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いじめ  作者: 奈岐子
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〜事実は小説より奇なり〜

いじめる側に問題が無いといわれるこの世界で、いじめられる側には問題がある。


それが何故なのか分からないけど、

どうしても納得がいかない。

けれど、いじめる側にもいじめられる側にも感情があってなんらかのカタチでいじめることも許される世界線がある。

それが、今ここで生きることに繋がるのだと思う。


誹謗中傷はいくらでも言えると思うし、人の心は最も簡単に傷つけることができるだろうし、人が人でありたくなくなるようにいわば洗脳のように人を貶めることだって簡単だと思う。

汚い言葉を使うことは小さい時からやめなさいと言われていたから勿論使わないし、使いたくもない。けれど、そういうことを言わないと気が済んだり、心を落ち着けることができないのであれば、可哀想だなあと思う次第で、余程そちらのほうが惨めで醜くて哀れだと思う。かと言って、何かを言っても何かを伝えようとしても無駄な時もある。きっとそれが人に対する嫌悪感のような、アレルギーのようなものになっていったのだと思う。見ただけで吐き気がしたり、人が歩いているだけなのに、「なんでそこで歩いているの? なんでそこに存在するの? どこかに消えてくれないかな」なんていう感情が生まれたりする。無論、目の前から抹消したり死んで消えることはないのだろうけど。吐き気がするだけならまだ良いが、人の存在を認知する以前に子供の騒ぐ声、近所の住民の声の全てが誹謗中傷に聞こえ、過呼吸のようになる時がしばしばある。そう言った時が1番しんどく、何も考えられ無くなり、頭でこれをしないといけないと理解していても体がいうことを効かない。


親がいうひと言でさえ「◯ね」だとか「でブス」だとかそういった言葉に聞こえる時がある。ただ、本人に直接聞いたところそんなことは思っていないと言い張る。しかし、どうもそう思えない。心ではそう思っていて、言わないことが善とすれば、心で思っていることを言うことが悪と感じるように、常識とか社会通念だとかを越えて「やめて」と直接言わないといけない衝動に駆られる。だからそういった一般常識に囚われて生きていくことが自分にとってはしんどいのだろうし、きついのだろうともう少し早く社会不適合者だと気付くべきであったと考える。


しかし、人は人に当たることしかできないし、人と比べて生きたり、あの人はどうだから自分はこうだとか決めつけたりする。けれども、結局人に頼って生きていくことしかできない。でもそうでは無いと証明したい。


結局行き場のない人は何処にも居場所を見出せないし、どこにいても落ち着かないと思う。いじめる方法があまりにも幼稚で何も考えずにいっているだけなので、ただそれだけなのにシンプルで子供のように分かりやす過ぎてもはや対処法が見つからない。だからどうにかしようとしていることだけどどうにもならないことっていうのはこういうことをいうのだろうなと思った。ここで暮らしてから日に日に酷くなっていく自分の心が毎日少しずつでも良くなると思っていた心が廃れて、人間という生き物として暮らすことが向いていないのではないかとすら思った。親も薄々気づいていたと思うが、一度絶った人現関係を修復したり人から言われたことが全て悲観的に受け取ってしまったりすると全て所謂「普通の状態」に戻すことは不可能だと。人間なんて血も涙も無いと思っていたけど、怪我をすれば血が出るし、人がいっている悪口が聞こえたら傷つくし、美味しいものをたべたら美味しいと感じるし、冬はそとに出たらちゃんと寒い。普通の感覚はそうだと思っていたけど、普通ではない人間はどうしたらいいのだろうか。何にも手をつけられなくなって、そのまま灰となるんだろうか。


けれど、朝目が覚めると目が覚めてしまった、また親のいない所で悪口大会が始まるのかと思えば、何を利用してでも悪口を脳に焼き付けたいのかわからないが、まだ小さな子どもにまで吹き込ませて悪口を言わせるよう仕向けることまで淡々と、最近の子どもはよくできていると思う。別段、その子どもが将来どんな子どもになるかなど関係のない話だが、かわいそうだし、いじめることでしかストレス発散できなくなるのではないかと考える。


ただ、人の悪いところだけを俯瞰してみているのであれば、一元性にすぎずそれだけがその人の脳内にインプットされるだろうし、そう思われているのだろうと思うと意気消沈し、人から避けた生き方とか人が生活する音を消音にしたいと願う。社会に一度出たが、不思議なことに人間嫌いは治らないし、ああ言ったらこう言われるだろうと思い込み、何もいえなくなる。そうやって人との会話の導線が切れてコミュ障になり適応障害となる。


家で休んでいるはずなのに、人が1人でもいると休まらないということは本当に人っこ1人居ないところでないと息ができないのだろうか。そうなると無人島しかなくなるが、流石に昼間に部屋で1人でいる方が無人島よりはマシである。田舎で暮らすということも考えようによっては良いのかも知れないが、田舎と便利さが対極している為、やはり難しい。この世で生きていくことはまだまだ難しかったようだ。


いじめることに対して、「やめて」と言わないのは言えないからということもあればその子がどんなふうに成長しても構わないと思う節がある。例えば、小さい時風邪を引いてでも小学校に行ったのは先生運が良かったこともあれば、風邪を人に移しに学校に行って自分が治れば良いと思い込ませることもあった。意図せずとも次の日には治っていた。他の子に移った事実は少し罪悪感を感じていたと思うが。他にも、下を向いて歩けば学校から家まで歩く距離が近く感じると言われてやってみたが今思えばそれですら、自分の顔の醜さを象徴しているように下を向かせて歩かせていたのではないかと思った。その時は家に早く帰りたいと思っていなかったかもしれないが、人の言う事をあまりにも馬鹿正直に受け入れて下を向いて歩く癖は抜けない。すなわち、ひとのいうことをそのまま鵜呑みにしていたらなんら根拠のないことでも信じたりそれに従ったりすることが可能となり、人柄までも変えてしまう。

ここにいることが悪だとも善だとも捉えず、自分のことくらい自分にしかわからないし、どうにかいい治療法はないかと模索しながら、意地でもここに一年はステイすることを決めた。決めたというより「ここ」が居心地が良くなるまでの辛抱だと思い、生きていくことを自分で選んだ。今は確かに「カス」とか「ゴミ」とかっていう存在に近いのかもしれないし自分が人間であることにも反吐が出る。取り敢えず、甘い物はいつ食べても美味しい。


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