第八話
「それで、結局この娘は誰なんだ? どう言うご関係?」
「………」
エリーゼは無言でエルケーニヒを一瞥し、また歩き始めた。
隣を歩くゲルダを気にしているのだろう。
エルケーニヒの声は相変わらずゲルダに聞こえていないが、エリーゼはそうもいかない。
「…ふむ」
チラチラとエリーゼはの顔を見た後、エルケーニヒは指先を軽く振った。
「『フィールム』」
呟く声と共に白い骨の先端から、一本の光の筋が現れた。
それは真っ直ぐエリーゼへと伸びていき、その首筋に突き刺さる。
「イタッ!…何するのよ!」
針で刺されたような痛みにエリーゼはエルケーニヒを睨む。
「魔法で思考を繋いでみた。今なら頭で考えるだけで、俺に言葉が伝わる筈だ」
(…こう? 本当に聞こえている?)
「ああ、聞こえている」
エルケーニヒは口を動かさず、糸から言葉を伝える。
同じように、繋がれた糸からエリーゼはの思念もエルケーニヒに伝わっていた。
これなら口を開かずに会話することが出来るだろう。
(…本当にコイツ、魔法の腕だけはとんでもないわね)
人間同士の思考を繋ぐ魔法など聞いたことが無い。
それを呪文一つでいとも簡単に行う所は、朽ちても魔王か。
「そんなに褒められると照れちまうぜ。何なら魔法の講義をしてやろうか?」
エリーゼの思念を読み取り、エルケーニヒは不敵な笑みを浮かべた。
糸を繋いでいると思考が全て駄々洩れになってしまうようだ。
「あ、エリーゼさん。ちょっと止まって下さい」
その時、ゲルダが声を上げ、エリーゼは足を止めた。
タクトのように見える杖を片手に握り、エリーゼのスカートに触れる。
「『ラワーティオー』」
囁くような声と共に、ゲルダの杖から幾つもの泡が放たれた。
それはエリーゼのスカートに僅かに付いていた血の汚れに集まり、綺麗に洗い流す。
「はい。綺麗になりましたよ」
「ありがとう。ゲルダ」
「いえいえ、私はこんなことくらいしか出来ませんから」
ニコニコと笑みを浮かべてゲルダは言った。
「今のは、青魔法だな。マナの色も青一色。当世風に言うなら、青魔道士と言うやつか」
ゲルダの纏う青色のマナを眺めながらエルケーニヒは興味深そうに言う。
「しかし、洗浄の魔法か。戦争ばかりだった俺の時代には無かった魔法だ。その発想は面白いな」
「………」
再び歩き始めたゲルダの横に並びながら、エリーゼは隣の少女の顔を見た。
(この子…ゲルダは、一年前に私と一緒に魔道協会に入ったのよ)
「意外と浅い付き合いだな。その割には随分と懐かれているようだが?」
(さあね。この子は一年前からこんな感じだったわ。理由は分からない)
迷惑、と言うよりは困惑しているような表情だった。
ゲルダが何故自分を慕うのか分からないのだろう。
歳は僅かにゲルダよりエリーゼの方が上だが、勝っているのはそれくらいだ。
魔道協会で最も重視される魔法の才能に於いて、エリーゼはゲルダの足下にも及ばない。
一年前、異端狩りを命じられるようになってからエリーゼがゲルダに連絡を取らなくなったのは、その才能に対する嫉妬もあったのかもしれない。
(………)
こちらの気も知らずに楽し気に歩くゲルダを、エリーゼは複雑そうに見つめていた。
それは神話の世界のように美しい塔だった。
天を突く程に巨大な、白く美しい塔。
その周りにも幾つかの建物があるが、最も目を引くのはそれだろう。
そして塔には芸術的な模様と共に、美しい女性の像が彫られていた。
「…白き聖女、か」
エルケーニヒは苦虫を噛み潰したような顔で呟く。
既に知っていたことだが、四聖人は随分と人気者なようだ。
悪しき魔王を倒し、世界に平和をもたらした英雄なのだから、当然と言えば当然だが。
滅ぼされた悪しき魔王本人からすれば、面白くない。
(あの塔がマギサの協会本部よ。教区長が居るのは最上階)
「教区長と言うのは?」
(魔道協会は大陸中の都市に支部を持つの。教区長はそれぞれの支部を管理している人よ)
「支部の長ってことか。つまり、ここに居る教区長はマギサの担当だと?」
(それも間違いじゃないけど、このマギサは魔道協会の本部がある都市なのよ?)
そこまで言われて、エルケーニヒはエリーゼの言いたいことに気付いた。
魔道協会の教区長とは本来、それぞれの支部を管理する以上の権限を持たない。
だが、このマギサにあるのは協会の支部ではなく、本部だ。
「なるほど。本部を管理する教区長。この塔に居るのは実質的な魔道協会のトップと言うことか」
(そう言うことよ)
僅かな緊張を顔に浮かべながらエリーゼは頷いた。
三人は白い塔の長い階段を上っていた。
体力のあるエリーゼと実体のないエルケーニヒは余裕の表情だが、華奢なゲルダは息を切らしている。
「…大丈夫、ゲルダ? あとは私一人で行くから、ここで休んでてもいいのよ?」
「だ、大丈夫です。はぁはぁ…私だって、体力訓練は受けているん、ですから…」
ふらふらしながらゲルダは首を振る。
額から滝のような汗を流しており、明らかに無理していた。
「いや、その訓練の時、私も居たけど。貴女、いつも途中で気絶していたじゃない」
「大丈夫、大丈夫、です。私だって、ここ一年で鍛えて…」
顔に笑みを浮かべ、ゲルダは大きく足を振り上げた。
「…あ」
その時、ゲルダは小さく声を上げた。
足を振り上げたまま、ゲルダの身体がぐらりと揺れる。
驚くような表情を浮かべ、その身体が後ろ向きに倒れていく。
「ゲルダ!」
慌ててそれを止めようとするが、先を歩いていたエリーゼからは距離が遠い。
伸ばした手は届かず、ゲルダの身体は階段の下へと落ちていく。
「『フィールム』」
だが、唐突にその動きは止まった。
「全く、何をやっているんだ。この娘は」
呆れたように呟きながらエルケーニヒは指先から伸ばした糸を引っ張る。
階段から落ちかけていたゲルダが引き寄せられ、階段の上に膝をついた。
「げ、ゲルダ! 大丈夫!? 怪我してない?」
「だ、大丈夫です! び、びっくりした…」
「びっくりしたのはこっちだ! もういいからそこで休んでなさい」
怒りの中に僅かに安堵を混ぜながら、エリーゼはゲルダに背を向ける。
急ぐように足を動かしつつ、エリーゼは後ろから続くエルケーニヒを見た。
「…どうして、助けたの?」
「あ? 何の話?」
「ゲルダのことよ。彼女がどんな目に遭おうと、貴方には関係ない筈でしょ?」
「…あのなあ、黒魔道士だからって出会う奴みんな殺す訳ないだろう? 魔王だって死ななくて済む命があるのなら、生きていた方が良いと思うぜ」
「………」
エルケーニヒの言葉に納得したのか、していないのか、エリーゼは何も言わなかった。
無言のまま足を進め、最後の階段を上り切る。
「ここが、最上階よ」
そう言ってエリーゼその扉をゆっくりと開けた。




