第六十六話
「じゃあ、次のページに進むぞ」
「…うん、分かった」
自宅にて、エルケーニヒとエリーゼの二人は白き聖女の手記の翻訳を続けていた。
まずエルケーニヒが原文の翻訳を口頭で説明し、エリーゼがそれを書き記している。
内容は今の所、それほど気になる箇所は無かった。
淡々と作業を続けるエルケーニヒとは裏腹に、エリーゼはどこか作業に集中できていないようだった。
「…あの、エルケー。聞いても良い?」
「内容によるが、何だ?」
「エルケーと白き聖女、ってどんな関係だったの?」
「はぁ?」
恐る恐る尋ねたエリーゼに、エルケーニヒは訝し気な顔をした。
何を言うかと思えばそんなことか、と
「魔王と聖女だ。敵同士と言う以外に答えが必要か?」
「…ただの敵同士にしては、随分と聖女のことを良く知っていると思って」
エリーゼは手記に目を落としながら言う。
エルケーニヒは白き聖女の文字の癖まで知っていた。
伝説に語られる敵同士と言う以外にも、何か関係があったのではないかと思ったのだ。
「…まあ、そうだな。子供向けの御伽噺じゃないんだ、俺達だっていつもいつも殺し合っていた訳じゃないってことだ」
「仲間だったこともある、ってこと?」
「そんなんじゃない。俺とアイツは最初から最後まで敵同士だった。だが、俺はまあ、欲が深い魔王様だからな。アイツを殺さずに捕らえたこともあったのさ」
千年前。
当時、エルケーニヒは多くの魔道士を従え、魔王として君臨していた。
まだ魔道士の少ない時代、強力な魔法を操る魔王の存在は人々にとって恐怖の象徴だ。
人々は『聖典教会』と言う組織を中心として魔王に対抗していた。
やがて聖典教会は白魔法に適性を持つ少女を集めて『聖女』を見出した。
後に白き聖女と呼ばれたその少女は、同じように魔法に適性を持つ者達と共に魔王を倒す旅を始めた。
それが『四聖人』の始まりだった。
『気分はどうだ? 白き聖女』
魔王らしい豪奢なローブに身を包んだエルケーニヒは、牢に入れられた少女に告げる。
『…手が痺れてきました。外してもらえると有り難いのですが』
清楚な白い服を着た美しい少女は、鎖で繋がれた手を見ながら不満そうに呟く。
『おっと、気が利かなくて悪いな』
パチン、とエルケーニヒが指を鳴らすと白き聖女の手に繋がれた鎖が砕け散った。
本当に鎖を外してもらえるとは思わなかったのか、白き聖女は不思議そうにエルケーニヒの顔を見る。
『意外に思うかもしれんが、俺はお前のことが嫌いではない』
『…?』
『俺もお前も、同じ魔道士であることには違いあるまい。俺は魔王…魔道士達の王だ。お前も俺達の仲間だ』
エルケーニヒは牢の向こう側から手を差し伸べた。
この時代、魔道士の数は本当に少なかった。
それ故に魔道士でない人々はその力を恐れ、魔道士と人間は対立していた。
魔道士達はその殆どが魔王側に、そして人間は聖典教会側に集っていた。
『…私の仲間は聖典教会だけです』
『連中の語る人間とやらは、魔法も異能も使えない劣等者共を差す言葉だぞ? お前は連中にとって、人間ですらない』
『………』
『白き聖女。その名で呼ばれることが何よりの証拠だ。お前で一体、何人目の聖女だと思っている?』
『…それでも』
白き聖女は迷いのない眼でエルケーニヒを見た。
どれだけ言葉を掛けられても揺らぐことの無い心で、告げる。
『貴方達に家族を殺された人々の涙を見た。私が何者であろうとも、助けを求められたのならそれに応えたいんです』
『…ッ』
その眼が、嫌いだった。
宝石のように美しく、一片の濁りも無く澄んでいて、それ故にこちらのことなど欠片も映そうとしないその眼が、嫌いだった。
『…いつか必ず後悔するぞ。俺の手を取っておけば良かった、とな』
『………』
エルケーニヒの言葉に白き聖女と呼ばれた少女は、困ったような笑みを浮かべた。
魔王の言葉に含まれる優しさのような物に気付きながらも、それを無下にすることに罪悪感を抱いていた。
『え、エルケーニヒ様! 敵襲! 敵襲です!』
『騎士ゲオルクです! 恐らく、聖女を助けに現れたのかと…!』
『…どうやら、迎えが来たようだな。相変わらず手際の良いことだ』
部下の報告を聞きながら、エルケーニヒは少し残念そうに息を吐く。
『ではな。あとは愛しの騎士様に助けて貰うが良い』
「聖典教会…? それに、聖女が何人も居たなんて…」
「事実だ。聖女なんて聞こえの良い言葉で取り繕っているが、実際はただの道具。マナを持たない人間共が俺を殺す為に用意したのさ」
白いマナに適性を持つ少女を集め、それを聖典教会が聖女に仕立て上げた。
当然ながら才能を持つと言うだけで戦闘経験など殆ど無い娘達だ。
その殆どが戦いの中で命を落とした。
