第七十一話
「エリーゼが、魔女にさらわれた!?」
その報告に、アンネリーゼの眠気は一瞬で吹き飛んだ。
動揺を抑えるように杖を強く握り締め、息を吐く。
「…寵愛の魔女、ですか」
「そうだ」
頷くエルケーニヒにアンネリーゼは顔を歪める。
あの魔女の魔法は以前の襲撃時に分かっていた。
だからこそ探知魔法と結界魔法を何重にも展開していたと言うのに、あの魔女はその全てを擦り抜けてきたようだ。
「…奴はエリーゼを新たな魔女にすると言っていた。何か心当たりはあるか?」
「………」
ギリッ、とアンネリーゼは歯を噛み締めた。
深い苦悩に歪んだ顔をエルケーニヒへ向ける。
「…エリーゼは、黒魔道士なんです」
「何?」
「…私とエリーゼが出会ったのは十年前。魔女の目撃情報を受けて討伐に向かった私は、両親を失ったあの子を保護しました」
その時のことを思い返すように、アンネリーゼは瞼を閉じた。
当初は軽い気持ちだった。
魔女によって家族を殺された憐れな少女。
その境遇に同情し、マギサへと連れ帰ることにした。
マギサにはアンネリーゼが支援している孤児院もある。
しばらく面倒を見た後は他の子と同じように孤児院に預けよう、そう考えていた。
「だけど、その時に気付いたんです。あの子に黒いマナが宿っていることに」
アンネリーゼは協会の中でも穏健派と呼ばれる人間だ。
黒魔道士であっても、罪を犯すまでは人間として扱うことを信条にしていた。
だが、エリーゼに宿るマナの量は膨大だった。
今までに見たことが無い程にエリーゼには黒魔法の才能があった。
「だから私は…」
「…『封印』か」
エルケーニヒには納得したように呟く。
エリーゼから全くマナを感じなかったのは、アンネリーゼがそれを封じていたからだった。
「…あの子の魔法の才能を奪ったのは、私なんです」
「…無理もないだろう。協会で黒魔道士がどんな扱いを受けているのかは知っている。それにエリーゼとしても両親を殺した魔女と同じ魔法が自分に宿っているなど、知りたくなかっただろう」
エルケーニヒは苦い表情を浮かべながら告げる。
アンネリーゼの判断は間違いではない。
知らないままで済めば、その方が良かった。
しかし、それは結果的に最悪の事態となってしまった。
「ワルプルギスの住処について、何か情報は無いか?」
「…分かりません」
「そうか」
そう呟くエルケーニヒの顔に落胆は無かった。
住処を知っているのなら、とっくにこちらから攻撃を仕掛けているだろう。
魔女は神出鬼没。
エリーゼが連れ去られた場所は、誰にも分からないのだ。
「歓迎するよ、エリーゼ。ワルプルギスの夜へようこそ!」
朽ちた石の神殿。
ひび割れた石の床の上に、エリーゼは立っていた。
目の前にはエリーゼをここまで連れてきたザミエル。
嘲るような笑みを浮かべている。
「…私は魔女になんてならない。今すぐに私を帰して」
「帰る? 一体どこに? キミ黒魔道士だ。魔女達と同じで、人間じゃない」
「同じじゃない!」
顔に怒りを浮かべ、エリーゼは手を握り締める。
武器はその手には無い。
だが、心の奥底から力が溢れ出す。
「魔女になることがそんなに嫌? ボクがキミくらいの時には魔女になりたくて仕方なかったけどね。無敵の魔法に不老の身体。人間なんて玩具に過ぎない」
「…!」
「キミの両親だってただの玩具だ。悠久の時を生きるボクらの一時の暇潰し…」
「黙れ…!」
怒りがエリーゼの脳裏を埋め尽くし、心が黒く染まっていく。
エリーゼの胸に赤い刻印が浮かび上がり、音を立てて砕け散った。
(封印が、解けた…!)
ニタリ、とザミエルは嘲笑を浮かべた。
瞬間、エリーゼの全身から黒いマナが噴き出す。
長年抑え続けていた黒いマナが荒れ狂い、一本の剣となる。
ニグレド。
異端を呪う、魔女殺しの黒剣。
「それが、ドロテーアを殺した力か…!」
「お前だけは、許さない…!」
エリーゼは石の床に亀裂が走る程に踏み込み、一瞬で加速する。
魔女の反応速度すら超えた加速。
右手に握り締めた黒剣を構え、ザミエルに肉薄する。
「速…ッ!」
一撃だ。
この魔法は一撃当てるだけで、魔女を殺すことが出来る。
ザミエルが油断している今が最大のチャンス。
因縁も復讐も、この一太刀で終わらせる。
「………残念」
しかし、黒剣は歪んだ空間に引き摺り込まれるように、消えてしまった。
武器を失ったエリーゼの前で、ザミエルは嘲笑を浮かべる。
「魔法だろうと何だろうと、ボクには当たらない。当たりも外れもボクが決める」
「!」
地面から飛び出した黒剣にエリーゼは腹部を貫かれた。
不意を打たれたエリーゼは地面に倒れ込むが、痛みは感じなかった。
「ああ、その剣も魔女以外には効果ないんだね。アンネリーゼの白魔法もそうだったけど、そう言う魔法相手だとボクの魔法は上手く効かないね」
黒剣を腹に刺したままのエリーゼを見下ろし、ザミエルは言う。
「まあいいや。それより早くマルガの所へ行こうよ。キミのこと、マルガに魔女に変えてもらうから」
「誰が…!」
歯を噛み締めながらエリーゼは黒剣を引き抜く。
「まだ分からないの? キミでは、ボクには勝てないんだよ」
「それでも、私は…!」
「…負けると分かっていても最後まで抗うって? 人間って無駄なことが好きだよね」
ザミエルは呆れたように息を吐く。
「仕方ないな。手足を千切ってからマルガの所へ連れて行こう。どうせ、魔女になればすぐに治る」
残忍な笑みを浮かべてザミエルは告げる。
ザミエルの手がゆっくりとエリーゼへ向けられる。
その時だった。
ドン、と何かが爆発するような音と共に、何かがザミエルの方へ飛んできた。
「…これは」
バラバラに砕け散りながら地面に転がったそれは、マルガの石棺だった。
転送が終われば消える筈のコレが、どうしてこんなことに。
「…見つけたぞ、泥棒猫」
舞い上がった土煙の中から声が響く。
その声に、ザミエルの表情が固まった。
「どうやってここに…」
「ははははは! 魔法を解析し、再現させた!」
跡形も無く消える魔法だろうと、魔法である限りマナの残滓は必ず残る。
残ったマナを解析すれば、その魔法を再現することも不可能じゃない。
熟練の魔道士が十人集まっても数か月は掛かるような荒技だが、ここに居るのは誰よりも魔法を極めた王だ。
「覚えておけ! 魔王からは逃げられねえってな!」
魔王エルケーニヒがそこに立っていた。




