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愛慾の魔女  作者: 髪槍夜昼
四章
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第六十八話


エリーゼの母親はよく笑う人だった。


怒ったり泣いたりすることは滅多に無く、いつも穏やかな笑みを浮かべていた。


父親は母ほど明るくは無かったが、不器用ながらもエリーゼと母を愛してくれた。


とある田舎の村外れの小さな家。


猟師である父がたまに森で狩りをして、エリーゼは母を手伝って家事や畑の世話をする。


穏やかで平和な日々だった。


昨日と同じ今日が始まって、きっと今日と同じ明日が来る。


『エリーゼ! 今日は大量だ。ご馳走だぞ?』


『エリーゼ、眠れないの? 今日は一緒に寝ましょうか』


幼いエリーゼは、そんな日々に少しだけ退屈していた。


大陸の都市では魔道士達が魔法を学んでいると聞いた。


父も母も体質的に魔法が使えなかったが、エリーゼは魔法に憧れていた。


もし魔法が使えたらどうなるだろう?


空を飛ぶことが出来るだろうか?


沢山のお菓子を生み出すことが出来るだろうか?


もっと豪華な家や料理を作り出して、お父さんとお母さんを喜ばせることが出来るだろうか?


『ふふふ…』


エリーゼはそんな日々を想像して眠るのが好きだった。


いつか、そうなったら良いな。


そんな夢とも言えないような妄想だった。


『や。そこのキミ、ちょっと良いかな?』


『…?』


その日、庭の井戸から水を汲んでいたエリーゼは声を掛けられた。


振り返ると、黒いローブで全身を包み込んだ女が立っていた。


深めに被ったフードの中から赤と青のカラフルな光が覗いている。


『道に迷ってね。どっちに行けば町があるか分かるかな?』


『…町はありませんが、ここから真っ直ぐ東に行けば、小さな村がありますよ』


『東と言うと…あっちだね! いやー、助かったよ! ありがとう!』


大袈裟に手を振りながらローブの女が笑う。


『そうだ! 何かお礼をしないとね』


『い、いえ、私は別に…』


『遠慮しないしない。そうだなぁ、コレはどうかな?』


そう言って女は懐から小さな石を取り出した。


太陽を反射して宝石のように輝く、ガラスのように透き通った石だ。


遠慮するエリーゼの手を掴み、強引に握らせた。


『小さくても女の子だからね! 綺麗な物とか、嫌いじゃないでしょ?』


フードの下でウィンクする女に困惑しながら、エリーゼは小さな石を眺める。


確かに、綺麗な物だった。


キラキラと輝く石と同じくらいエリーゼの目が輝いた。


『…あれ?』


しかし、何故か石は段々と輝きを失っていき、黒ずんでしまった。


黒く染まった石は光を反射することなく、エリーゼの手に握られている。


『あの、コレ…』


残念そうにエリーゼは女の顔を見る。


『…アハッ。見つけた(・・・・)