そして聖女が死ぬ度に聖典教会はその事実を隠し、新たな聖女を用意した。
そうして『白き聖女』の伝説が生まれたのだ。
「…まあ、その白き聖女達を殺した張本人である俺に連中を非難する資格は無いがな」
自嘲するようにエルケーニヒは笑みを浮かべた。
教会に見出された世間知らずの聖女達を返り討ちにしたのはエルケーニヒ自身だ。
聖女だけではない。
敵対する人間は誰でも殺した。
何人も、何十人も、誰一人として容赦なく。
善悪を語るのならやはりエルケーニヒは悪であり、大多数の人間を救おうとした教会が善なのだろう。
「…アイツは最後まで英雄として、死んだのだろうな」
教会の道具として育てられ、助けた人々からも内心疎まれながらも、英雄として生きたのだろう。
「…馬鹿な娘だ。俺の手を取っていれば、せめて自由に生きることくらいは出来たのに」
どこか悔しそうにエルケーニヒは吐き捨てた。
もうどこにも届かない言葉と後悔を滲ませて。
「………」
(もしかしてエルケーは、白き聖女のことを…)
エリーゼはエルケーニヒが抱く想いに気付いたが、それを口に出すことは無かった。
「………」
大陸のどこかに存在する暗く深い森の奥。
ワルプルギスの夜の本拠地である朽ち果てた神殿にて、偏愛の魔女マルガは杖を握り締めていた。
コツ、と杖で石の床を叩くと、そこから一つの石棺が出現する。
「…おお?」
ゆっくりと石棺が開くと、中からヴィルヘルムが顔を出した。
興味深そうに周囲を見渡し、それから自分の入っていた石棺を見つめる。
「地面から出てきた石棺に入ったと思ったら、いつの間にか目的地に到着か。一体どんな魔法だ?」
「…ザミエルの魔法と似たような物だ。アレの魔法に比べれば、幾らか制約が多いが」
「だったら最初からザミエルに転送して貰えば良かったんじゃねーの?」
「残念だけど、ボクの魔法は一人用なんだよ」
石棺ではなく、空間を歪めて転送してきたザミエルが答える。
「ボクの魔法はボク以外の生物を転送できないんだ。ごめんね」
「だったら帰りもそちらの魔女様のお世話になるしかねーって訳か」
ヴィルヘルムはマルガへ視線を向けた。
「挨拶が遅れたな。俺はヴィルヘルム。ザミエルの紹介でここへ来た」
「…偏愛の魔女、マルガレーテ」
無表情のままマルガはそう言った。
歓迎しているのかいないのか、まるで分からない顔だ。
「俺はアンタの仲間に入る。悪いが、その対価を先に貰いたいんだが?」
言いながらヴィルヘルムは肩から先が失われた自身の腕を見つめる。
それだけで言いたいことは伝わったのか、マルガは先端に時計が付いた杖をヴィルヘルムへ向けた。
「『レナトゥス』」
言葉と共にヴィルヘルムの腕がボコボコと脈打った。
瞬く間に傷が塞がり、失われた腕が生えてくる。
ほんの十秒ほどで、ヴィルヘルムの両腕は元の形に復元された。
「…ははは! マジかよ、マジで治ったじゃねーか!」
両腕の具合を確かめながらヴィルヘルムは嗤う。
見開いた目にドロリとした狂気と殺意が宿った。
「ありがとうよ! これでまた殺しが愉しめる…!」
そう言ってヴィルヘルムは右手を振るう。
伸ばされた五本の指がマルガの顔を鷲掴んだ。
「な…」
思わず声を上げるザミエルを余所に、ヴィルヘルムは残忍な笑みを浮かべた。
「起爆!」
何の躊躇いもなく、ヴィルヘルムは己の魔法を発動させる。
瞬間、マルガの頭部が光と熱を放ちながら爆発した。
(…さて、どうなる?)
黒い煙に包まれるマルガを見ながらヴィルヘルムは口元を吊り上げた。
この程度で死ぬのなら、興醒めだ。
こんな簡単に殺される程度の相手なら、どのみち何も出来はしない。
付き合うだけ時間の無駄だ。
ならばここで殺しておいた方が良い。
「………」
「…は」
煙の中から現れたマルガを見て、ヴィルヘルムは嗤った。
無傷だ。
掴んだ頭部に爆弾を仕掛け、消し飛ばしたと言うのに、火傷一つ負っていない。
再生したのではない。そもそも傷自体負っていないのだ。
その顔には突然攻撃された怒りも驚きも無く、ただ石像のような表情の無い顔でヴィルヘルムを眺めていた。
「ははははは! 参ったな、マジで化物じゃねーか!」
「………」
「悪ィな、いきなり顔に触れるなんて失礼だった。二度としないと誓うから許してくれ」
軽く頭を下げながらヴィルヘルムは言う。
へらへらと笑うヴィルヘルムの態度は謝っているように見えないが、マルガは特に気分を害したようには見えなかった。
「…好きにするが良い。どのみち、お前に私を殺すことは出来ない」
「お、許してくれるのか? 流石、魔女様は心が広いねー」
「だが、私の邪魔をすることは許さん。私の命令には従え」
「それで、面白くなるなら」
ニタリ、と笑みを浮かべてヴィルヘルムは頷いた。




