第八十話
(…考えろ)
ザミエルを翻弄するように駆けながらエリーゼは思考する。
力圧しではザミエルには勝てない。
エリーゼの魔法がどれだけ強力だとしても、当たらなければ意味が無い。
(今まで見てきたことを思い出せ…! その中にヒントは無かったか…!)
エリーゼの脳裏にザミエルの言葉が過ぎる。
――ボクはただ、悲劇の傍観者で居たいだけさ。
そう、ザミエルの魔法は悲劇を傍観する魔法。
だから基本的に受動的であり、自分から敵を攻撃することは出来ない。
(…違う。それだけじゃ、弱点にはならない)
逃げる敵を攻撃できないと言う欠点はエルケーニヒによって暴かれたが、それではこちらも攻撃できなくなる。
ザミエルを倒すことが出来ない。
――ボクの魔法は一人用だからね。
ザミエルは自分だけを愛している悪魔だ。
その魔法で守られているのは自分だけであり、例えば仲間のヴィルヘルムが狙われても、転送して助けることは出来ないだろう。
しかし、それもザミエルの弱点には…
(…待てよ。もしかして)
ふと何かに気付いたようにエリーゼの顔色が変わる。
仲間を転送して助けることが出来ない。
それは、逆も有り得るのではないだろうか。
(確信はない……けれど)
エリーゼの眼がザミエルを睨む。
(試してみる価値は、ある…!)
ドン、と地面を大きく踏み砕き、エリーゼは最高速でザミエルに肉薄する。
ザミエルはまだこちらに気付いていない。
その背中に向かって右手に握り締めた黒剣を振り下ろす。
「だから、当たらないって」
瞬間、エリーゼの手の中から黒剣が消えた。
呆然とするエリーゼの前で、ザミエルは嘲笑する。
「言っただろう? ボクの魔法は自動的だってさぁ! ボクの周囲に近付いた魔法は、自動的に余所に飛ばされるようになっているんだよ! あははは! 笑えるね! 今、どんな気分だい?」
「………」
ギュッ、とエリーゼの拳が握られる。
悔しさを噛み締めているのではない。
その逆だ。
エリーゼの顔は僅かな希望を見つけ出したように、笑みが浮かんでいた。
「………最高の気分だ、ザミエル!」
そして、エリーゼはその拳でザミエルの頬を思い切り殴り付けた。
「あ…ぐ…ッ! あ…?…は…?」
困惑した表情を浮かべながらザミエルの身体が地面を転がる。
それに馬乗りになり、エリーゼはまた拳を握り締めた。
「な…あ…! ま、魔女相手に肉弾戦、なんて…! 何、考えて…!」
何か言おうとしたザミエルの頬を再びエリーゼの拳が捉える。
ザミエルの頬が痛々しく腫れあがり、口から血が零れた。
「や、やめ…!」
「止めて欲しければ、自慢の魔法で私を転送すればいいじゃないか」
「ッ!」
「…出来ないんだろう。お前の魔法は、一人用だからな」
ザミエルを見下ろしながらエリーゼは告げる。
ザミエルの魔法は自分以外の人間を転送できない。
仲間であるヴィルヘルムを転送して逃がすことも、敵であるエリーゼを転送して退けることも。
「なら…!」
怒りに顔を歪め、ザミエルは自身の胸に手を当てた。
エリーゼを転送できないのなら、自分自身を転送して逃げればいい、と。
「させない」
「…ぎ、あああああああああ!」
だが、それはマナの動きでエリーゼに見破られていた。
エリーゼはザミエルの右腕を掴み、その骨をへし折る。
すると、ザミエルの魔法が中断され、マナが霧散した。
「痛みで頭がいっぱいになれば、転送先をイメージすることも出来ないだろう?」
「はぁ…! はぁ…!」
「そして今、お前の弱点がもう一つ分かった」
折られた腕を抑えるザミエルを眺め、エリーゼは告げる。
「強力過ぎる魔法の代償か、お前の身体能力は人間並みだ。魔女特有の再生能力も無い。つまり…」
髪に隠れてエリーゼの顔が見えない。
ただ、その口元だけが残忍な笑みを浮かべていた。
「お前はもう、逃げられないと言うことだ」
「は…あ…!」
ザミエルの顔が青褪める。
その頬から冷や汗が流れ落ちる。
何だ、この状況は。
ザミエルは魔女だ。
今まで二百年以上も人間を弄び、欲望のままに殺して来た魔女だ。
それが、それがこんな…
「あぐッ…! い、痛い…!」
顔を殴られ、血が飛び散る。
頬に鈍い痛みが走り、目に涙が浮かぶ。
「痛い…痛い…! やめて、やめて…! どうして、ボクが、こんな目に…!」
ガタガタと子供のように震えだすザミエル。
その言葉にエリーゼは呆気に取られるが、すぐに顔を引き締めた。
今更何を言われてもこの魔女を許すつもりはない。
拳を握り締め、涙を流すザミエルの顔を睨みつけた。
「起爆!」
その時、ザミエルとエリーゼの間で突然爆発が起きた。
「ぐ…!」
エリーゼの身体が爆風で吹き飛ばされ、ザミエルから強制的に引き離される。
解放されたザミエルの隣にヴィルヘルムが立つ。
「たっく、世話の焼ける」
「う、うう…!」
「泣いている場合かよ。ほら、とっとと転送して逃げろ」
ヴィルヘルムの言葉には答えず、ザミエルは泣きながら自分の身体を転送した。
「待て…!」
「悪ィな。こんな女でも、一応友人だからな」
追い掛けようとするエリーゼに向かって、爆弾化した金貨をジャラジャラとばら撒くヴィルヘルム。
思わず足を止めたエリーゼの前で、ザミエルの姿が完全に消えた。
「よし………おい、マルガ! どうせ、見ているんだろう!」
空に向かって大声で叫ぶヴィルヘルム。
直後、その背後に石棺が出現し、伸びた黒い手がヴィルヘルムを掴む。
「今回は俺達の負けだ。負け犬らしく、尻尾を巻いて逃げるとするさ……起爆!」
地面に撒かれた金貨が起爆する。
土煙が巻き上げられ、それが晴れた時にはヴィルヘルムの姿も消えていた。
「…すまん、エリーゼ。まさか、あの男がザミエルを助けに向かうとは思わなかった」
善でも悪でもない人でなし。
仲間意識なんて無さそうなヴィルヘルムがあんな行動に出るとはエルケーニヒも予想できず、行動が遅れてしまった。
「エルケーのせいじゃないよ。大丈夫、次にまた襲ってきたって、返り討ちにしてやるから」
エルケーニヒの言葉に、エリーゼは告げる。
今回倒せなかったことは悔しいが、あの魔女を打ち負かすことが出来たのだ。
あれだけ好き勝手に暴れていた魔女が、泣きながら逃げることしか出来なかった。
エリーゼはその事実に、一先ず満足していた。




