第七十六話
(…仕留めた?)
ナターリエの心臓を貫いたまま、エリーゼはその顔を見つめる。
驚いたような表情のまま固まるナターリエはぴくりとも動かない。
(いや、まだ…!)
慌てて剣を抜き、ナターリエから距離を取るエリーゼ。
同時に、ふらりとナターリエの身体が動く。
見開いたその眼が、エリーゼを捉えた。
「『エダークス・ブラキウム』」
瞬間、ナターリエの右腕が肥大化する。
右腕が巨大な狼の頭部へ変化し、大きく口を開く
(あの時の…!)
鋭利な牙が無数に並んだ口が、エリーゼへ向けられた。
「『ダエモン・ブラキウム』」
それに割り込むようにエルケーニヒは魔法を放った。
青褪めた腕が横から伸び、ナターリエの右腕を掴む。
腕から伝わる冷気が狼の頭部を凍てつかせ、動きを封じた。
「チッ…」
ナターリエは小さく舌打ちをすると、使い物にならない右腕を切り捨てた。
すぐに肉体の復元が始まり、傷口から新たな右腕が生えてくる。
「あまり前に出過ぎると危険だぞ」
「…分かってる」
距離を取りながらエリーゼは呟く。
ナターリエの脅威はクリーチャーだけではない。
腕を獣に変化させる魔法。
クリーチャー使いである緑魔道士は接近戦が苦手だが、ナターリエにその常識は通じないのだ。
それは以前の戦いで分かっていたことだ。
(それよりも…)
重要なのは、そんな分かりきったことではない。
エリーゼは自分の手に握られた黒剣を見つめる。
『ニグレド』でナターリエを貫いた。
魔女だけを呪う魔法で、ナターリエを貫いたのだ。
それなのに。
(何で効かない…? 何で死なない…? どうして? 私の魔法は、魔女を倒せる筈じゃ…!)
「落ち着け、エリーゼ」
ポン、とエルケーニヒはエリーゼの頭に手を置いた。
「お前のその魔法は本物だ。魔女じゃない俺ですら、触れたら手足が腐って死ぬかもしれん、恐ろしい魔法だ」
「だったら、何で…?」
「簡単な話だ。お前の魔法が本物だと言うのなら、奴の方が本物ではないと言うことだ」
「本物じゃない…?」
言われてエリーゼはナターリエへ視線を向けた。
「『エダークス・ブラキウム』」
再び、ナターリエは自身の腕を獣に変える。
今度は両腕が二匹の狼の頭部へと変貌した。
「…前からおかしいとは思っていた。緑魔法は生物を創造する魔法であって、元から生きている生物を変化させる魔法系統ではない」
変化魔法は青魔法の分野だ。
だが、エルケーニヒが見た所、ナターリエに宿るマナは黒と緑。
青は一切存在しない。
「…まさか、そう言うこと?」
黒剣で斬られても呪われず、崩れない。
その姿が、先ほど斬った狼のクリーチャーと重なった。
「鬱陶しい。さっさと死ね!」
イラついたような表情でナターリエは地面を蹴る。
両腕を変化させた狼の口を振り回すナターリエを前にしながら、エリーゼは周囲に視線を巡らせた。
(…どこだ)
マナを見抜くエリーゼの眼が、周囲のマナを全て捉える。
大気中に漂うマナ。
エリーゼとエルケーニヒから放たれる黒のマナ。
クリーチャー達から放たれる黒と緑のマナ。
そして…
「…見つけた! エルケー! 地面の下!」
「そこか…!」
エリーゼの声と共にエルケーニヒは右手を振り上げる。
膨大な黒いマナを手の中で収束させ、一気に解き放つ。
「…!」
エリーゼの指差す先。
ナターリエの立っている地面へと黒いマナの塊が放たれた。
炸裂するマナがナターリエごと大地を大きく抉り取る。
「…緑魔法で自身の肉体を変化させることは出来ない。だが、肉体を変化させる能力を持つ生物を生み出すことは出来る」
「………」
焼け焦げた肉体を復元するナターリエ。
その背後に、巨大な球体があった。
マナの爆発で吹き飛ばされた地面の中から現れたそれは、球状に重なった木の根。
卵のようにも見えるその物体の中には、ナターリエと同じ姿形をした女が居た。
「俺達が今まで見ていたのは魔女型のクリーチャーだ」
エルケーニヒは告げる。
地中から引き摺り出された女。
この女こそが、本物のナターリエなのだと。