ぞくり、とエリーゼの背筋に悪寒が走った。


思わずエリーゼは後退り、目の前の女から距離を取る。


それを愉し気に眺めながら女は手の平を広げた。


『実はボク、魔女なんだ』


『魔女…? 魔法使い、ってこと?』


『そう。色んな魔法が使えるんだよ。空からお菓子を降らせたり、動物とお喋りしたり』


『うわぁ…!』


魔女の手の平からパチパチと青い光が弾け、エリーゼは笑みを浮かべる。


初めての魔法に目を輝かせるエリーゼの警戒心はもう消えていた。


『ボクの名はアガーテ。キミの名前は?』


『私は、エリーゼ』


『エリーゼ。キミも魔法使いになりたいかい?』


『!』


アガーテの言葉にエリーゼは目を見開く。


興奮で頬が赤らみ、目がキラキラと輝いた。


『わ、私も…』


『エリーゼ! その女から離れるんだ!』


その時、エリーゼの耳に父親の声が聞こえた。


びくりと震えながら振り向くと、今まで見たことも無い表情をした父が猟銃を握り締めていた。


焦りと怒りを顔に浮かべ、父はアガーテに銃口を向ける。


『今すぐ娘から離れろ!』


『…酷い言葉。ボクはただ、この子とお友達になりたいだけなのに』


悲し気な言葉とは裏腹に、アガーテは笑みを浮かべた。


見る者の背筋を凍らせるような壮絶な笑み。


『ッ!』


瞬間、父親は反射的に引き金を引いた。


銃口から放たれた弾丸がアガーテの額に吸い込まれていく。


『………』


ドサッ、とローブに包まれたアガーテの身体が仰向けに倒れ込む。


そのまま死んでしまったかのように、ぴくりとも動かなくなった。


『エリーゼ! ああ、無事で良かった!』


エリーゼは駆け寄った母親に抱き締められた。


目に涙すら浮かべて母親はエリーゼを強く抱き締める。


それを苦しく思いながら、エリーゼは視線を倒れたアガーテに向けた。


『お、父さん…この人、どうして…』


エリーゼは訳が分からなかった。


どうして父はアガーテを撃ったのか。


どうしてアガーテを殺してしまったのか。


『…エリーゼ。この女は、村の皆を』


『いきなり撃つなんて、本当に酷い』


ゆらり、とアガーテの身体が起き上がった。


フードから覗くアガーテの額には、傷一つ無かった。


『…化物め』


『魔女、と言って欲しいな』


ニタリ、とアガーテは笑みを浮かべる。


『ねえ、エリーゼ。コレも魔法だよ。キミもこの力が欲しいだろう?』


『…村中を皆殺しにしておきながら、私の娘まで殺すつもりか!』


『誤解だよ。いや、村の人間を殺したのは誤解じゃないけど。アレはただの暇潰しだったけど、こっちは大事な仕事だよ』


ニヤニヤとした馬鹿にするような態度を取りながらアガーテは告げる。


『ねえ、お父さん。娘さんをボクにくれないか?』


『ふざけるな!』


返答は、銃声だった。


再び弾丸がアガーテの額に吸い込まれる。


しかし、アガーテの笑みは消えず、血が流れることも無い。


『お、おおおおおおお!』


恐怖を振り払うように叫びながら父親は銃を撃ち続ける。


弾丸はアガーテの急所を何度も狙うが、それはアガーテの身体に触れる前に消えてしまった。


『そんなに連射して大丈夫? 誤射には気を付けてね』


嘲笑を浮かべながらアガーテは告げる。


『ほら、七発目の弾丸(・・・・・・)だ』


『…え?』


それは、誰の声だっただろうか。


弾丸は遂に肉体を貫き、鮮血の花を咲かせた。


『アハッ』


だが、それはアガーテでは無かった。


エリーゼを抱きしめる母の胸から血が流れ落ちる。


ゆっくりとその身体から力が抜け、崩れ落ちた。


『…お母さん?』


驚いたように見開いた母の目から光が消える。


言葉すら残さず、母の命が失われた。


『あ、あ、ああああああああああ…!』


妻を撃ち殺した絶望から父が絶叫する。


憎悪に染まった眼でアガーテを睨んだ。


銃口が再びアガーテへ向けられる。


『今度は、娘を撃ち殺す気かな?』


『…あ、あ…ッ!』


悪魔のような言葉に、父の動きが止まる。


その眼からボロボロと涙が零れ落ちた。


瞬間、背後から飛んできた弾丸が父の胸を貫いた。


『ああ、撃ち殺したのは自分だったみたいだね』


絶命する父を見下ろしながらアガーテは嗤う。


『お父さん…? お母さん…?』


両親の亡骸を見つめながら、エリーゼは呟く。


死が理解できない幼子のように、ただ呆然と両親の名を呼ぶ。


『…んん?』


それを愉し気に眺めていたアガーテは、ふとその表情を曇らせた。


『マナが薄い? まさか、まだ早すぎた…?』


エリーゼには意味の分からないことを口にしながら、アガーテは唸る。


『…やれやれ。ごめんね、エリーゼ。もっと成長したら迎えに来るよ』


アガーテは一人頷き、手を振った。


すると、アガーテの身体が空間に吸い込まれるように消えていった。


『………』


そして、その場には両親の死体と、エリーゼだけが残された。








「ッ! はあ…! はあ…!」


エリーゼは悪夢から覚め、呼吸を荒げた。


ただの夢ではない。


アレは、エリーゼの最悪の記憶だ。


両親を魔女に殺された記憶。


あの魔女の残忍な笑みを、エリーゼは何年経とうと忘れることが出来ない。


「…どうした? 怖い夢でも見たか?」


部屋の端の方からエルケーニヒの声が聞こえた。


床にそのまま寝転びながら、ベッドで眠るエリーゼを眺めている。


「…何でも無い」


エリーゼは息を吐きながら呟く。


最近は殆ど見なくなっていたのに。


どうしてまたあの悪夢を見るようになったのだろうか。


「魔女か」


「…どうして分かったの?」


「自分の右手を見てみろ」


「…?」


言われてエリーゼは自分の手を見下ろす。


悪夢のせいか無意識に握り締めていた右手には、黒い剣のような物が握られていた。


「な…コレは…」


「どうやら、その魔法はお前の負の感情に反応して発動するようだな」


黒い剣は炎のように揺らめいているが、それがエリーゼ自身を傷付けることは無い。


この魔法が傷付けるのはエリーゼが憎い相手。


魔女だけだ。


「…気を落ち着かせろ。楽しいことを考えるんだ」


「………」


目を閉じ、言われるままにすると黒い剣は薄っすらと消えていった。


「生憎と安眠の魔法は覚えていないのでな………子守歌でも歌ってやろうか?」


「…遠慮しておく。ありがとう」


苦笑を浮かべながらエリーゼはベッドに戻った。


それをしばらく眺めた後、エルケーニヒも瞼を閉じた。

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