第八十八話
「逃がすな! 追え!」
「奴らは協会の手先だ! シャルロッテ様の敵だ!」
怒り狂う人々の声を浴びながらエルケーニヒは街を走る。
腕の中にエリーゼを抱え、迫る追手から逃げ続ける。
「魔女狩り隊の時を思い出す光景だなァ」
伸ばした糸を使って宙を舞い、屋根の上に飛び乗りながらエルケーニヒは言った。
「あの時とは逆に、今回は魔女が追う側なのが皮肉過ぎて笑えるな」
「…全く笑えないわよ。みんな、正気じゃないわ。魔女に洗脳されているのかしら?」
「多分、魔法じゃあないな」
エルケーニヒが見た所、シャルロッテの魔法はそう言うタイプではない。
精神干渉の魔法を操る魔道士は肉体が弱くなる傾向にあるが、あの魔女は外見とは裏腹に戦闘向けの魔道士だった。
「魔法なんて使わなくても、人の心を操る方法なんて幾らでもある、って話だ」
魔法を抜きにしても魔女には人間を超えた年月を生きた経験と知識がある。
老獪で悪辣な話術によって、人間の心を操ることは容易い。
「…魔女を叩くわ。他の人間は絶対に殺さないで」
「難しいことを言う。だがまあ、全盛期に近い実力を取り戻した魔王様に不可能は無い!」
自信に満ちた笑みを浮かべ、エルケーニヒはエリーゼを抱えていない方の腕を屋根の下へ向けた。
怒声を吐きながら追い続ける住人達に狙いを定め、その口が開く。
「『ソール・アートルム』」
「ぎゃああああああああああ!」
瞬間、エルケーニヒの腕から放たれた黒い火球が追手を包み込んだ。
地獄のように暗く燃え盛る黒い炎は決して消えることなく、悲鳴ごとその身を呑み込んでいく。
「え、エルケー…?」
「気にするな、ただ熱くて痛いだけの幻影だ。死ぬほど痛いが、死にはしない」
エルケーニヒは平然と告げる。
魔王の片鱗が見える冷酷さだった。
エリーゼは思わずドン引きするが、今は彼らに構っている場合じゃない。
「あの女のマナは覚えた。今からそこへ向かうぞ」
「お願い」
「…そうか」
部下からの連絡を受け、ヴェルターは苦い顔を浮かべた。
「…すまない、ロッテ。部下がしくじったようだ」
ヴェルターは教区長室の椅子に座るシャルロッテに告げる。
既に街へ入り込んでいた協会の手先。
それを排除する為に部下を送ったが、逃げられてしまったらしい。
彼らはヴェルターの部下の中でも精鋭だったが、協会の手先はそれ以上の実力者のようだ。
仮にも魔女であるシャルロッテを殺すつもりなのだから、それも当然か。
「ここは危険だ。連中を始末できるまで君は身を隠して…」
「ヴェルター様」
シャルロッテは悲し気に微笑み、呟いた。
「私も戦います。これは私が招いた結果なのですから」
「駄目だ。君を傷付ける訳には…!」
「…ヴェルター様、窓から離れて下さい」
「え…?」
その時、教区長室の大きな窓が音を立てて破壊された。
花びらのように散るガラス片に混ざり、エルケーニヒ達は部屋の中に立つ。
「正義の味方参上だぁ、クソッタレ」
挑発的な笑みを浮かべながらエルケーニヒは告げた。
その顔を見て、ヴェルターは憎悪の込められた目で睨みつける。
「…協会の手先か」
「…そうじゃないんだが、否定した所で信じる訳ないよな?」
呆れたようにエルケーニヒは肩を竦めた。
この手の狂信者は生前にも見たことがある。
視野が狭まり、他の考えが頭に入らなくなる。
どれだけ言葉を交わした所で、分かり合うことなど出来ない。
「言葉は無意味。戦って勝った方が正しいってことにしよう。そう言うの好きだろう? お前達」
自分が殺された時のことを皮肉る様にエルケーニヒは笑った。
「…ヴェルター様、退がって下さい」
「ロッテ!」
抗議の声を上げるヴェルターを押し退け、シャルロッテは前に出る。
恐ろしい敵から恋人を守るように。
まるで、向こうの方が正しいことを行っているように。
「白き魔女、だったか? 白き聖女並みに慕われているようだな」
「…それは彼らがそう呼んでいるだけです。私は魔女。慈愛の魔女で結構です」
シャルロッテの身からマナが放たれる。
赤、青、緑、白。
多種多様な色が入り混じり、黒と言う一色を構成している不気味なマナ。
それが一つの生命であること自体に疑問すら覚える異物感。
こうして二度も対峙すれば、エルケーニヒにもその異形さが理解できた。
「こんなことになって悲しいです。あなた方とは仲良く出来ると思っていたのに…」
「口から出る言葉は綺麗だが、腹の中は真っ黒だぞ、黒魔道士!」




