第九話
ギイイ…と重厚な音を立てて、扉が開かれる。
白く巨大な塔の最上階。
地上六階にあるそこに広がっていたのは、真っ白な部屋だった。
汚れ一つ無い白い壁と白い床。
高級そうな木製の机と椅子。
そして何よりも目を引くのは、四聖人をモチーフにしたステンドグラスだった。
四人の英雄が四つの色で描かれ、見事な芸術品となっている。
(…協会、と言うより教会だな)
部屋の風景を眺めながら、エルケーニヒは思う。
魔道協会とは、どうも宗教組織としての一面もあるようだ。
「―――」
部屋を見回すエルケーニヒは、部屋の奥で机に座っている女を見つけた。
雪のように鮮やかな銀髪の女だ。
年齢は二十代前半くらいだろうか、知性を感じる瞳と落ち着いた雰囲気の顔立ちをしている。
服装は重たそうな法衣を纏い、頭には自分の頭部よりも大きな白い帽子を被っていた。
杖も相応に凝ったデザインをしており、木の枝に白い蛇が巻き付いたような杖だ。
「…ん?」
「…入るわよ。アンネリーゼ」
扉を閉めながらエリーゼは小さく頭を下げた。
来客に気付いたアンネリーゼは仕事の手を止め、椅子から立ち上がる。
「誰かと思ったら、エリーゼでしたか。珍しいですね、わざわざ」
「ええ、それが…」
早速本題に入ろうとしたエリーゼの隣をエルケーニヒは通り抜けた。
エリーゼが何か言うよりも先に、アンネリーゼに近付いていく。
「ほほう、コイツが教区長とやらか」
興味深そうにエルケーニヒはアンネリーゼの顔をジロジロと眺める。
「…確かに外の魔道士達とはマナの桁が違うな。一つの組織のトップを務めるだけはある」
そう言いながらアンネリーゼへ更に顔を近付けるエルケーニヒ。
「…む? マナが色褪せている? この劣化…まさかこの女、実年齢は少なくとも五十…」
「女性の年齢を無遠慮に口にするものでは、無いですよ」
ニッコリと笑みを浮かべ、アンネリーゼは白蛇の杖を振った。
「お? おおおおおおおおお!?」
杖から白い衝撃波が放たれ、エルケーニヒの身体が吹き飛ぶ。
完全に油断していたエルケーニヒは抵抗すら出来ず、エリーゼの足下に転がった。
「え? は? あ、アンネリーゼ? もしかして…」
「ええ、見えてますよ。これでも私、優秀な白魔道士ですからね」
ニコニコとした顔のまま、アンネリーゼは言った。
「…私以外には見えないんじゃなかったの?」
「その筈なんだがな。コイツが白魔道士だからか?」
「関係あるの?」
「ありますよ、エリーゼ」
エリーゼの問いに、アンネリーゼが代わりに答えた。
「マナには相性があるのです。一般的に赤と青、白と黒は相性が悪いと言われています。互いのマナが反発し合う為、白魔道士には黒魔法が効き辛いのです」
アンネリーゼの身体から放たれるマナの色は白と緑。
比率としては白が殆どで、そこに緑のマナが混ざっている。
「チッ、これだから白魔道士は嫌いだぜ」
「気が合いますね。私も、黒魔道士は大嫌いです」
笑みを浮かべたまま、アンネリーゼは敵意の込められた視線をエルケーニヒに向けた。
「エリーゼ。あなたがここへ来たのは、コレを祓う為ですね?」
「…そうよ。アンネリーゼなら何とか出来ると思って」
こくり、とエリーゼは頷いた。
それを見て、エルケーニヒは大袈裟に身を仰け反らせた。
「そ、そんな! 裏切るのかエリーゼ! 俺をここに連れてきたのは俺を殺す為だったのか! 友達だって言ったじゃないか! 嘘つき!」
「言ってない! そのふざけた態度が取れるのも今だけだからな!」
