――
(火あぶり……か。仮にも元婚約者なのに、容赦ないなぁ)
――クルシャナとは、少し前まで婚約関係にあった男だ。
それは愛し合った恋人……ではなく、ただただ打算と損得だけで繋がっていた関係だった。
クルシャナのかつての名と肩書はクルシャナ・ヘラス侯爵令嬢といった。由緒正しき貴族令嬢である。
ただし、普通の女の子ではなかった。金髪の両親から生まれた黒髪の子であり、兄弟達とも全く異なる容姿を持って産まれた異端児だったのだ。
それだけならば奥方の不貞を疑われる家庭問題に発展するだけで済んだかもしれないが、彼女の異端には更なる続きがあった。
――奇跡。そう呼称するのが正しいかさておき、普通の人間には不可能な現象を起こすことを可能にしたのだ。
クルシャナが花を愛でれば枯れかけた花弁が瑞々しい輝きを取り戻し、医学ではどうしようもない怪我も病も彼女が触れればたちどころに回復する。触れたものを全て完全回復させる癒やしの力を持って産まれた奇跡の子だったのである。
そうなれば、利に聡い貴族である彼女の父――ヘラス侯爵が見逃すはずはない。
自分とは似ても似つかない不気味な容姿の子、と内心で蔑みながらも、クルシャナの能力を自分の利益のために利用することに一切の躊躇いはなかった。
母も兄弟もそれは同じだ。その異能と容姿から自分達とは違う種族の存在、とでも思っているのか家族としての愛情など一切持たないまま、自分達の為にクルシャナを利用することしか考えなかった。
自分達の健康はもちろん、単純な金稼ぎからより有力な家とのコネクション作りにと、幼い頃からクルシャナは持って産まれた能力を使い続けるばかりの日々であった。ムーンライト王国に黒髪の人間は存在しないことからどこに行っても不気味な怪物でも見るような眼で見られ、しかし彼女の力を知れば誰しもが掌を返す。訳のわからない力を持った不気味だが便利な道具として。
(……言われたとおりに、頑張ったんだけどな)
クルシャナ自身は、そんな生活に違和感を持ったことがなかった。何せ、赤子の頃より能力を持っており、その使い方や利便性は物心がつく前に家族達に知られていたのだから。
当然、侯爵一家はクルシャナの教育を偏った物にした。自由意志を持つことなど許さず、家族の命じるままに力を使い続けることこそが正義なのだという奴隷教育とでもいうべきものへと。
ほんの僅かでも人間らしい自我が芽生えようものなら、容赦ない折檻――虐待で思想を消し去る。何も考えること無く、ただ命令に従うことだけを幸せなのだと認識するまで何度も何度も鞭で叩き、拳を振るい、食事を抜いてきた。
多少やり過ぎたところで、どうせ癒やしの力で勝手に治るのだと、人としての最低限の良心すら投げ捨てて。
物心すらついていない幼いクルシャナはそんな教育を疑うことなく受け入れ、自我を持たない命令に従う人形として完成し、彼らの命令通りに動いた。
そうして命令通りに侯爵家の利益のために動き続けた結果、クルシャナは王家に迎え入れられることとなった。奇跡の力の持ち主、癒やしの聖女、神の子などなど、多才な美辞麗句を添えられて第一王子の婚約者に――つまり、未来の王妃に据えられることになったのだ。クルシャナが12歳の頃のことであった。
(家族と何も変わらなかったけど)
テリウス王子の婚約者になったのは、クルシャナの奇跡を他者に――特に他国に渡さないように囲うためだ。
王族なら誰でもいいところをあえて第一王子の婚約者、次期王妃などという席に座らされたのも、権力争いの一環だ。これほどの奇跡の持ち主が第一王子派閥以外の手に渡れば神輿となるテリウスの未来の国王としての地位が危ぶまれると恐れた第一王子派閥によって、第一王子の地位と癒やしの奇跡を合せれば自分達の地位を揺るがす者はもう存在しないという打算100%の考えで決められた婚約であった。
当然、そんな関係の二人の間に愛情などない。
