第九十七話
『はははは……俺の、負けか』
燃え盛る剣に胸を貫かれながら、エルケーニヒは笑った。
周囲は戦いの余波で破壊され、白き聖女達の体もボロボロだった。
剣を握るゲオルクも血塗れであり、戦いの激しさを物語っていた。
『…正義は勝つ、とはよく言った物だ。笑えよ、クソ野郎。お前達はこの俺に勝ったんだ』
『………』
ゲオルクの顔に笑みは無い。
真剣な表情で、エルケーニヒを見つめている。
巨悪を滅ぼしたと言う達成感は無い。
正義を成したと言う感動も無い。
ただ目の前の命を奪った事実を、静かに噛み締めている。
『…チッ、よりによってお前に殺されるとはな。全く、ろくな人生じゃなかったぜ』
段々とエルケーニヒの身体から力が抜けていく。
光が失われていくその瞳が、ゲオルクの後ろに座り込む白き聖女を見つめた。
『…エルケーニヒ』
『じゃあな、聖女様。お前はせいぜい……長生きしろよ』
最期にそう言い残し、エルケーニヒは目を閉じた。
それがエルケーニヒの最後の記憶だった。
『…勝った』
魔王の最期を見届け、聖女は呟いた。
長い戦いだった。
多くの血と涙が流れた戦いだった。
それでも、自分達は勝利したのだ。
あの恐ろしい魔王を倒し、平和を手に入れることが出来た。
誰一人、欠けることなく。
『ゲオルク…?』
その時、白き聖女は声を上げた。
魔王に止めを刺したゲオルクが、緊張が途切れたように倒れていた。
返り血に濡れたゲオルクは倒れたまま動かない。
『ゲオルク!』
それに嫌な予感を覚え、聖女は慌てて駆け寄った。
戦いの傷を白魔法で癒そうとその身体に触れる。
『…ッ! これ、は…!』
触れた瞬間に聖女は気付いてしまった。
全身に刻まれた無数の傷と、流れ出た血の量。
魔王との戦いは苛烈だった。
ゲオルクは仲間を守る為、何度も魔王の攻撃をその身で受けていた。
その結果がこれだ。
ゲオルクの身体は、既に死んでいた。
『い、いや…!』
その考えを否定するように、聖女は首を振る。
『嫌だ…! 死なないで! ゲオルク…! お願い、お願いだから…!』
『…ゴメン』
ゲオルクは弱々しく聖女の手を握った。
今まで戦えていたのは、ただ強い意志で死んだ身体を無理やり動かしていただけだ。
魔王との決着が付くまでは。
仲間達を守り切るまでは。
ただそれだけを願って、戦い続けた。
そして全てが終わったことで、その身体が当然の死を迎えようとしているのだ。
『君を、置いていくことを許して欲しい』
『…ッ!』
『…でも、君が守れて良かった。騎士と呼ばれながら、守れないことばかりだった僕だけど……最期に君を守れたことを、僕は誇りに思う』
笑みを浮かべて、ゲオルクは告げる。
何度も見てきた笑みだった。
自分ではなく、他人の為によく笑う人だった。
その笑みが、大好きだった。
『…どうか、君は幸せに…』
それが、赤き騎士ゲオルクの最期だった。
きっと私はこの笑みを忘れることは無いだろう。
この人の温もりを忘れることは無いだろう。
例え、何十年、何百年の時が流れたとしても。
他の全てを忘れ去ったとしても。
私はこの人だけを愛し続ける。
「…これは」
エルケーニヒは白き聖女の手記を手に呟いた。
これは白き聖女の日記だ。
彼女の人生、記憶が刻まれている。
その大半はエルケーニヒも知るものばかりだったが、コレは知らない事実だった。
「…あの騎士、死んでいたのか」
そう、エルケーニヒはゲオルクの最期を知らなかった。
あの戦いで死んだのは自分だけだと思っていた。
まさか自分の死後、ゲオルクまで死んでいたとは。
「………」
エルケーニヒは聖女の手記を閉じ、考え込む。
何だか、嫌な予感がした。
得体の知れない気持ちの悪さが全身を包む。
自分が死んだ後、白き聖女は騎士と共に幸福に生きたのだと思っていた。
少し癪だが、己を倒したあの騎士なら誰からも聖女を守れると思った。
だが、そうではなかった。
魔王は倒され、騎士もまた死んだ。
聖女だけが残されたのだ。
「………」
エルケーニヒは手記をペラペラと捲る。
何度見ても同じだ。
聖女の手記はここで終わっている。
エルケーニヒとゲオルクが死んだ日。
そこで聖女の記録は終わりだ。
それは何故だ。
一体この後、白き聖女に何があった。
英雄と魔王を失った後、白き聖女は何をした。
「…エルケー、どうしたの? 顔が真っ青だよ」
「…何でも無い」
エリーゼの言葉に、エルケーニヒはそう答えた。
「………」
ウェネフィカを出てから七日目の昼。
魔法の馬車はマギサへと辿り着いた。
「…何、これ」
馬車から降りた二人は、目の前の光景に言葉を失った。
見慣れた筈の魔道都市マギサ。
その街並みが、無残に破壊されていた。
瓦礫となった建物の近くで、包帯を巻いた人々が地面に寝かされている。
明らかな異常事態だ。
二人がマギサを離れている間に、何があったのか。
「…おい、アンタ。話せるか?」
エルケーニヒは比較的傷の浅い男に近付き、訊ねる。
「何があったんだ。まさか、魔女の襲撃か?」
「…違う。アレは魔女なんかよりも、もっとヤバい奴だった…!」
「魔女よりも…?」
怯えるように肩を抱く男に、エルケーニヒは首を傾げた。
魔女以外にこんなことが出来る存在がいるだろうか、と。
「魔王だ」
「…何だって?」
「魔王エルケーニヒだ! あの御伽噺の魔王が、マギサを破壊した化物だよ!」