「はははは! 別に驚いてねえさ。薄々そんな気はしていた」
怒るエリーゼを笑いながら、エルケーニヒは肩を竦める。
「だが…人間如きにこの俺を、魔王を殺せると、本気で思っているのか?」
ニタリ、とエルケーニヒは笑みを浮かべた。
「ッ…!」
ぞくり、とエリーゼの背筋に悪寒が走る。
この気配。この感覚。あの時と同じだ。
邪教団の司祭を冷酷に虐殺した時と同じ。
冷ややかな殺意と威圧感。
魔王と呼ばれたエルケーニヒの本性だ。
「魔王、と言いましたか」
「ああ、魔王エルケーニヒ。それが、お前の前に立っている存在だ!」
酷薄な笑みを浮かべ、エルケーニヒは両手を振るった。
「『フィールム・インテルフィケレ』」
その指先から無数の黒い糸が放たれ、縦横無尽に伸びる。
一本一本が鋭利な刃となり、机も椅子もバラバラに切り裂きながらアンネリーゼに迫った。
「『エクスオルキスムス』」
白蛇の杖から光の槍が放たれる。
白い光で作られたそれは、アンネリーゼに迫っていた黒い糸を全て消滅させた。
「単一魔法で防ぐか! やるなァ!」
「『ルーメン・アニマ』」
カン、とアンネリーゼは白蛇の杖で床を叩いた。
「一つのマナで放つ魔法が単一魔法。複数のマナを組み合わせた魔法が複合魔法」
アンネリーゼから放たれる膨大な白いマナが収束し、形と成る。
「例えば、悪性の浄化を意味する白いマナと、生命の創造を意味する緑のマナを組み合わせれば、このように…」
それは、神々しい光の天使だった。
アンネリーゼの背後に並ぶ十体の天使達。
それぞれが弓矢を握り、エルケーニヒを狙っていた。
「天使の創造か。まるで白き聖女だな」
「伝説の聖女に例えられるとは、光栄ですね」
穏やかな笑みを浮かべながら、アンネリーゼは杖を構えた。
あとは振り下ろすだけで、天使達は一斉に矢を放つだろう。
「『オプスクーリタース』」
それを前にして、エルケーニヒは大きく息を吸い込んだ。
その口から暗い煙のような物が放たれ、アンネリーゼを包み込む。
(…目晦まし)
「『フィールム・インペリウム』」
煙幕がアンネリーゼの視界を覆っている隙に、エルケーニヒは次の魔法を放つ。
アンネリーゼは身構えたが、何も起こらなかった。
「え…」
二人の戦いを見ていたエリーゼは驚きの声を上げた。
糸に吊られた人形のように、その身体が意思に反して動き出す。
腰に下げていた剣を抜き、自身の喉に突き付けたのだ。
「人質」
エリーゼから伸びる細い糸は、エルケーニヒの指先へ繋がっていた。
糸に縛られたエリーゼの身体は身動き一つすることが出来ない。
「まさか、あの時に…!」
エリーゼは怒りの表情でエルケーニヒを睨みつけた。
思考を繋ぐ為、と言ってエルケーニヒはエリーゼに糸を付けた。
エリーゼの狙いに感付いていたエルケーニヒは、あの時点で既に手を打っていたのだ。
「さあ、どうする? 俺が糸を動かせば、エリーゼの首は落ちるぜ?」
「………」
アンネリーゼは無言でエリーゼを見つめた。
「やりたければ、そうすればいい」
「…何だと?」
予想外の言葉に、エルケーニヒの顔に初めて動揺が浮かぶ。
エリーゼの顔にも困惑が浮かぶが、アンネリーゼの表情は変わらない。
「…出来ないのですか? なら、代わりに私がやりましょうか?」
そう言ってアンネリーゼは杖をエリーゼへ向けた。
「な…」
「撃ちなさい」
躊躇いは無かった。
杖が振り下ろされる。
それと同時に、天使の一体が矢を放った。
「…あ」
糸で縛られたエリーゼに、それを回避する手段はなかった。




