第七十四話
「ここはリーラと言う村ですよ。旅の人」
一時間程歩いた後、二人は小さな村を発見した。
穏やかそうな雰囲気の村人達は、突然やってきた二人を笑顔で迎え入れてくれた。
「少し道に迷ってしまって…この地図で言うと、この村はどの辺?」
「ええと、ですね…」
エリーゼの持つ地図を眺めながら村人の男は唸る。
「都市ウェネフィカがここだから……大体、この辺りですかね」
そう言って男は地図の北西部を指差した。
当然ながらこの村の名前は地図に無い。
地図に書かれているのは大きな都市の名前だけだ。
「北部都市と西部都市の間くらいか。よりによってマギサの正反対じゃない」
「お嬢ちゃん、マギサから来たのかい? それは長旅だったねぇ。大陸を横断しているじゃないか」
「…そうよね」
エリーゼは思わず息を吐く。
マギサに戻るには本当に大陸を横断する必要があるのだ。
一体どれだけの時間が掛かることか。
「…エルケー。転送魔法とか使えないの?」
村人の男と別れ、エリーゼは思わず呟いた。
「生憎と、そんな便利な魔法は未修得だ」
肩を竦めながらエルケーニヒは言う。
予想はしていたので、エリーゼの顔に落胆は無い。
転送魔法を覚えているのならもっと早くに使うタイミングがあっただろうに。
「…あの魔女は使っていたじゃない。エルケーって黒魔法のスペシャリストでしょ?」
「黒魔法はな。あの魔女の転送魔法は黒と青の複合だ。黒だけの俺には使えん」
「ふぅん」
エルケーニヒの説明にエリーゼは分かったような分からないような顔で頷く。
エリーゼからすれば魔女の使う魔法はどれも黒魔法なのだが、実際はもっと複雑なのだろう。
「…それより、肩の傷は大丈夫か?」
「え? ああ、もう血は止まったわ」
エルケーニヒに言われて、エリーゼは自身の右肩に目を向ける。
ザミエルの魔法で負傷した右肩の傷はもう塞がっていた。
まだ動かすと少し痛むが、気になる程じゃない。
「…体内のマナが傷口に集中するように意識してみろ。マナは人間の生命力だからな。傷の治りが早くなるぞ」
「分かった」
言われるままにエリーゼは自分の体内に意識を向ける。
今まで大気中のマナを操っていた時とは違う感覚。
外ではなく、内から溢れ出る力の流れ。
これが自分のマナか。
「…私、本当に黒魔道士だったのね」
「それが何だ? 俺も黒魔道士だ。それも、極悪非道の魔王様だぞ?」
「………ふふ」
悪童のような笑みを浮かべるエルケーニヒに、エリーゼは苦笑を浮かべた。
こうしてこちらを気遣ってくれるこの優しい男が、何故魔王などと呼ばれているのだろうか。
「…あの転送魔法の魔女、ザミエルって言うんだけど」
「ああ」
「…私の両親を殺した魔女、だった」
「………そうか」
エルケーニヒは静かに呟いた。
長年探し続けてきた仇の魔女。
やはり、ワルプルギスの魔女だった。
「…アイツを倒したい。お父さんとお母さんの仇を討ちたい。でも、あんな無敵の魔法を持つ魔女を、どうやって倒したら」
どんな魔法も攻撃も転送する魔法。
想像していた以上に、ザミエルとの実力差は圧倒的だった。
魔女殺しの魔法があったとしても、当たらないことには意味が無い。
これしか魔法が使えないエリーゼは、どうやってあの魔女を倒せばいいのだろうか。
「エリーゼ。この世に無敵の魔法なんてない」
人差し指を立てながらエルケーニヒは言った。
「展開速度。効果範囲。持続時間。魔法は万能見えるが、限度はある。どんな魔法だって工夫と努力次第で打ち破ることが出来る」
「そんなの…」
理想論では無いか、とエリーゼは思った。
魔法とは不平等だ。
才能ある者は最初から強力な魔法を操ることが出来る。
そんな強者相手に努力すればいつか勝てるなど、弱者を励ます理想に過ぎない。
「努力で打ち破れない魔道士は居ない……でなければ、無敵と呼ばれた魔王様がたかが四人の人間に殺される筈が無いだろう?」
「あ…」
ウィンクしながら自分の胸を叩くエルケーニヒに、エリーゼはポカンと口を開けた。
才能だけで魔道士の実力が決まるのなら、エルケーニヒはここに居ない。
今では四聖人と呼ばれているが、あの四人の使う魔法など、エルケーニヒからすれば児戯に等しかった。
それでもエルケーニヒはあの四人に倒され、今ここに居る。
それは弱者の工夫と努力が、強者を打ち破ったことの証明だ。
「…それって、自虐ネタ?」
「ははは! かもな!」
「…ありがとう。エルケー」
エリーゼは笑みを浮かべ、礼を告げる。
諦めるにはまだ早い。
エリーゼはまだ死んでいないのだから。
あの魔女に敗れ、殺されるその時まで、決して諦めない。
「た、大変だー! 森からクリーチャーが村に入ってきたぞ!」
「何人か噛まれた! 誰か、早く医者を…!」
その時、二人の耳に村人達の悲鳴が聞こえてきた。
思わず二人は顔を見合わせる。
「クリーチャーって…」
「…魔女の追っ手かもな」
「行かないと!」
すぐにエリーゼは声の聞こえた方へ走り出し、エルケーニヒもその後を追った。