クルシャナ自身は幼い頃から変わらず自分の意志を持つことすら許されず、命令に従うことを唯一の幸せとだけ信じて働くばかり。テリウスはそんな不幸な婚約者に寄り添うどころか、容姿は不慣れな黒髪で、性格は同じ人間とは思えない不気味な異常者だと彼女を避ける始末。
王族とはいえ普通の人間として育てられた幼い王子からすれば、善悪も喜怒哀楽もなくただ『命令に従う』だけの装置として育てられたクルシャナは理解できない異物でしかなかったのだ。
結局、婚約して王宮に住まうことになっても、婚約者同士の甘い関係など全く作られることなく今度は王家のために力を使う日々が始まっただけであった。
他国との外交から庶民への好感度稼ぎまで、クルシャナは侯爵令嬢時代より更に過酷なスケジュールで使い潰されることになる。仮に潰れても『自分で治せるんだから問題ないだろ』と言わんばかりに、クルシャナを一人の人間ではなく便利な道具としか思っていないことが透けて見える生活を続ける事になったのだ。
当然、そんな憐れな婚約者を救う――などという発想にテリウスが至るはずもなく、成長するにつれて彼もまたクルシャナを道具として利用する側に入るだけであった。
そのまま行けば、クルシャナは王家の奴隷とでもいうべき王妃としての人生を送ることになったことだろう。
しかし――そんな幸せとは言えないまでも生きていける未来すら、クルシャナは二つの要素により奪われたのだ。
(王子様の恋、か)
一つは、婚約者であるテリウスに恋人……思い人ができたことだった。
完全に能力だけを目当てに婚約関係となったテリウスはクルシャナに対して愛も遠慮も無かったため、気になる女の子ができたときに躊躇する理由などなかった。
そのお相手のことを、クルシャナはよく知らない。何でも王侯貴族が15~18歳くらいの間に通う学園で知り合った貴族令嬢とのことであるが、王家の命令で毎日仕事のクルシャナに学園に通う暇などあるはずもないのでよく知らないのである。
それで王妃としての教養はいいのかという話もであるが、王家からすれば無知で従順な奴隷で居続けてくれる方が都合がいいため、友人との交友やら豊かな教養など余計なもの。外部を欺ける程度の礼儀作法さえ教え込めれば後の事は知らなくても良いという判断であった。
とにかく、テリウスは王子という肩書きが少しは軽くなる環境で出会った少女と恋に落ち、本格的にクルシャナを疎ましく思うようになった、という事だけが確かな事実であった。
本来ならばその少女を自らの伴侶として正式に王妃として迎えたい、という思いがテリウスの中から消えなくなっていったのだ。世間一般的に見れば不埒な浮気者の思想、日々献身を続けるクルシャナに対して許されざる裏切りだと非難されるべき考えであるが……クルシャナのことを『不気味だが便利な道具』としか思っていないテリウスがそんな自制などできるはずもなかったのだった。
(王子様が誰を愛したって、私には関係ないのに)
仮にも婚約者であるテリウスが白昼堂々と、公衆の面前で浮気をしている。
普通の令嬢であれば……否、平民であっても一般的な感性を持った人間ならば男女無関係に怒り狂って然るべき侮辱と言うべき蛮行も、クルシャナからすれば怒るべき事ではなかった。
何故ならば、彼女が教わってきた幸せとは他者の命令に従うことであり、他者の行動に対して怒りを覚えるという自我そのものが育っていなかったのだから。
彼女が知る愛情とは、命令される際に放たれる『これは貴女を愛しているから言っているの』という言葉くらいのものだ。貴女は愛されているのだから幸せなのだと言い含められて育ち、利用されるばかりで他者を利用するという概念そのものが存在しないクルシャナにとって、浮気されて怒るという意味すらわからなかったのである。
(それとも、私は役に立たなくなったからもういらないってことなのかな?)
