第九十五話
「…シャルロッテが死んだか」
神殿の最奥にて、マルガは一人呟いた。
視界を覗く魔法を解き、閉じていた瞼を開く。
(ザミエルは……逃げたな。ヴィルヘルムも一緒か)
マナの感覚からマルガはザミエルの魔法を感じ取った。
追うことも不可能では無いが、マルガの不完全な転送魔法でザミエルを追うのは骨が折れる。
「………」
感情を殆ど持たないマルガは、ザミエルに対する怒りも不満も無かった。
故に冷静さを失わず、合理的に頭の中で有益な情報だけを整理し始める。
シャルロッテを失ったことは痛いが、悪いことばかりじゃない。
(見た所、エルケーニヒはマナの殆どをシャルロッテに奪われたようだ。魔女殺しの魔法は不死殺しの魔法でもある。シャルロッテ諸共、エルケーニヒのマナも消滅したと考えて良いだろう)
マルガの望みであったエルケーニヒの始末は失敗したが、結果的に力を取り戻しつつあった彼は大幅に弱体化した。
計画を進める上で、今が好機かもしれない。
(問題は、使う為の駒が無いことだが…)
「………」
マルガは視線を部屋の奥へ向ける。
日の入り込まない闇の中、一人の男が立っていた。
(…アレを使うか)
「…エルケー、何を読んでいるの?」
ガタガタとヴェルターから借り受けた馬車に揺られながら、エリーゼは呟く。
「白き聖女の手記。最近は忙しかったからな」
書かれている文字を指でなぞりつつ、エルケーニヒは言った。
マギサへ辿り着くまでの暇潰しに、解読を行っていたのだ。
「お前も手伝え。マギサに着いた時に、アンネリーゼに渡せるようにな」
最近は出来なかったとは言え、解読も随分進んできた。
マギサに辿り着くまでには終わるかも知れない。
(しかし、今の所ただの日記だな。別に珍しいことなんて書かれてないが)
今まで解読した内容を頭で思い出しながらエルケーニヒは思う。
(と言うか、アイツの日記なんて身に覚えがある過ぎて困る。若き日の失敗を幾つも見せつけられている気分だな…)
『イグニス・ラーミナ』
白銀の刃が炎に包まれる。
己の刃に炎を纏うだけのシンプルな赤魔法。
魔法としては、それほど上位の魔法ではない。
『ハァ!』
しかし、それを優れた剣士が手にすればどうなるか。
シンプルな魔法はそれだけマナの消耗が低いと言うメリットもある。
そして魔法に不慣れな剣士にとっても、ただ刃に炎を纏うだけの付与魔法の方が、純粋な剣技をそのまま振るうことが出来る。
その結果。
『…俺の屍巨人が一撃かよ。くそっ、これが最後の一体だってのに』
赤黒いマントを羽織った魔王、エルケーニヒは舌打ちをする。
『今のが最後? ならば、大人しく降伏してくれないかな?』
燃え盛る剣を向けながらそう告げるのは、赤い鎧に身を包んだ好青年。
整った顔立ちと落ち着いた笑みから、どこか童話の中の王子様を思わせる男だ。
人々から忌み嫌われ、恐れられる魔王に対しても、怒りも憎しみも抱いていないように見えた。
『降伏? 何だそれは、処刑って意味か? 俺を捕らえてどうする? 仲間の魔道士を皆殺しにした後で首を刎ねるのか?』
『そんな訳ないでしょう。貴方が大人しく牢に入ると言うのなら、私達も貴方達を傷付ける気はありませんよ』
エルケーニヒの言葉に、赤き騎士の代わりに白き聖女が答えた。
青年の好意を無下にされたと思ったのか、その顔には不満が浮かんでいる。
『私達も、貴方達も、同じ人間じゃないですか。どうして傷付け合うのです?』
『同じ人間だからじゃないか?』
そう言うと同時に、エルケーニヒは指を動かす。
その指先から放たれた糸が地面の下へと伸びていく。
『モルス・セルウス』
ボコボコと地面が波打ち、そこから死人形が這い出る。
本来、死者を使役する魔法には完全な死体が必要だが、エルケーニヒほどの実力があれば、地面に染み付いた怨念や怨霊を土に込め、死人形を作ることも可能だった。
『…さっきのが、最後の一体だったのでは?』
『ははは! 真面目だなァ! 敵の話を信じるなよ、間抜け!』
二十を超える死者の軍団を片手で操りながらエルケーニヒは笑った。
それに立ち向かう聖女と騎士を眺め、エルケーニヒ自身も骨の剣を握って騎士に突貫する。
『…さっきの話。俺が本当に降伏したらどうするつもりだった?』
『………』
『…抵抗をやめた所で、教会の人間が魔女狩りをやめると本気で思うのか?』
『…そうだね』
赤き騎士は聖女には聞こえないように呟く。
『出来れば、降伏はしないで抵抗してほしい。僕は、君達に嘘をつきたくはない』
曖昧な笑みを浮かべ、騎士は告げた。
騎士は聖女ほど楽観主義でも、博愛主義でも無い。
彼女に比べれば、現実が見えている。
最早、和解の道などどこにも無いと言うことを。
『…ハッ、偽善者が』
魔王は心から嫌悪するように、そう吐き捨てた。




