第八十五話
「起きていますか、ハインリヒ」
「…またお前か。監獄は教区長が気軽に訪れるような場所では無いぞ」
マギサの独房にて、囚人であるハインリヒは迷惑そうにアンネリーゼを見た。
「そう邪険にしないで下さい、同期の仲では無いですか。歳だって近いでしょう?」
そう言って笑みを浮かべるアンネリーゼの顔立ちは二十代にしか見えないが、白魔道士である彼女の実年齢は五十を超えている。
四十代後半であるハインリヒよりもむしろ年上なのだ。
「…協会に入った時期がたまたま同じだっただけだ」
吐き捨てるようにハインリヒは言う。
女嫌いなハインリヒは心から鬱陶しそうにアンネリーゼを睨んでいた。
「魔女に拉致されたと言うお前の娘の話か?」
「いえ、そちらの方はあまり心配していないんです。彼があの子の傍に居ますから」
「…ヴィルヘルムを倒したと言う魔王か。随分と信頼しているのだな」
「信頼はしていますよ。ですが! 私の目の届かない所で二人きりと言うのは…! 別の意味で心配です! 世間知らずのあの子が誑かされてしまったら…!」
「…お前は私に愚痴を言いに来たのか?」
呆れたような表情を浮かべ、ハインリヒは息を吐く。
相手をするのも馬鹿らしいが、ここは独房で、鉄格子の外にはアンネリーゼが居る。
逃げ場のないハインリヒは嫌でも彼女の話を聞かなければならなかった。
「…最近、あなたのことを調べました。あなたの父親のことも」
「…そうか」
苦虫を嚙み潰したような顔でハインリヒは呟く。
忌々しい過去だ。
輝かしい英雄だった父親が、魔女によって堕落させられた。
ハインリヒが魔女を憎悪し、嫌悪する理由である。
「数十年前、あなたの父親を堕落させた魔女。その魔女について教えて欲しいのです」
「…何?」
「ワルプルギスの夜について過去の記録を調べていたのですが、ここ十年、その魔女の記録だけが残っていなくて気になるんです」
アンネリーゼは幾つかの紙束を持ちながら言う。
魔女の行動は良くも悪くも派手だ。
寵愛の魔女は言うに及ばず、他の魔女の行動も残虐非道な悲劇であり、多くの人間が犠牲になっている。
だが、その魔女は寵愛の魔女と並ぶ程の古株だと言うのに、殆ど情報が残っていなかった。
「…アレは、あの女は…毒婦だ。女の持つあらゆる悪性を詰め込んだような人の形をした毒そのものだ」
「それは、残忍な魔女と言うこと?」
「いや、あの魔女は残忍なのではない」
吐き気を催すような表情でハインリヒは吐き捨てる。
「アレには悪意が無い。無自覚に毒を振り撒き、他者を破滅させていく害悪だ」
ハインリヒからすれば悪意に自覚がある分、ザミエルの方がマシに思える程だ。
「アレに魅了された者は殺される時にさえ、あの女を裏切ることは無いだろう。恐らく、奴の情報が少ないのも犠牲者が発覚していないだけだろう」
悪行の記録が残っていないのは、ただそれが協会の目を逃れていただけのことだ。
ハインリヒの父親の時もそうだった。
彼らの暴走の裏に魔女が潜んでいたことを協会が知ったのは、全てが終わった後だった。
「『慈愛の魔女』…奴はきっとまた、どこかで同じことを繰り返している筈だ」
「…悲しいです。仲良く出来ると思ったのに」
シャルロッテはエリーゼ達と別れ、街中を歩いていた。
道行く人々が彼女に気付いて視線を向けるが、シャルロッテの顔は悲し気に歪んでいた。
「どうしてあの方はあんなに酷いことを…私、何か嫌われるようなことをしてしまいましたか?」
エルケーニヒの言葉を思い出し、シャルロッテは息を吐く。
どうして上手くいなかったのだろうか。
エリーゼもエルケーニヒも、シャルロッテと同じ黒魔道士である。
もっと話し合えば、仲良くなれる筈なのに。
『…シャルロッテ』
「!」
その時、シャルロッテは俯いていた顔を上げた。
脳内に響く声に、思わず口を手で覆い隠す。
(マルガレーテ様…! 私に、何かご用でしょうか?)
『ウェネフィカで悲劇を起こせ』
(え…?)
シャルロッテの表情が固まった。
(それはまだ先の筈では…?)
『事情が変わった。ナターリエが死んだ。ザミエルも使い物にならない』
マルガの言葉に僅かな苛立ちが宿っていた。
『今は、お前だけが頼りだ』
(私だけが…)
シャルロッテの顔に歓喜が浮かぶ。
何かと馬が合わないザミエルではなく、自分が。
(お任せ下さい。必ず、あなた様の期待に応えて見せます)
『…任せたぞ、シャルロッテ』