いくらテリウス個人がクルシャナを疎ましく思ったところで、それだけで彼女を排除することはできない。
第一王子派閥からすれば替えの効かない奇跡の担い手を手放すなどあり得ない話であり、ムーンライト王国は側室を認めない一夫一妻国家。例外的に国王の世継ぎが産まれない場合に側室を認める制度もあるが、それも正室を迎えてから三年以上子宝に恵まれなかった場合という条件付きなので、まずはクルシャナを正妻として迎え入れる必要があったのだ。
しかし、そのクルシャナ唯一にして最大のメリットであった奇跡に陰りが見えれば話は別であった。
(……最初から、いつかはこうなると思ってたんだよね)
クルシャナを最悪の未来へ誘った二つ目の理由――奇跡の喪失。
クルシャナの奇跡は、年々その効果を落としていた。使っている当人からすれば使う度に自分の何かが減っていることなどそれこそ赤子の頃からわかっていたことなのだが、クルシャナを一人の人間としてすら見ていなかった他の人間達には何の問題もないとしか思えていなかったのだ。
なにせ、10の傷を癒やすのに使っている力が10でも100でも1000でも完治している事実に変わりは無いので、完治できないというところまで力が弱まるまで酷使された18歳のある日、初めて周囲は『奇跡は無限ではない』という事実に気がつくことになったのだった。
しばらく休養させてみたり食べるものを変えてみたりとある程度粘ったのだが、結局クルシャナにはもう擦り傷一つ癒やす力すら残っておらず、それが回復することもないという結果にしかならなかった。
クルシャナの力が未来永劫使えるものではない――もう役に立たないと判断したテリウス、王族、侯爵家達……クルシャナの周囲の人間達は、皆躊躇なくクルシャナを切り捨てた。
癒やしの奇跡がないのならば、クルシャナなどただの不気味な役立たず。生かしておくだけ食費と酸素の無駄としか思わない対象へと変わったのである。
甘い汁を散々吸った侯爵家の面々は、王家の決定に犬のように尻尾を振るだけで反対などするはずもない。奇跡の力を自分の地位のために利用していたテリウスにとっても、他に利用されないのならば第一王子の自分が権力を握るのだからいなくなる分には問題ないと。
……それが、今まで文字通り人生を犠牲にして自分達の為に尽くしてくれた少女である、などということなど一切気にもとめずに、ただ使えなくなったゴミを捨てるとしか思わずに。
(でも、私は誰も利用しないのに、何故私がその彼女さんを嫉妬したことになるのかしら?)
クルシャナを疎ましく思ったテリウスは、その力の喪失の報を聞いて真っ先に彼女を排除することにした。
それを止める者はもういない。力を失ったクルシャナは、ただのお荷物。王妃という国家の顔を務めるに足るものを何一つ持たない国の病巣のように扱われ、周囲は積極的にテリウスへ協力したほどであった。
そうしてでっち上げられた罪状は、第一王子テリウスと親しくしていたさる少女への嫉妬による暴行および殺人未遂。更に次期王妃という肩書きを利用し、国の財産を私利私欲で使いこんだという罪状のおまけ付きであった。
なお、その国庫の使い込みの内容はテリウスのデート代を含む上層部の横領をついでに押しつけられたものであった。
更に更に、今まで仮にも奇跡の聖女として国民の人気取りに使っていた事実もあり、ただ罪を捏造して処刑するだけでは国民からの批判が集まることが懸念されたため『実は邪悪な儀式で呪いを広めていた魔女であり、民を癒やす振りをして自分でかけた呪いを自分で解いていただけのマッチポンプだった』というでっち上げ宣伝まで行われた。
そうなった結果、今までクルシャナの力の恩恵を散々受けていた民達までもが『自分達は騙されていた、実は魔女の呪いを受けていただけだったのだ』と、そもそも怪我や病気そのものがクルシャナのせいで負ったものなのだとあっさり権力者達の情報操作に踊らされたのである。
人間など所詮は愚かな生き物。喉元過ぎれば熱さを忘れるというものであり、怪我を治してもらった直後は感謝をしても、健康になればすぐにそんなことを忘れてしまう。むしろ自分達には理解できない力を持ったクルシャナを不気味な怪物として恐れてすらいる面があった。
そんな、本来倫理的に表に出してはならない不快感に大義名分が与えられたのならばともはや民衆が止まることはなかった。
それを撤回しようにも、力を失ったクルシャナには何もできない。自我に乏しく命令がなければ動くことができない彼女は、ただ邪魔者のいない証拠捏造が行われるのをじっと待つことしかできなかったのである。
――そうして、ついに処刑の日が訪れたのが今日ということだ。